宇宙へのツイッター

踏まれた足を退けることが出来るまで
.
.
.
URLを残されたコメントは非表示となっております

小心者のつぶやき

2016-12-08 08:10:02 | 日記

電車を乗り継いで1時間は要するところへ 12時までに行かなければならない日の朝の ハプニングである

起きて うがいをすると 舌の先に異物を感じた
恐る恐る確認すると どうやら歯に詰めてあった金属が取れたらしい

行きつけの歯医者さんは予約制だし このままだとバイキンが入りそうで 朝ごはんを食べるのも怖いし 何しろ時間がない

ともかく歯医者さんに電話してみると 「10時までに来れるようなら」 とのことなので 駅前に自転車を一時預ける覚悟で 家を出た
無事に治療が済み 時間は十分に余裕があるので 自転車を置いてから出直そうと 家に戻った

こういう時に 機転が利かないって言うか 要領が悪い っていうか 

冷静になれば 12時の約束は遅れることを伝えるなり後日に変更も可だし 朝ごはんの1食くらい抜いても どうってことないし 歯医者さんが予約制と言ったって 融通が利くことも分かっているはずだけど どうもハプニングに弱くて パニックになってしまうのだ




ヤマボウシの紅葉


小林麻央さんのブログを 読ませていただくことがある

今の生き方も 女性としても ブログとの向き合い方も どれをとっても 私より ずうっと お若い年齢のかたから 教わることばかり

いつも 読み終えてからの 後味が良い

それは 私だけではないらしいことが メディアから 伝わってくる




食用する時期に出遅れた実


歯に詰めた金属が落ちたくらいで 朝ごはんをどうしよう! 12時の約束をどうしよう! と 慌てふためいて どうする!

こんなことを戒めようと思い編集画面にログインしたら 前日の訪問者数に100いくつとあった
私のブログにしては 珍しいことである

ポジティブならよいけれど 100人を超えるかたの後味が気になる小心者でもある




こんな老後も

2016-12-05 09:01:13 | 日記

昨夜の雨は いつの間にか止んでいて まだ雲は多いが 昨日よりも さらに暖かい朝 ハタラキバチさんを玄関前の歩道で見送った


この人のことだから このまま引っ込むことはないと思っていたけど 
夫の携帯電話が 現役中よりもフル稼働していると思ったら やはり 新たな職場から お呼びがかかったのだ
健康保険やら年金やらの手続きは完了して 再び手続きしなおす煩わしさを超えての選択である

周囲の同年代は 真面目に働いてきたご褒美で 週に1日か2日のアルバイトとか 毎日が日曜日の悠々自適だったりとか 年齢に相応しいシニアライフを楽しんでいる知友人が ほとんど
 
しかし 
小学5年生の時 遠足に訪れた先で心奪われるものとの出会いがあり 「そこに立ってるだけでもいいから その場所でできる仕事がしたい」 と 家に帰るなり息弾ませて 母親に将来の夢を語った ・・・ と 義母から聞かされていた

そんな夫が 花束に記念品 そして 寄せ書きの色紙やカードを抱えて帰宅した日
それらを画像に収めはしたものの その日の夫の心を透かし見る私の思いを 言葉にするのは阻まれた

ただ その陰で 「この人は このまま家にいる人ではない」 という気がした




ミニバラ3株を寄せ植え


家庭を ないがしろにする人ではなかったけれど 一歩 玄関を出たら お父さんでも夫でもない
携帯電話のない時代 いえ もし あったとして 子供が40度の熱を出しても 連絡することは出来なかった
病気の子を置いて出勤した日に 仕事先から心配の電話があると どんなときでも 「元気だから大丈夫」 と伝えた

ペナルティがゼロではないけれど 家族と同じくらいに仕事をも大切に思っていることを知っていたし そんな人間であることが誇りでもあったから

しかし 定年の時は訪れ

そして
今 また 小学5年生の時に出会った 生涯の相棒と向き合う日々





このところ ランチタイムになると しょっちゅう夫から呼ばれていた娘に 「お父さんが仕事を始めたから もう お昼ご飯の招待はないわよ」 と 伝えると
「その年齢で お父さんってすごいね! 資格と人脈? それから やる気! 性格 ね!」 と

なるほど 資格 人脈 性格 
夫の 三つの 《ク》 
仕事が大好きなシニアの こんな老後も いいかな

私の 千葉県あたりの海岸ばたでの老後の暮らしは また遠くなったけど




魅せられた発表会

2016-12-04 22:41:52 | 日記

芸術の秋から あれこれ舞台での お披露目が 立て続きだが 今日は二胡演奏を楽しませていただいた

オープニング は 舞台に勢ぞろいした生徒さんによる 合奏

曲目の ≪スケーターワルツ≫ は ともかくとして 魅かれたのは プロの楽団かと勘違いしそうな衣装だった

和服と違い 二胡の本場のチャイナドレスは 袖ひとつとっても 有ったり無かったり ラッパのように広がっていたり 筒状だったりと さまざまなはずだが 今日のみなさんは 色違いではあるが同じデザインのチャイナドレスを纏っている

プログラムには 個人の発表の何曲ごとかに合奏が組まれていて その都度の奏者が お揃いのドレスで登場して圧巻な舞台演奏をご披露
そして ソロの演奏では それぞれに個性的なチーパオに着替えての演奏を聞かせてくれて 電車を乗り継ぎ二時間近くかけても 行った甲斐があるというもの


数日前に 二胡の周囲を整頓していたら いま使っている二胡の保証書が出てきて懐かしくなり 製作者をネットで検索したら 偶然に ≪沈琳≫  が ヒット

沈琳さんと言えば忘れもしない 私にとって二胡の恩人である

私が 質の良い二胡を求めたいということが どこでどう伝わったのか 分からないのだけれど
お会いしたこともない 今では名前も思い出せないかたから電話があり 良い二胡が手に入るチャンスがあるけれど いかがですか とのこと

あの頃は いまほど日本での知名度が高かったかどうかだが 沈琳さんが 一時 中国へ戻るのだけど その際に2本だけ二胡を持ち帰るので そのうちの1本を譲っていただけるということだった

そのときの私は 精神的に弱っていて 二胡のレッスンは中断し その後も続けるかどうかは分からなかったが 所持するだけでも価値があると思い その幸運をゲットしたのである

それから何日かが過ぎて 横浜の何かの施設の一室で 二胡を受け取りに 沈琳さんとお会いしたのが 最初で最後
生徒さんの人数は 今日ほどのことはなく 我が家まで出張もできるようなお話もあったような記憶もあるが そのときは続ける意思が固まらなくて それっきりになってしまった 

今日は舞台上でのお姿と一方的にお目にかかることができ あのころから少しフックラしたような気もしたが 愛くるしい日本語と お顔立ちは変わらず 
私とは おそらく親子に近い年齢差だと思われ フィナーレでのクリスマスソングメドレーを 舞台いっぱいの生徒さんと共に演奏なさる姿に 意味もなく胸がキューン 

どうか 今後も 益々のご活躍をと願って 陰ながら私も ご恩を忘れず レッスンに励むに心機一転の思いを得たのであった




ナンチャッテ歴女の落第

2016-12-01 15:02:36 | 日記

たまたま通りかかったところの掲示板で 講座 「女城主 井伊直虎」 の受講生募集 を見つけた

井伊直虎とは 来年の放映が予定されている NHK大河ドラマのヒロインである
これを受講しておけば 来年の大河ドラマが 分かりやすいのではないか?
しかし
その日 お財布の中身は乏しく 帰りの交通費はパスモで賄えるとしても ギリギリ昼食代を残して どうにか受講費を納めることができたのだった

その時点で
受講者は お若い歴女さんたちが過半数を占めると思っていたのだけれど 開講してみれば ほとんどが私よりも年長者で 歴女どころか それを上回りそうな歴史のエキスパートかと思われるメンバーも

募集のパンフにあった講師のかたを 私は存じてなかったのだが なんと あの小和田哲男氏と共に 《おんな城主 直虎》 の時代考証を担当されているという著名人

戦国時代や幕末が面白くて仕方ないナンチャッテ歴女は 中学校で社会科の授業を受ける気持ちで臨んだところが すでに落第の兆し
歴史番組の街頭インタビューで 「篤姫と言うと?」 とマイクを向けられた通行人が 「宮崎あおいさん」 とか 「薩摩の人」 という回答を聞き
あらぁ~! 私に聞いてくれたら 100個くらいは篤姫について語ってあげるのに
なぁんて 傲慢な気持ちを抱いたことが恥ずかしく 穴がなければ穴を掘ってでも潜りたい現在の心境ながら せめて一つでも二つでも 直虎さんについて知ろうと頑張ってみることに

今日から12月



花屋の友から クリスマスの花が届きました


  
瑠璃山年録残編裏書

3月(建武3年)
都ヲ将軍落給 同8月 又責登テ都ヘ入給
同9月下旬 井責ニ美差大郎下テ中条殿ウチ取



講座での ほんの ほんの 一部に過ぎないけれど 私が得た絶大なる知識である


瑠璃山年録残編の裏書
瑠璃山は浜名湖の北方に位置する

建武3年3月に 将軍・足利尊氏は九州へ行った
同8月(実際には6月らしい) 再び入京し
同年9月下旬 
井伊城を責めるために下った美差大郎が中条殿を討ち取った

美差大郎は南朝 (大郎=太郎)
中条は三河の武将
中条と井伊は同盟関係にあり北朝


たった数行の裏書から探り出す 南北朝時代における井伊の歴史

講義は チンプンカン! の ナンチャッテ歴女なのだが 少しでも知れば面白い

このような文献を紐解く時代考証の方々の ご苦労は いかばかりかと憂慮しても もしかしたら ものすごく楽しい作業ではないかと勘繰ってもいる劣等生である