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日本歴史紀行

歴史紀行 56  五条天神社



五条天神社
京都市下京区松原通西洞院西入天神前


五条天神社は、古来より農耕、医薬、それに禁
厭(まじない)の神として崇められ、奈良時代に大和国(現在の奈良県北東部)宇陀地方で創建された五条天神宮が京の平安遷都の際に移されたとされ、後に後鳥羽天皇が五条天神社と改められたと伝わります。





〜京の五条の箸の上
    
   大の男の弁慶は

    長い薙刀ふりあげて
    
     牛若めがけて斬りかかる〜


〜牛若丸は飛び退いて
     
   持った扇を投げつけて

     来い来い来いと欄干の

      上へあがって手を叩く〜


〜前やうしろや右左

    ここと思えば またあちら

      燕のような早業に

       鬼の弁慶あやまった〜

〜牛若丸〜
作詞、作曲者不詳ながら、この歌は1911年、
明治44年に文部省唱歌として世に誕生しました。

この唱歌は全国の尋常小学校や高等小学校といった公立の学生に広く示したことで、源義経と武蔵坊弁慶の出会いの場所は、五条大橋と多くの人々に浸透しました。

しかし、義経と弁慶が戦ったはずの平安時代末期に五条に橋は架かっておらず、北の四条河原に架けられたのが最初でした。












義経記によれば、二人の出会ったのは堀川通りから南に下った五条天神宮とされ、参拝を終えた弁慶と布で顔を隠した義経が出くわし、太刀を奪い取るべく弁慶が義経を襲いましたが、あしらわれ、翌日も挑むもついに降参して主従の約束を交わしました。




  

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