北海道鉄道開通起点標
北海道小樽市手宮 小樽市総合博物館敷地内
北海道における鉄道の始まりは、首都圏の
東京 新橋ー横浜間、関西圏の大津ー神戸間に次ぐ国内3番目の鉄道網として、明治政府により計画されました。
北海道における鉄道の始まりは、首都圏の
東京 新橋ー横浜間、関西圏の大津ー神戸間に次ぐ国内3番目の鉄道網として、明治政府により計画されました。
この鉄道網施設の計画の優先度の早さは、北海道内の豊富な埋蔵量を誇る石炭にありました。
1879年(明治12年)
北海道の内陸部にあたる空知地方の幌内炭鉱が稼働を開始し、空知地方で産出される石炭を、当初は北海道最大の大河、石狩川を利用しての船による輸送を計画しましたが、冬季は川が氷結することから見直しされ、蒸気機関車、貨車、客車の輸入と、御雇い外国人、クロフォードを招聘しての技術指導のもと、鉄道網による輸送が決定します。
鉄道敷設指導を行った
ジョゼフ・クロフォード像
1880年(明治13年)1月8日、
まず、小樽港に近い小樽市手宮から札幌間の区間の鉄道路線敷設工事が始まります。
大勢の工事人夫を動員して手宮線敷設工事は急ピッチで進められ、本格的な冬を迎える同年11月28日に開業しました。
旧手宮線跡
手宮線の敷設工事は空知地方でも進められ、小樽、手宮〜幌内間が全線開通したのは明治15年のことでした。
手宮線開通により、石炭輸送は飛躍的に向上し、明治、大正時代の日本のエネルギー産業の中軸を担う役割を果たします。
小樽市総合博物館に展示されている
〜蒸気機関車しづか号〜
小樽市総合博物館には、かつて北海道の路線を走っていた様々な鉄道車両が保存され、明治時代に手宮線を走った(しづか号)は館内にて保存されています。
小樽市総合博物館には、かつて北海道の路線を走っていた様々な鉄道車両が保存され、明治時代に手宮線を走った(しづか号)は館内にて保存されています。
義経号は京都市梅小路鉄道博物館
弁慶号はさいたま市鉄道博物館にて保存。
北海道に導入された初期の蒸気機関車6両は、
1、義経
2、弁慶
3、比羅夫
4、光圀
5、信広
6、しづか
と、伝説、史実と北海道に足跡を残した縁のある人物の名前が使われています。
義経、弁慶、しづか号は、衣川合戦以後、主従が蝦夷地(北海道)に逃れた伝説から。
比羅夫号は、蝦夷征討のために来道した阿倍比羅夫から。
光圀号は、ご存知水戸黄門こと徳川光圀。光圀が藩船、快風丸を蝦夷地へ派遣、アイヌと交易させたことから。
信広号は、松前藩始祖の武田信広から。
手宮線は、後に続々と敷設される鉄道網に編入される格好となり、南小樽駅から先を北海道の鉄道路線の大動脈、函館本線として利用されることとなります。
現在の函館本線
札幌駅
小樽駅
北海道鉄道開通起点標
戦時中の1942年(昭和17年)、北海道の鉄道がこの手宮から始まったことを記念し、手宮駅構内のこの地に起点標〜ゼロマイルポイントが設置されました。
北海道鉄道発祥駅碑
小樽市総合博物館 手宮口前