石狩灯台
北海道 石狩市 浜町
北海道一の大河、石狩川の河口は、古くから港としての役割りがあり、江戸時代には徳川御三家の水戸徳川家の二代藩主 徳川光圀(水戸黄門)が交易船 快風丸を派遣してアイヌと交易した記録もあります。
元禄元年(1688年 )3月4日、常陸 那珂湊を出港した快風丸は、この河石狩川の河口から遡上し、様子を見に来たアイヌと出会いました。
石狩灯台と石狩川河口
最初は三千石船の快風丸に警戒したアイヌ民達でしたが、降りてきた船員たちが酒を振る舞ったことで たちまち千人ほどが集まりました。
そして船員たちは水戸から積み込んできた米や酒と、アイヌが持ち寄った鮭 約一万尾と交換しました。
江戸時代後期には灯台の前身といえる常夜灯が設置されて船乗りの安全を確保されていましたが、明治時代になると河口に出入りする船も増えたため、1871年 明治4年に灯台の設置が決められ、1892年明治25年に点灯しました。
映画
喜びも悲しみも幾年月 歌碑
1957年 昭和32年、石狩灯台は、佐田啓二、高峰秀子 主演で、灯台守りの夫婦の人生を描いた映画~喜びも悲しみも幾年月~の舞台となりました。
当初、白黒2色の灯台は、普及が増え始めたカラー映画の色彩効果を増すために、特別に白と赤の2色に塗り分けられ、これが識別が容易であると船乗りからも評価されたことから、紅白の灯台が定着しました。