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日本歴史紀行

歴史紀行 地域版 86 - 6 坐漁荘 元老 西園寺公望 邸宅跡 6


坐漁荘 元老 西園寺公望 邸宅跡
静岡県静岡市清水区興津清見寺町


西園寺 海外へ

1870年 明治3年
いずれ留学し、政治、法学を学びたいという思いを胸に、長崎へ遊学に出た西園寺でしたが、長崎広運館での長崎遊学はわずか7ヶ月で打ち切ります。



フランスへの勤学辞令が太政官から降り、官費留学生としての内報が出たのです。


明治3年10月
西園寺は京都御所内の西園寺邸へ赴くと内報を受け取り、すぐさま上京、手続きを済ませて横浜港からアメリカ船籍のグレード·レパブリック
号に乗船し、太平洋を横断してのアメリカ経由でヨーロッパ、フランスへ渡ることとなります。


アメリカ、サンフランシスコの地に降りた西園寺は、無数の船が港に停泊し、盛んに荷役の往来があり、街では馬車、蒸気車が道路を行き来し、商店や芝居館といった市民のための娯楽施設が軒を連ね、一般市民は建ち並ぶ4〜5階の高い建物に住む…今日の日本で当たり前の光景がアメリカにはありました。


同じグレート·レパブリック号には、イギリス留学へ向かう北白川宮能久親王(孝明天皇の義弟、)と少弁務使、森有礼〜(もり ありのり、後の米国日本代理公使)が同乗し、森の斡旋から、ホワイトハウスに招かれ、西園寺はグラント大統領と面会し、日本の朝廷とは違い、前例や身分別の差別もなく、親王と同時に大統領と面会した経験は、アメリカ政府が形式にとらわれない淡白なものだと振り返りました。


自らの眼で、無尽蔵な産業と洗練されたアメリカという巨大な国家を目の当たりにした西園寺は、幕末の江戸幕府の倒幕へと変遷していった海外からの夷狄を排除するといった攘夷思想が、如何に国外の事情を知らぬ稚拙な思想であったかを思い知らされたのでした。


太平洋横断からアメリカ大陸を東へ移動した西園寺は、今度は大西洋を渡ってイギリスへと向かいます。


7へ続きます。




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