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日本歴史紀行

大河ドラマ どうする家康 紀行 1 国宝 久能山東照宮 1





久能山東照宮 一ノ鳥居

高さ6・5メートル、柱の直径は60センチにもなり、大正4年4月17日、東照宮三百年祭に奉納されました。東照宮への参詣はここから始まります。



世界中がコロナに苦しんだ 2022年が明け、2023年 令和5年を迎え、1週間が過ぎました。


紀行ブログを書いてる僕も、去年は史跡巡りを目的とした旅行は、1月に奈良から始まり、暮れの12月に愛知県岡崎市までと、奈良、京都、東京、神奈川、埼玉、茨城と、関東、関西に集中しました。

明けた令和5年も、コロナの猛威はさらに広まり、もはや通常の生活を送ることすら感染に最大限の注意を払わなければならない毎日となるでしょう。

紀行ブログですから、各地を巡って史跡探索をして記事を投稿したいところですが、コロナ前の様に好き放題 各地へ出向くことは、自分の感染リスクを高めることになることから、難しいです。


ですが、今年の大河ドラマは、崇敬する徳川家康公を主人公とした〜どうする家康〜

ドラマに沿った史跡を掲載します。

今回は、初回〜どうする桶狭間〜の最後で紹介された国宝 久能山東照宮を掲載します。

番組で紹介された通り、国宝 久能山東照宮は、自分の遺骸を納める地は久能山に埋葬せよと、徳川家康公が指示した地です。

ここは、かつて久能寺として創建された古刹がありましたが、武田信玄公が駿河を侵攻した際に要害の地として久能城として城塞化しました。

やがて徳川氏が駿河を領有すると廃城としました。








国宝 久能山東照宮

静岡市駿河区 根古屋






一ノ門 から駿河湾の景色





一の門






門衛所
江戸時代、この門衛所は徳川譜代家臣の榊原清政に連なる榊原氏(四天王 榊原康政の兄の系譜)が代々 与力を配置して警護しました。これは長年 忠節を尽くした清政に徳川家康が命じました。







勘助井戸

久能山城時代、甲斐武田氏の山本勘助が掘ったとも伝わる33メートルの深さにもなる石垣井戸です。


2に続きます。



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