見出し画像

日本歴史紀行

歴史紀行 地域版 6 匠の里 西里 (奈良県)


世界遺産 法隆寺~金堂、五重塔

匠の里 西里
奈良県生駒郡 法隆寺町


天下人を支えた大工棟梁の集落

法隆寺の西隣には、築地塀の邸宅群がいまも残ります。












この辺りの集落は、西里といい、昔は法隆寺の宮大工が住んだ集落でした。

飛鳥時代、聖徳太子により創建した法隆寺は、西里の宮大工らによって手直しを受けながら その姿を現代の私達に残すことが出来ました。

そして戦国時代の終わり、豊臣秀吉によって法隆寺の宮大工の棟梁が召し出されました。

中井正吉

正吉は大坂城築城や、あの方広寺大仏殿を築いて名声をほしいままにしました。

正吉の子、中井正清

秀吉に仕えた正吉に対し、正清は徳川家康に仕えました。

若くして家康に仕えた正清ですが、父 正吉のように名声を上げたのは、家康が天下取りに動き出してからでした。

家康が関ヶ原に勝利して地位と実力を不動のものとし、征夷大将軍に任じられると、京の二条城築城を正清に命じました。

二条城 二ノ丸御殿



徳川家康の将軍拝賀の礼から始まった江戸幕府は、二条城築城より始まったとも言えるでしょう。

この功績により、正清は従五位下に叙され、大和守となります。

徳川家の大工頭として活躍する正清は、その後も徳川家と所縁の深い知恩院、増上寺に加え、江戸城の増築、さらには家康の隠居城となる駿府城、家康の廟所となる東照宮の創建と、徳川将軍家の威風を体現する役割りを担いました。


いまも名刹 法隆寺の西隣りの集落は、静かに昔の面影を残します。





ランキング参加しています。応援お願い致します!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歴史紀行 地域版」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事