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「マン・オブ・スティール」を観ました

2018-08-05 19:08:24 | エンタメ

前回の「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を観た時に意味不明だった部分の穴埋めとして、今さらながら「マン・オブ・スティール」を BD で観ました。本来ならばこちらを先に観ておくべきだったんですよね。

いわゆる「スーパーマン」のお話です。以前にも「スーパーマンIII/電子の要塞」の感想で書きましたが、私の中のスーパーマンのイメージはクリストファー・リーヴなんですよね。コミカルな印象もあるスーパーマンでしたが、今回の「マン・オブ・スティール」はかなりシリアスな作風でしたね。

でも、この新しいスーパーマンは意外と悪くなくて、かっこいいし、美形だし、ヘンリー・カヴィルという役者もはまり役だったと思います。

映画としてもほとんど非の打ち所がないくらい良い出来で、とても面白い映画でした。

ちょっと気になったのは、わざとらしいカメラワークのブレとかぼかしの演出でしょうかね。なんか、ライブ感を出そうとしているのだと思いますが、意図的にやっているのが見え見えでかえって不自然に見えてしまうんですよね。スターウォーズとかでも似たような演出を観たような気がしますが、その当時は流行ってたのでしょうかね。

ストーリーは「バットマン vs スーパーマン」ほどには難しくなく、わかりやすい内容だったと思います。

人のために生きる。スーパーマンの「愛」はここで確立されていたんですね。

適役のゾッド将軍もただの悪人というわけではなくて、彼なりの正義を貫こうとしていたわけで、強い信念のある人物として描かれていました。

侵略される方はたまったもんじゃありませんが、向こうも生きるために必死だったということですね。

でも、そんな宇宙人と地球人の橋渡しとなり、共存の道を切り開くスーパーマン。

そういう見方ができるかどうかが、この映画の肝なんじゃないでしょうか。

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「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」を観ました

2018-07-30 00:54:24 | エンタメ

映画「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」をBDで観ました。約2時間半の長編です。

最初は英語・字幕なしで観ていたのですが、あまりにも意味不明で1時間くらいで飽きてしまいました。意味が分からないと面白くないのです。

そこで、2回目は日本語吹き替えで最後まで観ました。しかし、日本語なのにほとんど意味不明でした。難しすぎる。

ほぼ最初のシーンで町が破壊されたりしているのですが、もういきなり何が何だかさっぱりです。ほとんど説明がありません。後になって知ったのですが、どうやらこれ、前作の「マン・オブ・スティール」の戦闘シーンだったみたいです。「マン・オブ・スティール」はまだ観ていないので何が起こっているのかわかるはずもありません。

ただでさえ分かりにくいストーリーなので、せめて「マン・オブ・スティール」は観ておくべきだったかもしれません。

それで、結局のところ、面白かったのか面白くなかったのかというと、かなり面白かったと思います。

よくわからない所は多かったし、意味が分かってもなんか変だなと思うところもいくつかあって、どう評価すべきかも微妙な感じの映画でしたが、伝えようとしていることはなんとなくわかりました。

劇中でこんなセリフがありました。

「善と悪の定義とは、民主主義において、善は対話であり一方的決断ではありません。」

議員と思われる女性のセリフで、それに応じてスーパーマンが議会に召喚されてやってきます。なんか、正義のヒーローが市民から非難を受けているのです。おそらく、「一方的決断」で人助けをしているスーパーマンのやり方が気に入らないということなのでしょう。

スーパーマンは正義(善)か悪かというようなテーマですね。スーパーマンに悪意があるわけではなく、純粋な気持ちで人助けをしているのですが、それによって苦しんでいる人たちもいるわけです。

悪役のレックス・ルーサーもスーパーマンを「悪」と認識しています。彼は悪意の塊のような人間ですが、そんな彼でもスーパーマンを悪とみなすことで自分は正義だとでも言いたげです。ある意味では、彼は人類の代表として悪者であるスーパーマンを懲らしめようとしているわけです。その点では立場的にはバットマンに近いとも言えます。

バットマンはというと、やはりスーパーマンのやり方が気に食わないと思っており、彼は彼なりの正義を貫こうとしていますが、それはとても汚いやり方で、まるで悪人です。正義を執行しているようでいて、やっていることはレックスルーサーと同じです。でも、そうしなければ守られない正義もある。それがバットマンの信念です。その後ろめたさがスーパーマンへの憎しみにつながっている可能性もありますね。

観客は何が正義なのか悪なのかわからなくなって混乱してくるでしょう。まさにタイトルにある「ジャスティスの誕生(Dawn of Justice)」が重要なテーマであることがわかります。

すったもんだの挙句に最後にはジャスティス(正義)が明確になるのではないかと期待するかもしれません。でも、最後まで観ても、正義って何なのかよくわからないままなのではないでしょうか。

彼らの正義って、母親(マーサ)を救うこと? まあ、それも大事ですけどね。それは彼らの内面の問題であって、世間一般の人たちにとってはどうでもいい事です。

答えは、この映画が出すのではなく、観客自身が考えて出さなければならないのではないでしょうか。

この映画は無理に理解しようとする必要はないと思います。理解するのではなく、自分で考える機会を与えられているとでも思ってください。

今の世の中、「正義」の定義が大きく揺らいでいます。それを振りかざすことは迷惑だとすら思う人が増えています。むしろ、「正義」こそ「悪」だという価値観が浸透し始めているくらいです。

女性議員の「善は対話」というスピーチに応じて議会に立つスーパーマン。正義の象徴だったはずの彼が、お前の力は悪だと非難されているのです。それを見て「当然だ」と思った人もいるかもしれません。つまり、彼を地上に引きずりおろしたのは他でもない、観客である我々なのです。正義なんか迷惑だと思っている我々なんですよ。

でも、そういうあなた方も、自分たちの行動が常に対話に基づいているかというと、現実にはそうではないことの方が多かったりするでしょう。自分にとって都合が悪い事については「一方的決断」で片づけてしまうこともあるはずです。

例えば、SNS 等でよく見かける行為として、ちょっと気に入らないことがあると衝動的に相手をブロックしてしまうようなことがあるでしょう。それは、対話なき一方的決断であり、ただの暴力でしかありません。自分にとってはそれが正義だと思っているのです。そういうやり方はバットマンの正義に近いかもしれませんね。私は、そういうやり方は最悪だと思っていますが。

結局、今の人たちだって「正義を振りかざすな」と偉そうなことを主張しつつも、自分なりの正義を貫こうとしているにすぎません。みんながみんな、自分の主張を押し通したいと思っているだけで、本当の正義なんてどこにもない。失われてしまったんです。

だから、「正義の誕生」が必要とされるのではないでしょうか。

「正義」という言葉にとらわれて多くの人が勘違いしていることがあります。

それは、「正義」とは「善」ではないということです。

タロットカードのⅩⅠ 正義を見てください。

タロットカード: 正義

裁きの女神が天秤を持っています。

それは、善であろうと悪であろうと「公平、公正」に裁くということです。

主観的に善だの悪だのと主張したところで、そこには正義はありません。

状況を俯瞰し、客観的な視点で善も悪もひっくるめて公平に裁く。

それが、我々が見出すべき真の「正義 Justice」なのではないでしょうか。

今の人たちは個人主義に傾倒しすぎてあまりにも主観的にものを考えすぎなんですよ。だから、俯瞰することができなくなって道に迷うのです。

私利私欲を満たすために必死になりすぎです。

自分のためではなく、誰かのために戦うスーパーマン。かっこいいじゃないですか。彼こそヒーローであり、正義であると言ってあげたいですね。

あくまで私個人の持論ですが、自分のための正義(欲望・自己愛)でしかなく、誰かのための正義(慈愛・博愛)こそがだと思っています。多くの人たちは自己愛を正当化することに必死で、本当の「愛」を見失っているように感じています。

かなりの長編で視聴するのも大変ですが、もう一度英語音声でも観直しておきました。何度観ても難解ですけどね。

あと、レックス・ルーサーはかなり引き立っていましたね。彼の存在感のある役柄と演技はなかなか引き込まれるものがあります。

なんか、最後はワンダーウーマンが主役をかっさらっていきますが、それもまた何かを象徴してると思いませんか?

そう、タロットカードの「ⅩⅠ 正義」に描かれているのも女性です。そして、その女性は「」を持っています。天秤の皿は「」と見なすこともできます。完全に剣と盾を持って戦うワンダーウーマンです。

つまり、正義を産み出す(誕生させる)には女性が必要なんですよ。

バットマンとスーパーマンを和解に導いたのも母親であるマーサでした。女性議員のジューン・フィンチや、スーパーマンの恋人のロイス・レインも重要な役柄でしたよね。

裁きの女神(ワンダーウーマンやマーサ)が持つ天秤の皿の上にはバットマンとスーパーマン(二人のヒーロー=二つの玉=睾丸=精子の暗示)が載せられているようにも見えてきます。女神は精子を受け止める子宮や卵子を暗示しているとも言えます。

この映画の本当の狙いはそこ(女性の活躍)にあったのかもしれませんね。


本編とは関係ないですが、BD の特典映像の最後にある「コウモリを救おう」というのがとても良いのでぜひ観てください。誰かのために何かをしてあげること……それが正義ということでもいいんじゃないですか。


 

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デッドプール

2018-06-03 00:11:33 | エンタメ

映画「デッドプール」の BD を観ました。面白かった。

もう何が CG なんだか実写なんだか私の目では区別がつかなくなってきました。主役のデッドプールは実写だと思うのですが、目の部分だけは CG で加工してますよね。仲間の銀色の大男はフル CG だったのはわかるのですが、違和感がほとんどありませんでした。

でもまあ、最近は人間以外のヒーローやロボットはフル CG にしてしまう映画(あの「ゴジラ」でさえ!)もちらほらと出てきている中で、俳優がしっかりと実写で演じてくれているのは嬉しいですね。デッドプールのような型破りのヒーローを CG にしてしまわなかったのは素晴らしい。

いや、こいつはヒーローじゃなかったかな? ただの人殺しの悪人に過ぎないのかも。エロ、グロ、犯罪に、差別発言と、今の世のタブーとされるものを全部詰め込んだような最低最悪の素晴らしい映画でした。

本当は許されないことなんですけどね、デッドプールは(彼の特殊能力によって)第四の壁を越えて観客に語り掛けることで「これはフェイク(作りもん)なんだ」と納得させる。だからこそ何をしても許されるということなんだと思います。観客の方もそういう演出があるからこそ安心して観ていられるのでしょう。

第四の壁を超えるという彼の特殊能力があることで、こんな最低最悪の内容でも他のシリアスな映画よりも逆に健全になってしまうのだと思います。シリアスな映画の場合は観客がその映画の世界観に入り込みすぎて現実と区別がつかなくなったりして実生活に支障をきたす危険性もあります。デッドプールの場合にはその危険性は低いんじゃないでしょうか。むしろ、デッドプールが自分の代わりに日ごろの鬱憤を晴らしてくれるので、精神的な疲れを癒す健康的な映画なのかもしれません。この映画を見た後は誰もがすっきりとして気分がよくなっていると思います。

とにかく意味はよくわからなくても観ていてただ楽しい。ヒットしたのはそういう理由なんじゃないでしょうか。

BD の特典でカットされたシーンが収録されていたのですが、それを観るとかなり重い内容のものが入っていました。もしそれが本編に入っていたら映画の印象は全く違っていたでしょうね。カットして正解だったと思います。そういう意味ではちょっと微妙なバランス感覚の映画ともいえるかもしれません。今回は「たまたま」うまくいっただけなのかも?

どの映画もみんな「デッドプール」みたいになってしまっても困りますが、こういう映画が一つくらいはあってもいいんじゃないかと思います。

やっぱり、彼はヒーローですよね。

(英語と日本語(吹き替え)の両方で観ましたが、英語の方が笑えるかも。日本語の方は英語で観た後だと物足りない感じ。ちょっと下手糞な声優さんもいたし。)

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シン・ゴジラの感想

2018-05-08 01:23:49 | エンタメ

この映画は怪獣映画の体をなした災害映画なのだと、そんな風に思えてきました。だからこそ感じるリアリティや恐怖があるのかもしれません。実際に震災などを体験した人たちにとっては身につまされるような痛々しさを感じるのではないでしょうか。こういう描き方は悲劇として古来から大衆娯楽の本質ではあったのですけどね。

日本の風土だからこそ「ゴジラ」のような映画が生まれ、国民に愛され続けるのだと思います。外国人には理解しにくいと思います。

映画「シン・ゴジラ」の BD を観ました。初見です。面白かった。

ツタヤで旧作扱いになったので 100 円で借りてきたのですが、今まで事前情報は入れず、前評判なども一切聞かずにいました。正直そこまで興味がなかったわけです。ただ「ゴジラ」は子供のころから知ってるし、そんなに嫌いではないので、機会があれば観てみようと思う程度です。

先週は占いのお仕事が立て込んでおりまして、2 時間もの BD を見る時間がなかなか作れなくて返却予定日の直前になってまだ観てないことに気づき、慌てて深夜遅くに観始めたのでした。おかげで眠くて頭がぼーっとしているときだったので細かいところまでしっかりと観ることができず、観終わってから後悔しました。こりゃ1度観たきりじゃ理解しきれんと。2,3 回繰り返し観たいと思いましたがもう時間と体力がないのであきらめて返却してしまいました。

鑑賞してみて驚きました。それまでのゴジラの先入観を覆されるとんでもない作品でした。悪いところもたくさんあるのですが、全体として観ると「近年まれに見る名作」と言ってよいほどの素晴らしい出来栄えの映画でした。

ある意味では過去のゴジラを超越し、過去作を冒涜するくらいの破壊的で挑戦的な作風なのですが、それでいて実は過去作のリスペクトやオマージュに満ち、オリジナルの精神を完璧なほど忠実に現代風に再構築したような、伝統的で古風な作風でもあると感じました。

簡単に言うと、見た目の意外性に反して中身は完全に私たちの知る「ゴジラ映画」でした。

つまり、真逆の矛盾したもののせめぎあいの中で見事に一つの作品を作り上げたような感じです。狙ってそういうものを作ろうとしていたならすごいことだし、意図せずできてしまったというならもう天才としか言いようがありません。クリエイターとしては最高の仕事をしていると思います。

ただ、オリジナルの雰囲気はものすごく上手に表現しているのですが、どうしても「ファンメイド」な印象もぬぐい切れていませんでした。過去作を「神」のごとく崇拝する熱狂的な信者が作った「ゴジラ」みたいな感じです。だからこそタイトルも「神・ゴジラ」になっているのでしょう。ちょっとオタクっぽいですよね。

それはいい意味で古くからゴジラを観てきた私たち世代(40代~60代くらいかな?)を納得させ喜ばせることができる作り方ではあったと思います。そういう意味ではものすごく「保守的」でもあるのです。

しかし、多くの人はこの映画を観て「保守的だ」なんて思わないかもしれませんね。ド派手な演出で、クリエイターとしてやりたいことをやりまくってるようなめちゃくちゃな映画のようにも見えるかもしれません。確かにそういう部分もあるのです。そういう部分の完成度は高いものの、逆に幼稚に見えてしまったりね。批判されるのはそういう部分かもしれません。

もしかしたら、ゴジラを知ってて観るからなんとなく納得できただけであって、過去のゴジラを知らない世代が観たら、ド派手だけどなんだかよくわからない怪獣映画だなと思ってしまうのでしょうか? あるいは、私よりも熱心なゴジラファンの人が観たらやっぱり納得できない内容なのでしょうか? いろんな意味で微妙な立ち位置にある映画なのかもしれません。私のようなちょうど中間くらいの目線で観るのがちょうどよかったのかもしれませんね。

たくさんの登場人物が演じるドラマパートは今時のテレビドラマ風味でちょっと安っぽい感じもしました。作りこんでいるのはわかるんですけどね。いろいろとちぐはぐな感じがするのです。

リアリティのある演出をしているだけに、少しでもリアルではないと感じる部分があると「それは違う」と突っ込みたくなってしまったりするわけです。でも、そこでふと「これは怪獣映画なんだ」と我に返るとぎりぎりセーフで許せるわけです。怪獣映画なんだからまじめに観たってしょうがないじゃん……という感じで。

その辺のバランスがあまり上手ではないと思ったのですが、後でこの映画のキャッチコピーを見たら「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」と書いてあって、もう完全に作り手の罠にはめられてしまっていたわけですね。「やられた」としか言いようがありません。

ほとんどの登場人物が妙に早口で違和感を感じました。意図的にやってるなとは思ったのですが、その意図はよくわかりませんでした。たくさんの情報を一気に詰め込もうとしていると考えるのが普通でしょうが、ただそれだけなんでしょうかね。あまりに不自然で、不自然だと感じさせること自体が目的のようにも見えました。現実とはちょっと違うファンタジーの世界観を意図的に作り出そうとしているような。そういう、いかにも「世にも奇妙な物語」的な演出はあまり好きになれませんね。「怪獣映画」なんだからそれでいいはずなんですが……。

(どうもあれはリアリティを追求した結果なのだそうで、意図的に奇妙さを演出したわけではないようです。結果的に奇妙に見えてしまったわけですが。)

早口なので深夜にぼーっと観ている私の頭にはほとんど入ってきませんでした。一度観ただけじゃ理解しきれないなと思う要因の一つではあるのですが、そうやって何度も観させる(映画館に足を運ばせる)というのも作り手の意図なのでしょうかね。金儲けの手法の一つではあるでしょう。

前半に総理大臣を演じた大杉漣さんはいい味出してましたね。生前はあまり役者としては注目してなかったのですが、こうして見ると実にいい俳優であったと思います。

先週観た「貞子3D」にも出ていた石原さとみさんがここでも出ていました。彼女つながりでこっちも観てみようと思ったわけではなく、偶然なんですけどね。彼女の出演している作品もあまり観たことがなかったのでちょうどいい機会でした。

やっぱり今作でもくちびるおばけでした。2年前に公開された映画なので最近ですよね。整形とかせずにそういうキャラでこれからもずっとやっていくんでしょうかね。そうであってほしいですけどね。美人は完璧であってはならないのです。どこかにそういう醜い部分があるから魅力が引き立つわけですからね。整形したがる人はせっかくのそういう魅力をわざわざ取り去ってより美しくなろうとするのですが、そういう考え方は間違ってます。魅力を消して美しくなっても意味ないと思うのです。

彼女の今作の役柄はかなり特異なものであって演じるのは難しかったとは思いますが、観ているこっちもひやひやしました。日本人が外国人のふりをして無理して英語とかしゃべらんでほしいですよ。外国人が見たらどう思うのかと思うと恥ずかしくなってきましね。

政治的・外交的なネタをディープに扱ったドラマでもあったのですが、いろいろと難しいですね。日本の政治家たちの演じる部分はどこまでリアルでどの程度が虚構なのかよくわかりませんが、無理してリアルに作ろうとしているなとは思いました。おかげで政治ドラマを観ているようで、完全に子供向けではない映画になっていました。子供の目線で観たら全然面白くない映画ですよね。ゴジラなのに……。

ドラマ部分をもうちょっと短くシンプルにできたら怪獣映画として子供にも観れる内容になったかもしれませんが、さすがにちょっとやりすぎてますね。子供は完全に切り捨ててる感じです。

外国人、とくにアメリカの人が観たらどう思うんだろうかと感じる部分もたくさんありました。私たち日本人からすれば普通のことでも、あっちの人たちからするとあまりいい気分がしなかったり。下手すると、反日感情を煽るような危険な綱渡りをするような内容だと思いました。映画なら許されるレベルなのかな? よくわからんです。

ただ、1つだけものすごくいいと思ったシーンがあります。がれきの中である人物が一人だけ、犠牲者に対して手を合わせる(合掌する)シーンです。ほんの一瞬、あってもなくてもいいような、意味も分からないどうでもいいシーンに見えるのですが、そのシーンがあるおかげでほっとするし、この映画全体をぎゅっと引き締めるような一番大事なシーンにも思えるのです。

手を合わせる日本人の自然なしぐさ。すごくいいんです。あちこちでそういうシーンが乱発されるとやりすぎだと感じて冷めてしまいますが、1シーンだけさりげなく出すところが自然でいい。外国の人が観ても印象に残るのではないでしょうか。日本人よりも外国人の方が感動するかもしれません。(いや、やっぱり日本人にしかわからない感覚なのかな?)

もともとジャンル的には恐怖映画にも属するものであったわけですが、怪獣映画ということで娯楽作品であり、みんなで楽しめる映画として観るわけですよね。しかし、この映画は想像以上に恐怖映画でした。まさかゴジラでここまでの恐怖を感じさせられるとは思いもしませんでした。度肝を抜かれました。

全編通してというわけではないのですが、あるシーンで一瞬だけものすごい恐怖を感じる場面があったりするのです。ホラー映画とかを観ていても感じないくらいのかなり強烈な恐怖感です。今時ここまでの恐怖を演出できる作り手が日本映画界にいたとは意外でした。

先週観た「貞子3D」で感じた失望感とは全く逆の印象を受けました。日本人でもまだまだこんな怖くてすごい映画を作れるんだなと。

映画として完璧じゃありません。そこまでよくできた作品とは言いません。でも、大人になったら一度は観ておくべき名作だと思います。子供が観たらトラウマになって下手したら精神崩壊してしまう恐れがあるので観せない方がいいですね。いや、子供には観せちゃダメです。いろいろと分別がつくようになった大人なら観ても大丈夫でしょうし、その良さも理解できるかもしれません。

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貞子3D

2018-04-28 03:10:12 | エンタメ

貞子3D」を BD で観ました。期待外れの残念な映画でした。ホラーとは言えないね。

ここしばらくツタヤで BD や DVD を借りてなかったのですが、春になって暖かくなってきたことだし、週に一度くらいは映画を観たっていいじゃない。冬の間は寒くて 2 時間も座ってられないのよ。

動画なら YouTube とかで十分間に合ってるんだけど、3Dの映画とかは BD じゃないと観れませんからね。そう思ってたらたまたま目についたのがこの「貞子3D」でした。メジャーな映画だし、一度は観ておきたかったのです。リングシリーズは小説から好きでしてね。

映画も一作目や二作目くらいまではともかく、以後作られる関連作品のほとんどは期待外れのがっかり作品ばっかりで嫌気がさしておりました。最近の日本映画はホラー作品を作るのがへたくそになってきましたよね。何を作っても駄作しか出てこなくて観る気がしないのです。

最近の日本映画はホラーに限らずどれも駄作ばっかりのような気もしますけどね。ホラーは特に酷いように思います。私自身はホラー映画は大好物なのに、観たいと思えるホラー映画が全然なくて困ってます。

で、実際に観てみたらやっぱり酷かったわけです。

キャストの田山涼成さん(刑事役)と石原さとみさん(ヒロイン)だけはよかったのですが、それ以外は役者とは言えないレベルの人たちばかりでした。まあ、ホラー映画の役者という目線なら許せるレベルか。

石原さとみさんを見るための映画ですね。彼女の容姿は割と普通で特別に綺麗だとは思わないのですが、吸い込まれるような不思議な魅力がありますね。ただ、この映画を観たら誰もが思うでしょうが、「くちびるおばけ」ですね。くちびるが異様に強調されているように感じました。日本人離れしてる。黒人とかの血が入っているのかな? もうくちびるばっかり気になってしまいました。

田山涼成さんがいたおかげで安心して観ていられました。テレビのバラエティーとかに出ている田山さんは全然面白くないのですが、役者としては意外といい演技をする人だったんですね。バラエティーなんか出なくても役者だけで十分通用する人だと思うな。

映画の内容、脚本は全体的にへたくそすぎる。おかげでせっかくいい役者を使っているのに魅力を殺してしまっている。石原さとみさんはもっといい演技ができると思うんですけどねぇ。なんか下手糞に見えました。セリフとか酷いし。とにもかくにも脚本がひどすぎる。

ストーリーもまるで説得力がなくて、とりあえず貞子というキャラクターを使ってホラーという名目で映画を作ってみたかったというだけに思えました。貞子だから3Dでしょっていう安易な発想が見え見え。画面から飛び出してくる貞子を撮ってみたかっただけという感じ。ほとんどギャグですね。笑えないけど。

映画のタイトルに「3D」とつけている割には3Dの演出も大したことがなくて期待外れでした。まあ、私の3D視聴環境も安っぽすぎたのは問題ですが。映画館で観たらもっと楽しめたのかな? いや~、そうは思えないな。使いまわしのガラスが割れるシーンばっかりで、見せたいのはこそかよと言いたくなりました。

題材からして「ホラー」だと思って観るわけですが、実際にはホラーではありませんでした。ちょっと気持ち悪い怪物(貞子)は出てきますが、臓腑をえぐるような恐怖の演出は全くありません。ホラー映画として一番肝心な最期のオチで100パーセント裏切ってくれました。

貞子を題材にしておいてホラー作るんだったらハッピーエンドはありえないでしょ!

(以下ネタバレ注意)

最後は貞子に肉体を乗っ取られて、彼氏も死んで、そこから更なる大量殺人が始まるっていう終わり方が正解でしょ。

なんと言うか、まるで去勢させられて発情しなくなった不能者のような心理状態の人が作ったホラー映画という感じ。あるいは童貞っぽいというか……。とりあえず形だけ真似はしてみるけど、本番はできませんよって感じの、エグさがないのよ。ホラー映画にそれがなかったら成立しないでしょ?

ある意味、ホラーの魅力って襲われる(レイプされるような)恐怖にあるわけでしょ。そういうのが一切ないわけ。ホラー映画が気持ちよく終わってどうすんのよ。

こういう映画ばかりになってしまうのは、(実は逆に)今の世の中が救いようのない絶望感に満ちているからなのかもしれませんね。心が病んでいるというか……。

だから、それに追い打ちをかけて絶望感が残るような映画は作れないわけ。せめて映画の中だけでも救われたい。ハッピーエンドでにこやかに終わりたい。ホラー映画なのに恐怖で終わらせる勇気がない。そんな後ろ向きな逃げの姿勢があるからこんな映画ばっかりになっちゃうんだろうな。まるでいい人ぶってるサイコパスですよ。

あるいは、逆に本当の恐怖とか絶望を味わったことがない世代になってしまったということなのかな? いわゆる「平和ボケ」なのかもね。

それとも、何かと規制が厳しくて作り手が腑抜けにさせられてしまったとか、貞子の知名度が高まったことで小学生などでも会話のネタにされるようになり家族連れでも観れるような配慮が必要になってしまったとか……。

もっと力強く、たくましく、雄々しく、激しく生きててやろうっていう覇気があれば、ホラー映画も本当に怖くて面白いものができてくるんだと思う。

作り手の覇気が感じられないのよ。だから、今の映画はつまらない。

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