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日本歴史紀行

歴史紀行 地域版 43  高尾天神社  〜東京都八王子市〜


高尾天神社 

高尾天神社参道

拝殿

菅原道真公像

みころも霊堂
高尾天神社に隣接する産業殉職者の慰霊(いれい)と御霊(みたま)を合祀し、上皇、上皇后陛下におかれましては三度、行幸の折に訪問されました。



高尾天神社


東京都八王子市挟間町栗山 御衣公園


東京都心から、電車で一時間弱という近距離と、標高599メートルと、比較的 軽装でも楽しめるという気軽さから、世界一の登山者数を記録したこともある八王子市の高尾山。


その高尾山の玄関口であるJR 、京王電鉄 高尾駅南口から徒歩で約15分で御衣(みころも)公園に着きます。

1921年 大正10年、文神として崇められてきた菅原道真公の銅像建立をという気運が高まり、国から予算も計上され、銅像の作者には、日本橋の獅子、麒麟(きりん)の像等を手掛けた彫刻家の渡辺長男(おさお) 氏に決まり、建立実現に向けて動き出しました。

しかし、原型が完成したものの、大正12年9月、関東大震災が発生し、東京は未曾有の被害を受けました。

この国難の事態に銅像の建立計画は中止されました。

1930年 昭和5年、永らく放置されている鋳造の原型を忍びなく思っていた彫刻家の渡辺氏は自ら鋳造を再開して像を完成させました。

翌年の昭和6年、大正天皇の御陵治定記念事業が持ち上がります。

皇居には、南朝の忠臣 楠木正成 像。
明治天皇の伏見桃山御陵には、日露戦争の乃木希典 像と、シンボルマークがあることから、大正天皇の御陵にもと声が揚がります。

そこで注目されたのが、大正天皇が信仰していた天満宮の祭神 菅原道真公でした。

かつて一人で道真公像を鋳造した渡辺長男 氏に白羽の矢がたちました。

しかし、募っていた寄付金が底を尽き、またも計画は頓挫してしまいます。


1936年 昭和11年、八王子市初沢地区の有力者により、初沢山系の栗山が公園用地にと八王子市に寄贈されたことをうけ、独自に工事を行い、最初の鋳造から15年の月日のかけた菅原道真公の像が建立されました。


高尾天神社は、1983年 昭和58年、道真公像のある栗山に建立された比較的新しい神社です。


祭神はもちろん菅原道真 公、文神 道真公にあやかろうと、新年三が日には、合同進学祈願が行われます。





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