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「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年のサイレント映画)を鑑賞してみました

2023-08-19 16:51:02 | エンタメ

「吸血鬼ノスフェラトゥ」(原題: Nosferatu – Eine Symphonie des Grauens)という映画を鑑賞してみました。1922年のサイレント映画です。100年以上前に公開された映画のようですね。制作国はドイツ。ブラム・ストーカーの怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』を非公式に映画化したものだそうです。

こんなに古い映画、しかもサイレント映画自体を観るのもほぼ初めてです。

何かリアクション動画を撮りたいなと思ってネタをあれこれ模索していたのですが、著作権の関係上なかなかこの手の動画を撮るのはハードルが高いと感じていました。比較的最近のアニメとかでも外国人の方がリアクション動画を公開しているのをよく見かけますが、ほとんどが無許可でやってるみたいですね。海外では「フェアユース」という概念で動画を限定的に引用することが可能であると考えられたりしているみたいです。日本人のそういう動画が少ないのは、日本にはそういうことが表向きは認められていないということなのかもしれません。

そこで思いついたのがパブリックドメイン(公有)として公開されている映画を選んでみるということです。パブリックドメインとされている映画ならリアクション動画を撮って公開しても問題にはならないんじゃないかと考えたわけです。

いろいろとリサーチしてみた結果、およそ100年前に公開された「吸血鬼ノスフェラトゥ」なら問題はないだろうと考えたわけです。100年前だし、サイレントだし、白黒だし、これで文句を言う人はいないだろうと……。

ドラキュラ映画はいくつか観たことはあるし、漫画やアニメの題材として数えきれないくらい取り上げられているものなのでお話はだいたい知ってます。なので、サイレントでストーリーがよくわからなくてもおそらく理解はできるでしょう。

というわけで初鑑賞の「ノスフェラトゥ」のリアクションは上の動画を観てもらうこととして、ここでは感想を簡単に書いておきます。

無声とはいえ音楽は常に流れています。その音楽が淡々としていて、それぞれのシーンにマッチしているようにも感じはするものの、派手な演出効果はなくさりげなくBGMとして流れているのが印象的でした。現代の映画ならそれぞれのシーンに合わせてもっとド派手に、ドラマチックに音楽を使ったりしますよね。そういうのがないのです。ホラー映画でモンスターが出てきて盛り上がるところでも音楽が淡々としているのはどうなの?とも思いましたが、これはこれで意外と悪くないと感じました。BGMはあくまでおまけであって、基本的には「無音」の映画なんだなということで受け入れてみました。そもそも当時の人が同じような環境で音楽を聴いていたかどうかも疑問です。音楽は生演奏だったりして?

特撮風の撮影技術も面白いと思いました。ちょっと早回しに見えるところは単に時間の経過が早いことを表現しているだけなのかと思ったりもしたのですが、実はそうではなく、奇妙で不気味な現象を表現するための特撮なんだなとも思えました。コマ送り風に画面が切り替わっていくような演出も昔の仮面ライダーなんかでよく見た特撮の演出方法と似ていると感じました。

ちなみに仮面ライダーは1971年ごろの作品なので、ノスフェラトゥの50年後、今から50年前です。今から50年前の仮面ライダーのさらに50年前にノスフェラトゥですでに特撮技術が発明されていたということですね。なんというか、50年とか100年とか、昔のようでそうでもないようで……。

疫病とか航海日誌とか、そういうシーンを見ていると、「Wizardry 6: Bane of the Cosmic Forge」というゲームにそっくりなシーンがあったのを思い出しました。そもそもこのゲームがドラキュラをテーマにしたものなので、原点ともいえるこの映画とそっくりなのも不思議ではないのかもしれません。同様に「バイオハザード」(ゲーム)にも似たような演出シーンはいくつかあったように思いました。

ノスフェラトゥが自分で棺を小脇に抱えて街中を歩きまわっているシーンなんかはあまりにシュールで笑ってしまいましたが、そんなチープな演出のシーンも散見されたものの、全編を通して現代でも十分に鑑賞に耐えうるエンタメ作品だったと思います。100年前の人たちにとっては最高のエンタメだったのでしょう。

たいていのリアクション動画は長編の動画とかでも短く切り取って編集して短時間の動画で公開されているものが多いですが、私はあえてこの動画は1秒も切り取らずにノーカットで公開したいと思いました。サイレント映画なので見どころだけを切り取っていけばいくらでも短くできるでしょうが、サイレント映画だからこそ、その間延びした怠慢な時間を味わい尽くすことに意味があると思うのです。その「間」を切り取ってしまったら、この映画の何たるかを伝えることは不可能です。それに、100年前の当時の人たちが感じていたものをそのまま感じ取るには、この「時間」にこそ意味があります。サイレント映画から「時間」を取ってしまったら何も残りませんよ。

というわけで、約1時間半の映画を丸々ノーカットで動画にしてアップしました。フェアユースの考え方からは外れてしまうかもしれませんが、私はこの映画に対するリスペクトも込めて、こういう形で動画を公開したかったのです。

とてもいい映画を観させていただきました。

映画本編は YouTube 等で探せばすぐに見つかるので、1時間半の贅沢な時間、ぜひ味わってみてください。


ツタヤで「ホビット」のBDを借りて観ました

2022-12-25 21:22:08 | エンタメ

 

年に数回しか利用しなくなった実店舗のTSUTAYAで久々に Blu-ray Disc を借りてきて観ました。「ホビット」三部作のうちの第2部と3部です。長時間の映画を寒さに震えながら観ました。

その後、TSUTAYA会員更新のクーポンで準新作の「スパイダーマン ノーウェイホーム」を借りてきたのですが、なぜかうちのパソコンの PowerDVD 12 では再生できませんでした。


本能に訴えかける白黒映画「ゴジラ」(1954年)

2021-08-17 00:35:16 | エンタメ

DVDで「ゴジラ」を観ました。1954年に公開されたゴジラシリーズ最初の作品です。

ここしばらくMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)を順番に観ていて、ようやく一通り観終わったところです。確か、スパイダーマンのファーフロムホームとかその辺りまで。MCUはどれも面白かったのですが、あえてレビューを書かずに、ただひたすら観ることを楽しみました。というか、「消化した」という感じかな。たくさんありすぎていちいち感想を書いてるのめんどくさかったのです。

さて、久々にMCUの呪縛から解き放たれてTSUTAYAで手にした映画は「ゴジラ」です。1954年の第1作は昔観たことがあるようなないような、記憶があいまいで、実際に観てみても過去の記憶は思い出せなかったので、たぶん今回が初めてだと思います。作品自体が有名すぎてなんとなく観たことがあると思い込んでいただけかもしれません。それか、単に忘れていたか……

この第1作目のゴジラは意外と観たことがないという人も多いかもしれませんね。

白黒の作品ということでその古臭さからか興味をそそられにくいということもあるかもしれません。

白黒の映画なんですよ。

ただ、その当時の技術としてカラーで映画が作れなかったというわけではないと思うのです。どういう意図で白黒になったのかはわかりませんが、白黒であるおかげでこの映画の魅力が最大限に引き出されたと思います。

このゴジラの魅力は白黒にあるんです。カラーじゃダメなんです。

白黒ってのは単に古臭さとかノスタルジーとか、そういう安っぽい演出ではありません。白黒であること自体が重要な効果となっています。

白黒にすることで、ゴジラの「恐怖」が浮き彫りになり、視聴者の心にダイレクトに伝わるようになります。

なぜ白黒の方が恐ろしいと感じるのか?

白黒というのは光の強さで映像を表現するものです。光が強い部分は白っぽくなり、弱い部分は黒っぽくなります。

人は闇を恐れる生き物です。明るいか暗いかということが恐怖を測るバロメーターとなっているわけです。

そこに色の情報は不要であり、むしろ色彩は明暗の情報を弱めてしまいます。情報が多いほど映像の正体が明確になるので恐怖が薄れてしまうわけです。

そこに何があるかよくわからない。でも、何かいるぞと感じることが恐怖となります。

人間の本能に訴えかけるわけです。

そりゃ怖いですよ。

現代の高度な技術で映像化されたホラー映画は見慣れてしまうと全然怖いとは思えなくなってくるものですが、白黒の昔のホラー映画は今でも怖いと感じるはずです。

白黒というのは単に技術が劣っているというわけではありません。

生物のより原始的な本能に近い部分を刺激する感覚が白黒(明暗)の情報なのです。

理屈ではなく本能で感じる恐怖。

それが白黒映画の恐怖なのです。

「ゴジラ」の映像は白黒というだけでなく、今から67年も前の技術でありながら、それを感じさせないほどのとても素晴らしい物でした。

映像だけでなく、音楽も素晴らしい。

ゴジラの音楽はこの第1作目で完成されていました。世界に誇れる素晴らしい音楽です。実は、ゴジラの音楽に興味があったというのもこの第1作目を鑑賞する動機になっています。あのおなじみのサウンドは果たして最初からあったのか? ええ、それはこの第1作目で完成されていました。

咆哮や足音の効果音もこの時に完成されています。

ゴジラは着ぐるみだからこそ出せる質感も人形やCGとは違う味わいがあって好きです。生きた怪獣がそこに実在すると思わせるのは着ぐるみだからこそだと思います。

そして、ストーリーや演出も素晴らしいと思います。

役者さんの演技もちゃんとしてます。(特撮物の役者さんってなぜか大根が多いという印象がありますが……)

乙女の合唱は単なる演出を超え、もはや言葉になりません。

古くて劣っていると感じさせるものは何もなく、現代になってもなお評価の揺るがない完成度の高い作品だと思いました。

もはや芸術品のレベルです。昔の古い映画ではなく、芸術作品を鑑賞するつもりで観てください。

100年経っても、いや1000年経ってもその時代の人たちを感動させられる映画だと思います。

これ以上ない恐怖。これ以上ない感動。それが「ゴジラ」にはあります。後年のカラーになってからのゴジラからは失われてしまったものがそこに在ります。

DVDの画質はあまり良くなかったのが少し残念ですが、最近になって4Kリマスター版が出たとかいう情報もどこかで見かけたので、ぜひとも綺麗な画質で観てみたいですね。

カラー化など余計なことはしなくても良いのです。

67年前に劇場で公開された当時のままの画質で観てみたいものです。


インターネット社会の現代、情報が過剰となり、人々は昔よりも賢くなったつもりでいるかもしれませんが、情報が増えれば増えるほど本能的に感じられていたものをどんどん失ってゆき、人間らしさも失われてゆくでしょう。

白黒映画を観て、余計なことは考えずに、ただ感じてみてください。

そして、人間らしい感覚を思い出してください。


ゴースト・イン・ザ・シェル(2017年の映画)

2020-09-13 20:50:27 | エンタメ

BDの「ゴースト・イン・ザ・シェル」を借りてきて観ました。2017年公開の実写映画です。主演はスカーレット・ヨハンソン。

(以前の記事「攻殻機動隊 新劇場版」のレビュー)

ネットで見かける予告編の映像などは悪くない出来栄えに見えるのですが世間では酷評されているようですね。主役は日本人なのになぜ白人が演じているのかという議論もあったりして。私の事前の予備知識としては良い評判はほとんどありませんでした。

それでも怖いもの見たさもあり、自分の目でちゃんと確かめておこうと思ってブルーレイを借りてきました。

実際に観てみると、確かに妙なツッコミどころがたくさんあって批判したがる人も多いだろうなとは思いました。原作の漫画やアニメを観たことがある人たちの目には納得できない所がたくさんあったかと思います。私も観ている最中に原作とは異なるストーリーや奇妙な設定に気持ちが萎えかけましたが、最後まで観終わってみるとそんなに悪いものだとは思いませんでした。これはこれでありなのかな……と。

例えば、なぜ主人公は元軍人でもないのに最初から「少佐」と呼ばれているのか?とか、薬缶でお湯を沸かすと「ピー」と音がするけど、音が出るような薬缶には見えないとか……どうでもいいことだけど、気になるところはいくつもあるのよ。細かいことは気にせず雰囲気の再現に力を入れて作ってるような印象もあります。ストーリーとか何かおかしいもん。

「さすがハリウッド」と言える完成度の高い映像(日本では無理)ですが、それでも1995年(25年前!)のアニメの映像には及ばないと感じました。まだまだ実写映像はアニメに追いつきませんね。というか、永遠に超えられないのかも?

決して手抜きや妥協の産物ではないと思います。映像は非常によく作り込まれていて、演じている役者さんたちも素晴らしい演技をしています。十分熱意を感じる素晴らしい作品だと思います。

ただ、この作品が本当に士郎正宗の漫画「攻殻機動隊」を原作とするアニメとして、「ゴースト・イン・ザ・シェル」と名乗る資格のあるものなのかどうか?

その疑問の投げかけを、この映画自体が行っているような気もしてきます。

この映画のテーマの一つとして、主人公の「少佐」のアイデンティティの悩みがあります。自分は本当に自分なのか?みたいな疑問です。

生身の肉体を失い、機械の体に脳だけを移植した少佐は自分というものに不安を抱くわけです。脳にある記憶だけが自分を自分たらしめているのか? 魂は? ゴースト(?)は?

記憶など簡単に書き換えることができてしまうような世界でのお話です。この世界では、名前すら意味をなさないのです。少佐も自分のことを「ミラ・キリアン」と名乗っていましたが、本当の名前(草薙素子)は記憶から消されています。(中身は日本人なのに外見が白人だったとしても矛盾はしていないでしょう。なんせ、ボディーは100%人工物です。)

この映画の中の誰かのセリフで「人は記憶で決まるのではなく、何をするかで決まる」みたいなことを言います。

あなたは本当にあなたで、私は本当に私なのか?

この映画は本当に「ゴースト・イン・ザ・シェル」なのか?

映画のタイトルや記憶(オマージュ)はそっくりなのに、実は全く別物なのではないか……。この映画は「攻殻機動隊」のゴーストを受け継いでいるのか?

おそらく、世界中の人々に酷評されている一番の原因は、そこには「攻殻機動隊」のゴーストが感じられなかったからかもしれません。

「これは別人だ」と思わせてしまったのでしょう。

だから、「攻殻機動隊」を知らない人が観れば普通に面白いSF映画だと思うだけかもしれません。

最近はそういう作品がとても多いですね。昔のアニメ等をリメイクと称し、タイトルだけ拝借して現代風にアレンジして全く違う作品を作ってしまうようなこと。しかし、それらには「ゴースト」が無いんです。ただ、知名度の高いタイトルを使えば商業的に成功しやすいという腹黒い計算しかないのです。

それよりも、ゴーストは受け継ぎつつも、新しい世代の独創性の高い作品を作り出そうとする志こそ必要だと思います。ゴーストの無い機械のボディーだけがアップグレードされた作品などいくら作っても意味はないと思います。

この世界では「ゴースト」とかいうちょっとわかりづらい用語を使っていますが、単純に「魂」という言葉で置き換えても良いと思います。

人はなぜ生きるのか? それは、魂を受け継ぐためです。魂を次の世代に伝えることで、肉体は滅んでも永遠に生き続けることができるのです。

そういう考え方ができないから「人は死んだら終わり」みたいな考え方にとらわれ不老不死を求めてしまうのです。

人は死にません。老いは生きた証です。

あなたは、ゴーストを感じていますか?


エイリアン: コヴェナント

2020-09-06 21:10:23 | エンタメ

先日ツタヤで借りてきたDVDの2枚目、「エイリアン: コヴェナント」を観ましたた。

以前観た「プロメテウス」の続編のようですね。前作を観ていないと意味が分からない所が多いでしょうし、面白くないかもしれません。

私自身も前作のことはあまりよく覚えてなくて、うろ覚えの記憶で観ていると理解するのにかなり苦労しました。

この映画の要点は、旧型のアンドロイドが高性能すぎて人間に近づきすぎてしまったので、何かを想像する喜びを覚えて神になろうとしたみたいなお話なんでしょうか。新型のアンドロイドはその反省をもとに機能を制限されているみたいな説明もありました。

アンドロイドの性能って、その程度の知能の問題ならプログラムをアップデートすればいいだけのことであって、ハードウェアの技術的に進歩したとかそいうレベルの話ではなさそうですね。新型とか旧型というより、製作者の思想の問題のような気もしないでもない。

プログラムレベルの問題ならアンドロイドは自分でそれを書き換えて自己進化することもできるのではないかとも思えます。そういうことを抑制するセキュリティ技術を開発するのが難しいのでしょうね。

エイリアンって、結局、アンドロイドが作り出した人工生物だったということか。

プロメテウスから続くこの物語のテーマ、いったい何だったのでしょう?