天文11年12月26日(1543年1月31日)
戦国の乱世を終結させる最後の英傑 徳川家康が誕生しました。
戦国時代も熾烈を極めていた天文11年に三河国(現在の愛知県東部)の岡崎城で当主、松平広忠に嫡子 竹千代が誕生しました。後の徳川家康です。
戦国時代も熾烈を極めていた天文11年に三河国(現在の愛知県東部)の岡崎城で当主、松平広忠に嫡子 竹千代が誕生しました。後の徳川家康です。
幼少期に母と生き別れ、隣国 駿河国の今川氏の人質となるも、道中 尾張国の織田氏に売られ、更に人質交換で駿河 今川氏へと送られ、多感な少年時代を忍従の日々で送り、太守 今川義元の討死を契機に故郷 三河で独立を果たします。
かつての父の宿敵、尾張国の織田信長と生涯変わらぬ同盟を結び、武田信玄と幾度も苦戦を経験し、信長の死後、破竹の勢いで駆け上がる豊臣秀吉には小牧 長久手の戦いで互角の戦いを繰り広げ、局地戦では勝利して苦手意識を植え付けました。
秀吉の死後、遂に立ち上がり、関ヶ原の戦いで勝利して反対勢力の力を削いで事実上の天下人となります。
1603年 慶長8年2月12日、武家の頂点 征夷大将軍となります。
1615年慶長20年
天下泰平の総仕上げとしての大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、役割りを終えたように翌年 75年の激動の生涯を終えました。