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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 31 桶狭間の戦い 1 元康、運命の戦場へ


松平元康 騎馬像
愛知県岡崎市康生町 岡崎公園



桶狭間の戦い 1

元康、運命の戦場へ


永禄三年、このころ 織田信長は、父信秀の箕裘(ききゅう〜父祖の業)を継いで、尾張をほぼ統一し、兵を鍛えて国を富ます計略をめぐらせて、美濃、伊勢を切り取り従わせ、駿府、遠江、三河をも実力で奪おうと、手始めに鳴海の近辺のあちこちに砦を設けて兵を配置したという。

これに今川のお館殿は大変怒り、
〜ならば自分から機先を制して尾張を攻め取り、ただちに国の中央に旗を立てるべし〜


とおっしゃり、国境のあちこちに新しい要害を設けて兵を配備した。


なかでも、大高城へは、信頼のおける一族にあたる鵜殿長照を留めておいたが、この城は敵地に近いため、軍の兵糧を運ぶ手段がなかった。

家の宿老達を集めて評議したが、このことを成し遂げようと引き受けるものは一人もいなかった。

そこでお館殿は元康君をお召しになり、苦境を打ち明けた。

すると元康君はわずか十八歳でいらっしゃったが、けなげにもお受けになった。


元康、義元、信長。
後に〜桶狭間の戦い〜と呼ばれる三人の運命を大きく変える合戦が迫りつつある。





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