乃木希典大将と辻占売(つじうらうり)少年の像
東京都港区赤坂8丁目 旧 乃木邸跡
大正元年9月13日 乃木希典 殉死
明治時代とは、維新以降に士族が起こした萩、秋月、神風連、西南といった内乱に加え、日清~日露と、2度の国外戦争を日本人が近代化と引き換えに体験した時代でした。
1912年 明治45年 7月29日、明治天皇が崩御され、元号が大正となり、新しい時代を迎えました。
二月近くたった大正元年、9月13日、明治天皇 大喪の礼当日に日露戦争で陸軍第三軍を率いた乃木希典大将が静子夫人と共に殉死しました。
大正時代の到来は、日露戦争で多くの戦死者を出しながらも戦局を左右する旅順要塞攻略戦で二◯三高地を奪取した陸軍大将の殉死により迎えました。
乃木大将と辻占売少年像
今に伝えられる「乃木大将と辻占売りの少年」の逸話は、明治二十四年、乃木希典が陸軍少将の時代にに、用務で金沢を訪れた折りのことです。
乃木は石川県金沢市で偶然、当時八歳の今越清三郎少年に出会います。
今越少年は、富豪の家に生まれましたが、父が亡くなると家計は一変し、少年が辻占売りをしながら一家の生計を支えでいました。
(辻占~つじうら)とは、御籤の付いた菓子で、江戸時代から続くものとして、特に石川県では縁起物として扱われました。
この少年の姿に感銘を受けた乃木は、少年を励まして、金弐円を手渡しました。
今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で犬きな裏績を積み上げました。
この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年に旧ニッカ池~(六本木六丁目)の縁に建立されましたが、
旧ニッカ池の周辺が整備されることとなり、乃木所縁のこの地に移建されました。