ツタヤで借りてきた DVD で「ホビット 思いがけない冒険」を観ました。トールキンの小説が原作の映画です。監督は「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンですね。「思いがけない冒険」は三部作として作られる予定の第一作目ということらしいです。
小説の「ホビット」はずっと前に一度読んだことがあります。「ロード・オブ・ザ・リング」の 60 年前の話ということらしいですが、ホビットのビルボ・バギンズの若いころのお話です。
小説を読んだ時の印象ではシンプルなおとぎ話のようなものだと思っていたので、三部作で作るほど壮大なお話だったかな?と疑問に思っていたのですが、DVD の映像を観て納得しました。やっぱりこれくらいの尺がないと物語は十分に再現できないなと。
小説の記憶は明確ではないので映画ではどの程度再現されているのかはっきりとは言えないのですが、どのシーンにもなんとなく覚えがあったりして、削るところなんてほとんどないなと思いました。それで約 170 分です。約 3 時間?
うは、3 時間も観てたのか!
映像はとても素晴らしいです。美しい自然の風景が目にしみます。残念ながら DVD では本来の美しい映像を再現しきれていないと思います。こういう映像こそブルーレイなのでしょうね。最新の 4K と呼ばれる高画質動画で観られたら最高だと思います。いや、映画館で観ろよ!
「ロード・オブ・ザ・リング」で登場したキャラクターがたくさん出てくるのですが、原作ではそこまで出てこなかったような気もするので、ファンに対するサービスなのかなとも思ったりして。最初からいきなりフロドも出てきますからね。
特に印象的だったのはゴラムです。ビルボとのやり取りで見せる表情が多彩で、動きもコミカルで、思わず笑ってしまいました。ゴラムのキャラクターへの力の入れようは半端ないと思います。
物語はドワーフたちの故郷の山が見えるところまでかな。
タイトルは「ホビット」だけど、メインは「ドワーフ」なんだよね。
白雪姫でも 7 人だったのに、ここでは無駄に 12 人ものドワーフが出てきます。いや、無駄なのかどうかよくわかりませんが、今のところ誰が誰なのやらよくわかりません。王子の「トーリン」くらいかな、覚えたのは。
字幕では「トーリン」と表記されていましたが、発音は「ソーリン」で、確か小説の中でも「ソーリン」と書かれていたような気がします。
例の「指輪」も出てきますが、今回はそのシーンを描くのが目的と言ってもいいかもしれません。
話の途中までで面白いのかな?とあまり期待はしていなかったのですが、いい意味で予想を裏切られて、とても楽しめました。
続きはいつ公開になるのかわかりませんが、早く観たいですね。
映画「ヘルタースケルター」を観ました。ツタヤで借りてきたDVDね。
先日たまたまYouTubeにアップロードされているのを見かけて、他の作業をしながらなんとなく眺めていたんですよね。
意外と面白かったのでそのままずっと観続けていたのですが、YouTubeの動画は途中までしかなくて最後の方は観れなかったのです。
それで結末が気になってしまって、ツタヤでDVDを借りてこようと思ったわけです。
DVDではもう一度最初から視聴して、無事に最後まで観ることができました。かなりの長編なので疲れました。いや、長編だからなのか、内容的な問題なのか……。
感想ですが、何とも評価に困る映画でした。
良いとも悪いとも言い切れない。安っぽいテレビドラマのようなところもあれば、完成度が高いと言える部分もあり、芸術性もある。どうも、それらすべてを一つの映画にまとめてしまったことで、作品としては中途半端になってしまったような残念な感じもします。
そんなごちゃまぜな感じがまさに、映画のタイトル通りの「ヘルタースケルター(しっちゃかめっちゃか)」なんだと納得するしかないような……。
主演の沢尻エリカさんの演技は素晴らしい。上手いか下手かというよりも、違和感なく「はまりすぎている」という感じで。彼女はこの映画のために存在する女優であり、この映画も彼女のために存在していると言ってもいいくらい。なんかすごかったね。
私の中での彼女のイメージは「手紙」という映画で、それくらいしか観たことないのでほとんど先入観はないのですが、世間的には「パッチギ」とか何とかのイメージがあって残念がってる人も多いようですね。過去のイメージはどうでもいいです。
性的な描写も多く、かなり生々しく描かれているのですが、アダルトビデオかと思うほどの露骨なシーンもあります。それらのシーンも、特に上手くもなく下手でもなく、ただそこにあるものとして淡々と描かれていたような感じがします。こんなものには意味はないとでも言いたげな描き方でしたね。そのくせ無駄にそういうシーンが多いんですが。
監督さんはたぶん不感症です。
それよりも……こういうことは作ってる側も意図しているかどうかすら怪しいですが、あちこちのシーンで見られる生々しい表現がかなり精神的に来るような気がしました。例えば、何度も出てくる嘔吐するシーンとか。なんかね、吐しゃ物は一切描かれてないのに、とても見ていられなくなって目をそむけてしまいたくなるのです。それって、沢尻さんの演技のせいなのかな? 理由はよくわかりません。
印象的な水族館のシーンがあるのですが、何となく見覚えがあるなあと思って調べてみたら八景島シーパラダイスの水族館だったようですね。私もその水族館には行ったことがあるのです。自分でもいつだったかよく覚えてなかったのですが、ブログを検索してみたらこの辺(アポロ漫録)にありました。3年前の夏だったようですね。
映画の話に戻りますが、ストーリーは、整形して美人になって素晴らしい人生を手に入れたと思ったら、いろいろ失敗して転落してゆくという感じの話でした。
「整形」に関しては世間で話題になったりしてその手の記事を見かけたりするたびに気になっているのですが、整形をして綺麗になるなんて幻想にすぎないと思います。いや、断言してもいい。整形では美しくなんてなれない。
誰にだって綺麗になりたいという欲望があるのはわかります。ただ、その欲望を満たす手段として整形というのは100%間違っていると思います。整形をしたという人の顔を見て美しいと思ったことは、今までただの一度もありません。
それも当然だと思いませんか? 人の手で粘土をこねるようにして作った顔がどうして美しくなるというのでしょう?
美というのは、とても崇高なものだと思います。神のみがなしえる業だと思います。人間ごときの稚拙な技術で神の業に勝てるはずもありません。もともと神によって与えられた美しさを、わざわざ人の手で醜くする行為。それが整形であるとしか言いようがありません。
人間にだって、職人と言われるような人たちの技術があれば、完璧と言っていいほどの「整った顔」を作ることはできるかもしれません。でも、「整った顔」が「美しい顔」であるとは限らないのです。美しさとは、どこか歪(いびつ)なものであったりもするのです。その「歪」は人の手では絶対に作れません。なぜなら、人には「整えよう」という習性があるからです。
しかし、人間の中にも神と言われるような人たちは存在します。芸術家の中には神のような崇高な作品を生み出す人もいます。もし、そのような人が整形を手掛けたならば、本当に美しい顔を作ることもできるのかもしれませんね。そういう人は100年に一度とか、1000年に一度くらいは出てくるでしょうが、それではとてもカジュアルに整形手術などできるはずもありません。
しかも、残念ながら、芸術家は整形の仕事をしません。彼らは、整形の技術を学ばない代わりに芸術家になるからです。(たぶんね。)
ともかく、整形なんて馬鹿げてるってことですよ。
私はそう思うのですが、おそらく、この映画を作った人(蜷川さんだったかな)は整形を含め、人の手による作り物の美しさを信じている人なのだと思います。信じているなんて生易しいものではない。崇拝しきってると思います。
だからこの映画も中途半端なんだと思います。
本当に素晴らしい映画は、作り物ではない、本当に美しいものに対する心の奥底から湧き上がる賞賛の気持ちからのみ生まれるのだと思います。神の業に対する謙虚な態度にこそ、感動があるのではないでしょうか。
この映画は、そんな神に対する無謀な挑戦ということになります。それは、人としては「カッコいい!」と評価されることなのかもしれませんが、心を揺さぶるような感動は生まれないんです。「頑張ったね」と褒められて終わりでしょうね。
「綺麗だね」とか「頑張ったね」とか、そんな風に褒められたくて作った映画ということならば、その目的は十分に果たせたのではないでしょうか。そういう意味では、素晴らしい映画だと評価しても良いと思います。出来は決して悪くはないと思います。
そう、それはちょうど、整形によって最高の美貌を手に入れたこの映画の主人公「りりこ」のような、人の手によって美しさを追求した結果生まれた作品。それが、「ヘルタースケルター」という映画なのだと思います。
ジョジョの奇妙な冒険の第三部(Part3)、スターダストクルセイダースのTVアニメ放送が始まったみたいですね。
ジョジョといえばこの第三部のストーリーを連想する人も多いかと思いますが、意外にもTVアニメとしては今回が初めてのようですね。
OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)としては20年くらい前からソフトが出ているので、それを観て知ったという人が多いのだと思います。
第三部はタロットカードをモチーフにしたキャラクターが出てくるので、ジョジョを観てタロットに興味を持ったという人も多かったようです。
私の場合は逆に、タロット占いをしていたからジョジョに興味を持ったということになるかもしれません。占いのお客さんなどからジョジョの話を聞いたりすることがたびたびあったからです。
第三部辺りまではマンガ喫茶などでコミックを全巻読みました。OVAもレンタルして全巻観たと思います。
さて、今回のTVアニメ、第1話ですが、さっそく視聴してみました。
かっこいいですね。OVAと比べてさほど進化したようにも思えませんでした(むしろ絵的には退化しているようにも見えます)が、原作の雰囲気がしっかりと感じられる作風は好きですね。
硬派で悪ぶった態度の学生、空条承太郎が主人公となる本作ですが、前作の主人公だったジョセフ・ジョースターの存在感も大きいですね。いかにもヒーロー風のジョセフがとても頼もしく感じます。
ちなみにジョセフのスタンドは「ハーミットパープル」で、対応するタロットカードは「Ⅸ 隠者(The Hermit)」です。このカードに対応する星座は乙女座で、私のゾディアックカードと同じなので、そんなところからもジョセフへの思い入れが少し強かったりします。
テレビでジョジョを観てタロットに興味を持ってくれる人が増えてくれるといいですね。
DVD で「AKIRA」を観ました。1988年制作のアニメ映画です。
この季節は寒くて DVD なんて観てられないとか思ってましたが、ついつい観ちゃいました。
大昔に一度、テレビのロードショーか何かで観たような記憶はあります。年代的に考えて私が高校生くらいの頃のことだと思いますが、ファミコンで同タイトルのゲームを遊んだ記憶もあります。確かアドベンチャーゲームだったような。
当時の何となく覚えている記憶では、インパクトのある映像や衝撃的な内容に興味をひかれたものの、いまいち意味が分からなくて、それほど夢中になることはなかったと思います。
特に、結末がいまいちだったような……。
とはいえずいぶん昔のこと。今観たらより深く理解できるかなと思って DVD を借りてきたのでした。
実を言うと、最近 YouTube で観た都市伝説の動画で「AKIRA」の話題が出ているのを見たのがきっかけです。何やら、手のひらで宇宙がどうのこうので、全世界の科学者の注目を浴びたことで話題になった映画だったとかなんとか。
(そういえば、2020年の東京オリンピックを予言したとかいう内容でも話題になっていましたね。)
さて、改めて観なおしてみた感想ですが、非常に面白かったです。
今観ても古臭さを感じさせない緻密な描写にグイグイと引き込まれました。むしろ、最近ではあまり観られない独特の映像は新鮮さすら感じます。独特の生々しさや迫力を感じるのは、いまどきの CG とは違う手書きの味なんでしょうかね?
BGM の音楽や効果音なども素晴らしいと思いました。
科学的な根拠がどうこういうことよりも、単純にエンターテインメントの映像として非常にすぐれた作品だと思いました。
ただ、やっぱり結末の印象は、今観ても昔とあまり変わりませんでした。ぐちゃぐちゃのブクブクにして、はいお終いというような感じがどうもいまいちだと感じてしまうのです。
かといって、他に期待する結末があるわけでもないのですが、何となく、腑に落ちないのです。
あまり深く考えるところじゃないのかな。
観かえしてみたことで、私の中での評価は以前よりぐっとアップしました。
観る価値のあるアニメ映画の一つとして、お勧めしてもいいと思います。
何か面白いテレビ番組でもやってないかと思って、携帯のワンセグをつけて観ていたのですが、「マツコ&有吉の怒り新党」という番組で占い師の話題が出ていました。面白そうだったので録画して後でよく観てみました。
先日、1月22日に放送されたものですが、その中で、『「全てあなた次第」-適当なこと言う占い師』という投稿について議論する場面がありました。内容は大したことはありませんが、こういう場面ではぜひ私も会話に参加させてもらいたいと思ってしまいました。
以下のその場面の引用をしておきますが、合間に私のツッコミも入れておきます。
まず、総裁秘書の夏目三久さんが読み上げる投稿の内容です。投稿者は主婦(37才)女性だそうです。
手相を占ってもらったら「すべてあなた次第」と言われました。
一緒に占ってもらった友人はいろいろ当たっていたようですが、私は「すべてあなた次第」。
そんなの私にだって言えます…。
それでお金を取って良いのでしょうか。
確かに、手相を見ているのに「全てあなた次第」では、それこそ「筋」の通らぬ話かもしれませんね。それではまるで「あなたの手のひらにはしわが一本もありません」と言っているようなものです。
以下、政調会長の有吉弘行さん(以下「有吉」)と幹事長のマツコ・デラックスさん(以下「マツコ」)の会話の引用です。
有吉:
「占い師 総選挙」みたいなのを一回やんないといけないと思うよ。毎年一回、二年に一回。
やっぱり、あんまり当たってないやつは剥奪していかないとさ。マツコ:
どうやって判断するのそれ?有吉:
まあでもその人に受けた人は任意で……マツコ:
じゃあそういう協会みたいなのを作って抗議するのね。有吉:
あんまりにもいい加減すぎる。
自由なんだもん。
何でも言いたい放題なんだもん。マツコ:
でも、それが望みなんじゃないの、みんなの。
占い師が「当たる」「当たらない」で評価されてしまうとしたら、私なんぞは真っ先に資格剥奪されてしまいますね。
でもまあ、私のような無名の占い師はともかく、有名でガッツリ稼いでいるような占い師の方が困るでしょうけどね。そもそも「当たる(だけの)占い」なんてものは存在せず、だいたいどの占い師も同じ確率で当たり、同じ確率で外れるものです。
もし、本当に通常ではありえないほどの確率で当たる占い師がいたとしたら、その占い師は占いで当てているわけではなく、それこそインチキなテクニックを駆使して当てているはずですから、総選挙で上位に来る占い師ほど「信用できない占い師」ということになってしまいます。
つまり、信用できる占い師に占ってもらいたいと思うなら、「当たる」という評判を聞かない占い師に相談した方が良いということになります。
この程度のことにも気づかないなんて、有吉さんもマツコさんも、意外と理論的な思考に弱いんですね。そういう人ほど悪質な占い師に騙されやすいタイプと言えます。
マツ考:
「好き勝手がいいんでしょ?」マツコ:
(おそらく知り合いから聞いた話)占い三軒行ったんだけど、言ってること全部ちがくてわけわかんないんだけど、けっきょく「2軒目が良いと思った」んだよねって言うから、2軒目ってなぁにって言ったら、めちゃくちゃ良いこと言ってんのよ。マツ考:
「いい事しか受け入れない」マツコ:
一軒目と三軒目はちょっとハードなことを言ってるわけね。
だったら最初から自分のやりたいゆるい方へ行けばいいじゃないのよ。
けっきょく、信じるときは自分が信じたいこと信じて、信じてないときは信じないでしょ。
最後の部分は文章にしてみると何を言ってるのかさっぱりわからなくなりますが、何となく言いたいことはわかります。
要は、信じたいことだけ信じて、信じたくないことは信じないということなんでしょう。
この辺は占いの話題でよく出てくる話ですが、占いをそのように利用・活用している人も多いでしょうね。つまり、気休め程度だと。
それはそれでいいと思いますが、私はどの占いももっと真剣に受け止めてもらいたいと思います。三回占ったなら、その三回ともすべて意味があると考えるべきです。それをきちんと受け止められた人は、より良い人生を切り開くことができると思います。そういう意味では、「あなた次第」という言葉にも重みを感じられるようになるのではないでしょうか。
有吉:
無理やり占われる時がある。
あの時さぁ、ぜんぜん違うと思うときあってもさぁ、もう「うんそうです」っていう顔しなきゃならないときある。有考:
「番組に乗っからないと…」有吉:
それ腹立つ。
上岡さんみたいに大暴れするワケにはいかない。
いや、タレントさんにはもっとテレビで暴れてほしいなぁ。
有吉さんみたいな人が占い師を甘やかすからますます調子に乗るんでしょ。
占い師に説教されて半べそかいてるような番組はもううんざりなので、そろそろいい加減な占い師に説教をし返すくらいの番組をやってほしいよね。
マツ考:
「よく調べたね」有吉:
よくパソコン使ったねぇ。マツコ:
パソコンにも載ってないようなことを言われたりすると「気持ちわるぃ」って思うよね。
興信所でも使ったのかと思うような。
本当に占いで当ててるのかもしれないけどね。
何も調べなくてもあてずっぽうで言ったことが当たることはよくあることだし、その辺は便利なテクニックがあって、だいたい誰にでも当てはまりそうなことを言っているだけだったりするんだよね。
もしそれを「当たっている」と評価するとしたら、これもまた占いの実力ではなくて、話術の実力で評価されているだけだから、まともな占い師は損をすることになります。
有吉:
手相もすぐ変わりますからねとか言いますからね、あいつら。
すぐ変わるなら見てもしょうがねぇとか思う。マツコ:
はっ!
(手相を見ながら)なくなってる「金運」
もう終わったんだ、あたし。
占いショートコント始まります。
有吉:
(占い師風に)でもまあ、日ごろの行いでまたでてきますから大丈夫ですよ。マツコ:
大丈夫ですかぁ?有吉:
絶対大丈夫ですよ。マツコ:
ちょっと薄くなっちゃってる。有吉:
うん、でもその代わり、人付き合い線が伸びてる。
この人がお金をくれます。マツコ:
くれますぅ?
助けてくれるんですか! この人がぁ?
ショートコントここまで。
有考:
「占い師も大変だね」有吉:
めんどくさいだろうなぁ。マツコ:
意外と大変だよね。
だってこれを言われるんだよ、お客から。マツ考:
「エンターテインメントとしていけばいいんだよね」
確かにその通りです。エンターテインメントとして考えれば占いなんて何でもありだし、今現在開業中の多くの占い師が失業せずに済みます。占いの当たり外れも会話を盛り上げる話題の一つにすぎず、たとえ外れようとも占い師の資格を剥奪しなければならないということはないでしょう。
エンターテインメントは占いのあり方の一つです。特に、平和な世の中ではそれが顕著となるでしょう。楽しめればそれでよいのです。そのような占いでは好いことをばかりを言っていればいいでしょうし、信じたいことだけ信じてればよいでしょう。
ただ、そうではない実用的な占いというものもあります。悩んでいる人が真剣に相談をし、わずかでも希望の光を見出そうとするための占いです。そのような占いでは厳しいことも言われるでしょうし、向き合いたくないことにも目を向けなければなりません。このような占いが存在するということにも気づいてもらいたいですね。
マツコ:
今までで一番「オィッ」って思った占って何?有吉:
だいたい良いこと言うよね。
あんまり辛辣なこと言ってくる人いないでしょ。マツコ:
いや○○にすごい辛辣なこと言われた。有吉:
あいつは大喧嘩したオレも。
クソが、クソ野郎。マツコ:
なんて言われたの?有吉:
ぶん殴りそうになった。
なんか立場の弱そうな人を見つけちゃぁね、首根っこ捕まえてね、ボロカス言うんですよ。
なんかそいつの人格否定みたいなこと。
オレもうそれでブチ切れそうになっちゃって、ずっと放送中妨害してやったよ。
「うるせぇババア!」
「黙れ馬鹿インチキ」
国会のヤジのように。
全部オンエアなにししてやりました。
最低の人間ですあいつ。
腐った○○ですから。
まあ、この辺はいわゆる楽屋ネタという感じですか。
やり玉に挙げられている占い師は伏字になってますが、ネットで検索してみたところ「魚ちゃん」という韓国出身の女性占い師のことだと言われていますね。
何だ、有吉さんだって占い師にきついこと言ってるんじゃない。さっきと言ってること違うような……。上岡さんみたいに大暴れできたのかどうかは知りませんが。
ただ、汚い言葉でののしるだけだったらその人の人格レベルもその程度ということです。他人に説教されても仕方ありません。
占い師の言ってることに不満があるなら、きちんと理論的な思考で意見をぶつけるべきでしょうね。そういう場面にこそ、ぜひこの私めを投入してください。
有吉:
占いは、まあまあ信じますかぁ?マツコ:
全面的に占いを「あれはオカルトだ」って言って否定もできないし、
かといって、じゃあ占いは十羽一絡げ全部まとめて肯定かっていわれると違う。有吉:
なぜおまえは占い師なんかをやっているんだっていうね。有考:
「ホントに占いが当たるなら…」有吉:
いろんなことが占えるのに、おまえはなぜ占い師などをやっているんだ。
どうして新宿の寒い街で外で、ろうそくを焚いて何をしているんだあなたはっていう。マツコ:
もう、これを言われたらムリよ。
そりゃそうよ、占い師さんみんな幸せになってなきゃおかしいからね。有吉:
温かいスープを飲める仕事をしなさいと。マツコ:
あんたもいつの時代の話を……
最後の「ホントに占いが当たるなら」のくだりはよく言われることですが、これも理論的に考えればわかることです。
占い師は人の運勢や運命を占うことはできても、必ずしもそれら運勢や運命を変えることができるわけではありません。占い師の仕事は、ただ占うことだけです。むしろ、運命や運勢といったものは誰にも変えることなどできません。占いで出た結果自体もまた変えることはできません。
だから、運が悪くて不幸な人生を送っている占い師は、自分の運が不幸だということは占えても、それ自体を変えることはできないわけです。もっとも、その占いとて当たっているとは限りません。
結局のところ、前提としての「ホントに占いが当たるなら」という条件自体が的外れであって、「占いは外れることもある」という前提で考えなければ話にならないわけです。
だから、本当のことを言ってしまえば、「全てあなた次第」としか言いようがありません。これぞ、神が人類に与えたもうた「自由意志」というものでもあるのです。人間は自らの宿命には逆らえないが、自由意志によって生きることは許されているのです。
件の手相占い師が自分の占いが当たらないということを自覚していたのかどうかはわかりませんが、「全てあなた次第」という言葉は、占いのことをよく理解しているからこそ出てくる言葉だと言ってもいいでしょう。
適当なことを言っているようでいて、実は当を得た真実であったというわけです。
でも、その手相占い師については、「全てあなた次第」などと言う前に、もうちょっと相談者を納得させられる言葉を言えたらよかったとは思いますけどね。
ツタヤで借りてきたDVD「アリス・イン・ワンダーランド」を観ました。
この寒い時期、2時間近くもの間座りっぱなしでDVDの鑑賞をするのは辛いものがあります。じっと座っている間に体が冷え切ってしまいますからね。なかなか観る勇気が出ずにいたのですが、頑張って観ることにしました。
一応アリスの物語なのですが、主演はマッドハッター役のジョニー・デップということでいいのかな?
昔からよく知る「不思議の国のアリス」とはちょっと違う、少し大人になったアリスのお話でした。
穴に落ちたアリスはワンダーランドの住人たちと出会うのですが、彼らの待ち受けていた「アリス」なのかどうなのかよくわからないようでした。アリス自身も自分がアリスなのかよくわかっていないようです。
最初はアリスがアリスかどうかということが話の中心なのですが、やがてアリスは自分の意志で選択をしてワンダーランドの中で行動してゆくようになります。
でも、最後には宿命に従って落とし前をつけたというような感じかな。
自分が何者かということを探し求めたり、自分で人生の選択をするという決断を下したり、それでもやっぱり運命とか宿命といったようなものに取り込まれてみたり。
主題にはっきりとした結論のようなものが見えない映画でしたが、そうやってみんな大人になっていくんだよとか、人生ってそういうもんだよっていうことをなんとなく伝えようとしているということでしょうか?
そんな風に考えさせられることもちょっとはありましたが、そういうことはあまり難しく考えず、やっぱり「夢の中のお話」だと思って純粋に楽しめればいいと思います。たぶん、それが正解じゃないかな。「夢の中のお話」の映画。
不思議の国のアリスって、そういうお話だもんね。難しく考えるものじゃないと思います。
最後に現実世界に戻ることで救われるのです。このコンセプトは私の「占いの部屋」にも通じます。
面白い映画でした。
鑑賞後、体はすっかり冷え切ってしまいました。
(これが映画という「夢」の世界から覚めた私の現実です。)
寒かったけど、両手は脇の下にはさんで温めていたのでそれほど辛くはありませんでした。
常に氷のようなパソコンのキーボードやマウスの上に両手を置いている方がよっぽど辛いですね。
2013年大晦日のテレビ番組の視聴率のニュースをちらほらと見かけます。
私は普段あまりテレビを観ないのでよくわからないのですが、やはり紅白歌合戦の視聴率が圧倒的に高かったようですね。
視聴率で二番目だったのがダウンタウンのガキの使いやあらへんでSPとかいう番組かな。
実は、あまりテレビを観ないと言いつつも、この年末年始はワンセグでテレビをつけて、机の横において何となく眺めていました。
一応番組表を見て面白そうな番組をチェックしながら観ていたのですが、大晦日は「ガキ」以外に面白そうなものがなかったので、仕方なくそれを見ていたといった感じです。
紅白は昔から全く興味がなくて、今まで一度も視聴したことがありません。今年は事前の情報で割と話題になっていたのは知っていたので、ほんの少しだけ「観てもいいかな」とか思っていたのですが、結局ガキにしてしまいました。
ガキについても、正直あまり面白いとは思わないのですが、大晦日なのにくだらないことやってるなぁというような思いでただ眺め、聞こえてくる笑い声などでなんとなく大晦日の雰囲気を味わっていました。
こんなつまらない番組でも高視聴率を取ってしまうなんて、よっぽど他に面白い番組がなかったんだろうなと思います。事実、この私ですらこれしか観るものがなかったのですから。
ところで、視聴率ってどんな仕組みになってるんでしょうね?
昨年は話題のドラマなどがあったりしてテレビを観ている人もまた増えてきたのかななんて思ってましたが、そうはいっても今の時代、やはりネットの動画やレンタルのDVDなんかを見るのに忙しくてテレビの視聴者数自体は相対的に減ってきているのではないでしょうか?
そんな少ない視聴者数からさらに視聴率を奪い合ったところで、果たしてそれが本当に世間の興味の傾向を正確に示しているのかどうか怪しいものです。
もしかしたら、視聴率なんてものは、テレビ局がお金で買っているものじゃないかと思うこともあります。権力のあるテレビ局や芸能事務所やなんかが裏で操作して、視聴率で世間の話題を引き付けようとしているのかもしれないと。特にドラマなんかではそう思いますね。半沢直樹って何ぞや? あまちゃんって誰が見てるの? ってな感じで。
なんかね、本当に面白い番組を作ることよりも、視聴率操作にばかり気を取られているような気もします。
それではとても面白い番組などできませんよね。
そんなことだから、「ガキ」みたいなつまらない番組が大晦日に高視聴率を取ったりするんだろうなぁ。
「ガキ」という番組の存在は悪だとは思いません。むしろ、こんなつまらない番組で視聴率を取れるような番組作りをしていてはダメなんだという皮肉として、他の番組制作者に警鐘を鳴らしてくれていると思うべきなのかもしれませんね。
ちなみに、正月番組は実にのんびりしたものです。特に「お正月はこれ」というものが今はなくなってしまったのかもしれませんね。
進撃の巨人というアニメを観たのですが、まるでゾンビ映画のようでした。
このアニメに出てくる巨人は人間の敵なのですが、人間を喰うことが行動原理の全てであり、知性や感情はまったくありません。しかも、人間を喰うといっても、自らの生命維持に必要な食料というわけではなく、巨人たちは何も食べなくても生きていけるのです。人間を喰うのは殺戮が目的だといわれています。
片やゾンビとして知られているものは、主にその原典とも言うべきアメリカ映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(ジョージ・A・ロメロ)などによってイメージが定着していますが、やはり人間を喰うことが行動原理となっています。ゾンビは元々が人間ですが、ゾンビ化すると知性や感情は失われます。彼らは死体なので、理屈的には人間を喰ったとしても消化吸収されることはないと思われますが、やはり生命維持に必要だから喰うというわけではなく、殺戮が目的だということになるでしょうか。
巨人は肉体を破壊されても瞬時に再生してしまいます。弱点である首の後ろの一部分を切断することで殺すことができます。
ゾンビには肉体の再生能力はありませんが、脳を破壊されるまでは活動し続けることができます。
いずれにしても弱点を突かれない限り、肉体を破壊されても不死身という点で共通しています。
進撃の巨人についてはアニメや原作が完結しているわけではなく、結末は不明で物語のテーマもよくわからないのですが、その生態がゾンビとよく似ているというのは面白いと思いました。
作者があえてゾンビをモチーフにして巨人のイメージを作り上げたのか、たまたま似てしまったのかはわかりません。
ただ、ゾンビの生態については最近ちょっと気になっていて(実は巨人の方にはあまり興味がない)、仮にそれがドラキュラやフランケンシュタインのようなフィクション(創作)の怪物に過ぎないとしても、なぜそのような怪物が作られ、多くの作品に登場するほどの人気を得て定着することになったのか、とても不思議に思います。
恐怖を演出するためのイメージを突き詰めた結果がゾンビだったのでしょうか。
ゾンビのモチーフとなったのは黒魔術の人体蘇生術によって蘇った死者ですよね。ヴードゥー教の儀式などが知られているようですが、実際に死者が蘇ったかどうかはともかく、宗教的には意味のあるものとして実在していると言ってもいいと思います。
バイオハザードという映画ではウィルスに感染することでゾンビ化するので人間だけでなく動物もゾンビとなって襲ってきますが、一般的にはゾンビとなるのは人間だけです。なぜなら、死んだ人間に襲われるのはとても恐ろしいことだからでしょうね。死んだ動物に襲われるのはそれほど恐怖を演出できません。死そのものに対する恐怖心も関係しているのかもしれません。
人間が怖い、死ぬことが怖い。そういう思いが、ゾンビという存在を生み出したのでしょうか。
ルパン三世のテレビスペシャルが放送されるという情報がどこかのブログに書かれていたので、ちょっと調べてみると、金曜ロードショー「ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ」という番組でした。放送局は日テレです。このあたりではテレビ信州ということになりますけどね。
実はつい先日、DVD の「ルパン三世 風魔一族の陰謀」を借りてきて観たばかりだったので、新作のルパン三世はどんなものかと気になりました。それに、ここしばらくテレビを見ていなかったのですが、わけあって近々テレビを見る予定があります。その放送局がちょうどテレビ信州だったので、アンテナの調整がてら久々にテレビでも見てみようかという気になったというわけです。
ちなみに私の部屋にはテレビはありません。2 台あるデスクトップパソコンのうち、普段は使っていない古いほうのパソコンに TV チューナーが内蔵されていて、パソコンの画面上でテレビを見れるようになっています。ただ、パソコンは 2 台でも 1 つのモニター(ディスプレイ)を切り替えて使っているので、テレビを見ながら新しいパソコンのほうで同時に作業するといったことはできません。それがわずらわしくてテレビを見なくなったのかもしれませんが……。
とりあえず、今回のテレビスペシャルの感想ですが、せっかく期待して観た割には残念な内容でした。いまいち盛り上がりに欠けていて、だらだらした感じです。何より栗田貫一さんのルパン三世ではどうしても役不足なのです。栗田貫一さんも頑張っているのだとは思いますが、おそらくは、頭の中に作り上げたルパン三世のイメージを無理して演じようとしているのでしょう。そのため、そのイメージの枠から自由になれずに、ルパン三世の魅力が完全に死んでしまっているのです。はじけるようなギャグもなければ、シリアスな場面での渋い台詞もありません。だいたいどの場面でもワンパターンな声になってしまっているのです。次元や五エ門などの貫禄のある声優陣との絡みも栗貫ルパンとではいまいち息が合っていません。
もうひとつ気になったのは不二子ちゃんの声です。声優さんは昔と同じですが、なんだかテンポがのんびりした感じになっていて、おばあちゃんみたいな声になっていました。やっぱり年には勝てないんでしょうか。それとも、今回はたまたまこんな風に演じていただけなんでしょうか。
次元は相変わらず渋いところを持っていきましたが、五エ門のギャグもなかなか面白かったと思います。何より今回は、偶然にも数日前に「ルパン三世 風魔一族の陰謀」を見たばかりです。「風魔一族の陰謀」では五エ門はギャグ一切なしの渋い役で、しかもほぼ主人公です。この超シリアスな五エ門を見た後で今回のテレビの五エ門を見ると、そのギャップがさらに際立って楽しめます。
ところでこの「風魔一族の陰謀」は、ルパン三世だけでなく、その他の登場人物の声優も総入れ替えされている特殊なバージョンのルパン三世です。山田康雄さんもまだ存命中に作られたものだそうですが、私もまだ観たことがありませんでした。声優が変わるとどんな感じになるのだろうと思い、興味本位で借りてきたのでした。
風魔バージョンの声優さんたちもほとんどがどこかで聞いたことがあるような声ばかりでしたが、意外と違和感なくルパン三世になじんでいて好感が持てました。
ルパン三世の声は「ガンダム」のカイ・シデンや「北斗の拳」のシンを演じた古川登志夫さんでした。あまりに自然にルパンを演じていてびっくりしてしまいました。この人のルパンを聞いた後で栗貫ルパンを聞くと、栗貫ルパンがいかに不自然かというのが良くわかります。
五エ門の声は塩沢兼人さんです。塩沢兼人さんも亡くなってしまいましたが、渋くてかっこいいキャラを演じる、とても美しい声の持ち主でした。
このままの声優陣でルパン三世の新作もどんどん作ればよかったのにとも思うのですが、やはり山田康雄さんが存命中はむずかしかったのかもしれませんね。詳しい事情はよくわかりませんが。
なんだか声の話ばかりになってしまいましたが、アニメにとって声っていうのは、それだけ重要なものなんでしょうね。声優さんがどう演じるかによって、その作品のイメージもがらりと変わってしまう。
声の力もなかなかあなどれません。