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日本歴史紀行

歴史紀行 27 伝教大師 最澄 像



伝教大師 最澄 像


滋賀県大津市坂本本町 比叡山 延暦寺


天台宗開祖、伝教大師 最澄は、767年 神護景雲元年、比叡山周辺の坂本の地を領した豪族、三津首氏の子として生まれました。(幼名~広野)

12歳で出家、14歳で得度し、最澄と名を改めました。

仏教の勉学と修行に励む最澄は、奈良でさらに研鑽を重ね、東大寺で250の戒めを誓う具足戒を受け、国家公認の僧となります。

最澄には、大寺での僧になれる栄転の道が約束されますが、最澄は、生まれ故郷の比叡山に籠り、独自の修行に明け暮れます。

最澄 22歳の時、薬師如来を刻み、本尊として一堂を建立します。

この一乗止観院と名付けられた堂宇が、後の延暦寺の根本中堂となります。

この時、仏教により多くの人が永遠に救われる願いを込め、本尊の前に灯明を灯し延暦寺の法灯として始まり、現在も続いてます。

804年 延暦23年、最澄は遣唐使船に乗り、唐国に渡ります。

唐国の天台山に登り、天台教学と密教を学び帰国します。

帰国した最澄は天台宗を開宗し、布教に務めます。
最澄の没後、法然(浄土宗)、道元(曹洞宗)、
栄西(臨済宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(日蓮宗)、といった僧が比叡山で学び、各宗派を開いていきました。

このことから、比叡山は日本仏教の母山と言われます。


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