すっかり更新が遅れました。
にもかかわらず、
たくさんのご訪問ありがとうございました。
さて、父の経過ですが、
元気すぎるほど、元気です!
先月、やっとアドフィットUDカラーから解放され、
日常はフィラデルフィアカラーでの生活となりました。
(なくても良いのですが、年寄りですので。。)
2013年の頚椎後方除圧固定術再手術の甲斐合って、
後頭骨の8本のスクリューはしっかり固定されたそうです。
しかしながら、高齢ですので、そちらの方が問題です。
筋力も弱まったようで、
散歩に行くと夜足が攣るようになりました。
神経の症状とは思えないので、
無理して高齢者が早歩きをしているせいかと思います。
今後は、年相応に暮らして欲しいものです。
2011年5月に症状がでて、
8月入院10日、
2週間後の9月に原因が分かり、
今年で3年を迎えます。
重粒子線治療1ヵ月半入院。
頚椎控除圧固定術入院3ヶ月。
頚椎除圧固定術再手術入院4ヶ月。
末永く、元気に暮らして欲しいと思います。
さて、
これをもって、本サイトの更新を終了します。
このサイトを続けるか迷っていました。
更新がなくなるのは、
悲しい可能性を示唆し、
存命中であることを知らせることが、
みなさんを勇気付ける事とも思っていました。
とはいえ、
古いブログを読んでいて、
それぞれの状況を知るうちに、
これ以上、お知らせするのもどうかと迷いました。
webの世界は、とても残酷です。
普通、元気になったら、
病気のことなんか忘れちゃって、更新しないじゃありませんか!
伝えたい事は、
脊索腫は恐くない。
誰もが死んでしまう訳ではない。
どうか、恐れないで、生きて欲しい。
父は、とても元気です。
たぶん、
父は存命中に再発・転移はしないものと思っています。
再発・転移した所で、
これ以上の治療はしないつもりです。
実際、重粒子線治療314万円は大きな負担でしたが、
治療について、迷う事は一度もありませんでした。
良き医師にめぐり会えたと思っています。
助けていただいたと感謝しております。
今後は、脊索腫を忘れて、
余生を過ごしてもらうつもりです。
永らく読んでいただきありがとうございました。
にもかかわらず、
たくさんのご訪問ありがとうございました。
さて、父の経過ですが、
元気すぎるほど、元気です!
先月、やっとアドフィットUDカラーから解放され、
日常はフィラデルフィアカラーでの生活となりました。
(なくても良いのですが、年寄りですので。。)
2013年の頚椎後方除圧固定術再手術の甲斐合って、
後頭骨の8本のスクリューはしっかり固定されたそうです。
しかしながら、高齢ですので、そちらの方が問題です。
筋力も弱まったようで、
散歩に行くと夜足が攣るようになりました。
神経の症状とは思えないので、
無理して高齢者が早歩きをしているせいかと思います。
今後は、年相応に暮らして欲しいものです。
2011年5月に症状がでて、
8月入院10日、
2週間後の9月に原因が分かり、
今年で3年を迎えます。
重粒子線治療1ヵ月半入院。
頚椎控除圧固定術入院3ヶ月。
頚椎除圧固定術再手術入院4ヶ月。
末永く、元気に暮らして欲しいと思います。
さて、
これをもって、本サイトの更新を終了します。
このサイトを続けるか迷っていました。
更新がなくなるのは、
悲しい可能性を示唆し、
存命中であることを知らせることが、
みなさんを勇気付ける事とも思っていました。
とはいえ、
古いブログを読んでいて、
それぞれの状況を知るうちに、
これ以上、お知らせするのもどうかと迷いました。
webの世界は、とても残酷です。
普通、元気になったら、
病気のことなんか忘れちゃって、更新しないじゃありませんか!
伝えたい事は、
脊索腫は恐くない。
誰もが死んでしまう訳ではない。
どうか、恐れないで、生きて欲しい。
父は、とても元気です。
たぶん、
父は存命中に再発・転移はしないものと思っています。
再発・転移した所で、
これ以上の治療はしないつもりです。
実際、重粒子線治療314万円は大きな負担でしたが、
治療について、迷う事は一度もありませんでした。
良き医師にめぐり会えたと思っています。
助けていただいたと感謝しております。
今後は、脊索腫を忘れて、
余生を過ごしてもらうつもりです。
永らく読んでいただきありがとうございました。