父の脊索腫治療記~重粒子線治療、頚椎後方除圧固定術~転移

脊索腫で重粒子線治療を受けた父の記録です。
最初から読まれる方は、バックナンバー2011年11月からお読み下さい。

26 頚椎固定術後

2012年06月29日 13時35分44秒 | 頚椎後方除圧固定術
術後、父は、
翌夕方、一般病棟に移った。
だが、まだ飲み物も飲めない。

「日赤血」を輸血したと聞いたが、
ひどい貧血だったようで、
「手が冷たい。」と言うので、しばらく手を握っていた。

左顔面がしびれていると言う。
術中、ずっと下を向いたままの姿勢だった所為だろうか?

2日目。
水分が許された。
全く、動けない。
少々、痛みがでてきたようだ。

3日目。
おかゆが食べられるようになったが、
他は食べられない。
でも、食事が出来ない一番の理由は、

入れ歯を洗いにいけないから。。。

看護師に気付いもらえなかったので、
「動けないから、入れ歯が洗えないために、食事が出来ない」と伝え、
面会時間が午前11時からだったので、
朝食前後の介助をお願いし、
食事前後に、口をゆすがせてもらえるようになった。


その日から、毎昼食、夕食時の2回、家族が付き添うようにした。

この病院では、看護師が毎日替わるので、
看護師によって、対応が異なった。
食事の盆をテーブルに運ばれてしまうと、
『パブロフの犬』状態で、すぐに食べたくなる。
タイミングよく看護師が来てくれるとは限らない。
放置されて、食べられないのが気の毒なので、
昼食・夕食時には、必ず付き添うようにした。

この頃、痛みが辛く、痛み止めも効かず、座薬にしてもらった。
トイレは車椅子で連れて行ってもらえたが、
転倒することが懸念され、
家族では、とても介助できなかった。

困ったのは、便秘。
下剤を飲んでもダメ。
ナースコールをしても、なかなか来てもらえないので、
「これでは、間にあわない。」とお願いした。
食事が十分に取れない代わりに、
ヨーグルトドリンク、野菜ジュースを差し入れた。

痛みが徐々に治まり、
身体を1日おきに拭いてもらえたが、
ハローベストをつけたまま、
術後の身体では、
どうにも、苦痛ばかりのようだった。

動くことが許可されたのは、
術後10日後。
トイレには歩行器を使っている。
下半身だけ、シャワーで洗ってもらえるようになり、
本人も歯磨きに洗面に立てるようになった。
おかげで、
家族の付き添いが1日1回になった。

術後2週間、
抜糸をした。

傷口は、かさぶたでくっついていた。
首の傷跡は、25cmくらい。
採骨した腰はどうだったろう?

随分、動けるようになったものの、
ハローベストでの肩こりが酷くかった。
肉離れを起こしているかのような痛みだそうだ。
アンメルツのような液状の塗り薬が出されたが、
ベストの部分に塗れない。
傷の痛みが治まったので、
痛み止めを飲まなくなったこともあるのかもしれない。

頭だけは、拭いてもらえないので、
付き添い時に、「水なしシャンプー」で拭いた。
水なしシャンプーは、最低でも1日おきに必要だった。
付き添いは一日おきになった。

術後、
2週間後に、CTとレントゲン。
4週間後に、CTを撮った。

同部屋の人は、もう十人以上替わった。

傷の痛みも治まり、
少し動けるようになって、
ハローベストがより苦痛になってしまった。


ハローベストの状態がいつまで続くのか?


25 頚椎固定の手術

2012年06月21日 17時31分46秒 | 頚椎後方除圧固定術
朝、8時半に父は手術室に入った。
手術は午前10時に始まると言う。

この大学病院には手術中、家族の待合室はない。
昔や、ドラマのように、術中何か起こる事も、早々ないのだろう。
お任せして、
終了予定時間頃、病室に家族が待機すると看護師に伝えた。

医師からは、
当初、午後4時終了予定。
1時間程度伸びるかも知れないと言われていたが、
手術が終了したのは、
午後8時半過ぎだった。

10時間に及ぶ大手術だった。
頚椎後方除圧固定術は無事、終了した。

医師団には、ただただ感謝で一杯だ。

付き添っていた家族が、
ICUに入る前に面会できた。

輸血は日赤血だけで1ℓ。
ボーンバンクは使わずに、自己骨だけで済んだと言う。


後は、父の快復次第だ。

24 頚椎固定術前の説明確認

2012年06月18日 15時31分08秒 | 頚椎後方除圧固定術

父の傾いた頚椎を施術する説明を受けた。

「頚椎後方除圧固定術」
主にリウマチ患者にする方法らしく、

検索して見られる画像では、
頚椎1本程度を橋渡ししている。

父の場合は、第1~4の半分までが、
重粒子線治療のため、再生しない。

その部分にスクリューを打てるかどうかは、
開刀して決めると言っていたが、

頭蓋底と、
第5、6、7頚椎、第1、2胸椎辺りまで、
スクリューを打ち、
頚椎1~4を橋渡しするらしい。

腸骨(骨盤)から骨を採骨し、
スクリューを補完するように移植する。
橋渡し部分が長いため、
採骨も多くなる。
頚椎の棘突起も切除して、粉砕して使用するという。(接着と言うことか?)
それでも足りなければ、
ボーンバンクの骨も利用すると言っていた。

ボーンバンク・・・人工関節にする等で切除した人骨を保存し、提供するもの。

リスクは、たくさん。
他の手術と違う点は、
重粒子線治療後の手術のため、

移植した骨が接合し、固定するか?
皮膚、筋肉が接合するか?

輸血については、
出血が多ければ、「日赤血」を使用すると言っていたので、

自己血は?と聞くと、
「良性と言っても腫瘍なので使用は。。。」と言ったものの、
話している間に、
「日赤血と自己血を使用予定」と言う事になっていた。
しかし、回収血をフィルターにかけるとはいえ、
脊索腫の再発を考えれば、
自己血の再使用は怖い。

「術中は感染予防のために洗浄しながら行います。が、腫瘍の細胞までは肉眼では分かりません。現在の医学では、無理です。」
とのことだった。

腫瘍に重粒子線は照射しているが、
神経近くの腫瘍には照射できていない。
この手術において、腫瘍の細胞に触れることが心配だった。

外科手術した切り口に、再発しているケースもある、
脊索腫が肝臓に転移という論文の題名もあった。
念のため、
手術前に、「日赤血」のみでお願いしようと思っている。

もちろん、日赤血が100%安全とも言えないそうだが、
それでも、脊索腫よりマシだと思う。。。


他は、
スクリューを打つ所が非常に狭いので、
ナビゲーションを使用するが、
それでも、ミスの起こる可能性は否めない。

そのほかは、他の手術と同じ、
感染症、
肺梗塞、
血管を傷つける、
硬膜破損、

途中、医師は、お昼ご飯を食べないのだろうか?

医師は、日々遅くまで職務に従事し、
その日も、施術だけで6時間に及ぶと言う。
生半可にできる仕事ではない。
ただただ、間違いのないよう、
体調管理には気をつけていただき、
慎重に施術していただきたい。


麻酔やら準備で、
朝、8時半に手術室に入る。
終了するのは夕方の予定。


こんな厄介な手術を請け負っていただけるだけでも、
本当に、有り難い。




23 ハローベスト装着

2012年06月02日 15時38分06秒 | 頚椎後方除圧固定術
父は、手術2週間前に入院した。
フィラデルフィアカラーになって、1ヶ月しか経っていないが、

頚椎固定術を受けるため、
入院初日に、ハローベストを装着した。

医師から聴いていたので、
調べて、
入院前に、話したが、
父は、想像できなかったことと思う。

頭蓋骨に直接ネジを打つ。
金属で頭を真っ直ぐにし支える。

ショックだったろう。


正直言って、このまま、治療を拒否するのでは?と心配したが、
幸い、それはなかった。

頭蓋骨とのネジ部が痛んだり、
ハローベストによって、頚椎は真っ直ぐになったが、
左後頭部のシビレ、痛みがあったようだ。

当初は、頭部を被う部分の重みに慣れなかったようで、
歩くときは、歩行器を使ったが、
トイレで、左右の壁に頭(金属部)を当てたそうだ。

入院時から、術後、皮膚・骨が安定するまで、
ハローベストは装着したまま。
お風呂にも入れない。

手術も、装着したまま、行われると言う。

入院した部屋の真ん中のベットは、暗く、狭かったので、
窓側の人の退院を待って、窓側に移動してもらった。

窓側は、少し広かった。
せめて、明るいところで、
外が見られれば、気晴らしになるだろう。

東京タワーとスカイツリーが見えた。