私の母親が、電話口で怒鳴っていました。
泣いていました。
テンくんを連れて出かけることが、心配で仕方ないそうです。
そんなに無理をさせたいのか。
おまえたちはテンくんのことをなんにも考えていない。
ずっとベビーシートにくくりつけておいて、何も思わないのか。
電話ごしに降ってくる言葉は、矢のようでした。
テンくんをベビーシートにくくりつけておいて、なんて、そんな悲しいことを言わないでください。くくりつけるなんて、そんなひどい状況ではないと思っています。多くの赤ちゃんは抱っこ紐やスリング、ベビーカーなどに乗っているでしょう。テンくんが乗っているのも、ベビーカーにもなるベビーシートです。子供のことを考えて作ってあるものです。子供のことを考えて作ってあるものなのだから、そんなふうに「くくりつける」「しばりつける」なんていう発想には、結びつかないものだと思っています。私たちだって、抱けるなら抱いていたいよ。だけどできないから、できないから、できることを考えてそういう手段を選んだのです。これが一番、テンくんにも私たちにもベストだと、考えたから。これが一番、いいと思ったのです。だからそんなふうに、自由を奪っていると、束縛していると、そんなふうに思わないでください。
骨折するかもしれないだろ。
そんなに無理に連れて歩きたいのか。
自分たちが楽しければそれでいいのか。
そもそもそんな小さい子を連れて、お台場やイクスピアリに行くバカがいるか。
おとなしく家で寝かせとけ。
骨折するかもしれないというのは、いつだって付きまとう不安です。それはその通りです。だけど、それを怖がっていたら何もできません。もちろん私たちは、折れるかもしれないと思うことは、やりません。テンくんに痛い思いをさせたいわけじゃない。あたりまえでしょう。あたりまえでしょう?どこに、かわいい我が子に痛い思いをさせようとする親がいますか。私たちはテンくんの安全を一番に考えています。だけどね、折れるかも、折れるかも、と思っていたら何もできません。自分で動くようになってきたし、足や手をバンバン動かすし、寝返りだって頑張っている。それを止めることはできないのです。それはテンくんのためにはならないから。そして外にだって出なければ、心も育っていかないのです。ただ家で、そっと寝かせておくなんてこと、かわいそうでできません。折れるから、折れるから、と、言わないでください。恐怖心を与えないでください。折れるかもしれないけれど、折れないかもしれない。そんなことは誰にもわからないのです。自分で動いているだけで折れる可能性もあると言われているのだから、それでも今のところ折れていないのだから、怖がって何もしないよりも、少しずつできることを増やしていきたいのです。
そんなに孫が心配ならば、なぜ私を守ってくれなかった。私は母に、それを問いたい。どう考えてもおかしいだろうという回数骨折を繰り返していた幼少期、それでも遺伝はしないと言った先生の言葉を信じ、私は障害者だと認められていなかった。だから、私は他の子と同じように過ごしていました。
体が小さいことや、どうしても歩くのや運動がにぶいことをネタにいじめられ、そして体育の時間は骨折するかもしれない恐怖を抱えながら園生活を、学校生活を過ごしていました。
首の骨が折れたら私は終わりだと思いながら、それでもやらなければならなかったマット運動。毎回、でんぐり返しなどをするときは「いちかばちか」でした。鉄棒では両腕を打撲し、背が小さいためにプールでは何度も溺れかけました。
保育園に、学校に行くと思うと吐き気がひどくなり、朝食は毎日食べられず家を出る頃には歯がカチカチ鳴るくらいに震えが始まり、通園、通学途中の道端で吐くこともしばしば。どんなに体育が怖いと言っても、折れるかもしれないからやりたくないと言っても、母は絶対に連絡帳に書いてくれなかった。休みたいなら自分で言いなさい、とだけ言って。保育園に通っている幼い子供が、小学生が、「私骨が弱いので、体育はできません」なんて言って、どれだけの大人が信じるのでしょう。私は受け入れてはもらえなかった。私にとって保育園に行くことが、学校に行くことが、どれほど恐ろしかったか。そんなに孫を心配するのなら、どうして私を守ってくれなかった。あの時の恐怖感は、今でも忘れられません。そしてあの時の悲しみも、今でも忘れられません。
骨形成不全だと診断されてからは、母は一変して私を家に、施設に、閉じ込めようとしました。外に行きたいと言うと「折れるぞ」「折れてもいいのか」と言い、折れるに決まっている、それでもいいのかと脅しにかかる。私が私の意志でどこかに出かけたいと思い、実行に移せたのは高校生の頃です。その時も出かけるその瞬間まで、「折れるぞ」「折れてもいいのか」「今からでもやめろ」と言い続けました。骨の弱い私にとって、「折れるぞ」という言葉は何よりも恐いもの。それを知っているから母は、この言葉を言うのです。
テンくんには、私がしたような思いはさせたくない。「折れるぞ」「折れるぞ」と、あたかも折れることがあたりまえのように言い、恐怖心を植えつけることは絶対にしたくないのです。折れないと思うから、私たちは連れて出るのです。折れると思ったら、やりません。だってテンくんは、愛しい我が子です。何にも換えがたい、世界中探してもそれ以上のものは見つからないくらいの、宝物です。その子に、痛い思いをさせようなんて、誰が考えるものか。二言目には「おまえたちは若いから何もわかっていない」と言うけれど、そりゃあ私たちは母に比べたら若いけれど、でも今私たちが持てる力精一杯でテンくんのことを考えているのです。
どうか、やめてください。
命令口調を。脅しを。
テンくんのことを何も考えていない、テンくんがかわいそうだと、泣かないでください。じゃあどうしろと言うのですか。家に閉じ込めておくことなんて、できない。したくない。私たちは私たちのやり方で、それがベストだと考えるやり方で、テンくんを育てていきます。だからどうか、もうやめてください。心配なのはわかります。意見も聞きます。だけど、その通りにはできないことだってあるのです。そこをどうか、わかってください。あなたの子供ではない。私たちの、子供です。
疲れました。
なんだか疲れました。
私たちは間違っているのでしょうか。
テンくんに障害を遺伝させてしまった私が悪いのでしょうか。
違う。そうじゃない。
違う。
私は親です。
テンくんを一番に考えているつもりです。
なんだか疲れました。
しばらく私の母と闘っていかなければなりません。
どうにか、頑張っていこうと思います。
泣いていました。
テンくんを連れて出かけることが、心配で仕方ないそうです。
そんなに無理をさせたいのか。
おまえたちはテンくんのことをなんにも考えていない。
ずっとベビーシートにくくりつけておいて、何も思わないのか。
電話ごしに降ってくる言葉は、矢のようでした。
テンくんをベビーシートにくくりつけておいて、なんて、そんな悲しいことを言わないでください。くくりつけるなんて、そんなひどい状況ではないと思っています。多くの赤ちゃんは抱っこ紐やスリング、ベビーカーなどに乗っているでしょう。テンくんが乗っているのも、ベビーカーにもなるベビーシートです。子供のことを考えて作ってあるものです。子供のことを考えて作ってあるものなのだから、そんなふうに「くくりつける」「しばりつける」なんていう発想には、結びつかないものだと思っています。私たちだって、抱けるなら抱いていたいよ。だけどできないから、できないから、できることを考えてそういう手段を選んだのです。これが一番、テンくんにも私たちにもベストだと、考えたから。これが一番、いいと思ったのです。だからそんなふうに、自由を奪っていると、束縛していると、そんなふうに思わないでください。
骨折するかもしれないだろ。
そんなに無理に連れて歩きたいのか。
自分たちが楽しければそれでいいのか。
そもそもそんな小さい子を連れて、お台場やイクスピアリに行くバカがいるか。
おとなしく家で寝かせとけ。
骨折するかもしれないというのは、いつだって付きまとう不安です。それはその通りです。だけど、それを怖がっていたら何もできません。もちろん私たちは、折れるかもしれないと思うことは、やりません。テンくんに痛い思いをさせたいわけじゃない。あたりまえでしょう。あたりまえでしょう?どこに、かわいい我が子に痛い思いをさせようとする親がいますか。私たちはテンくんの安全を一番に考えています。だけどね、折れるかも、折れるかも、と思っていたら何もできません。自分で動くようになってきたし、足や手をバンバン動かすし、寝返りだって頑張っている。それを止めることはできないのです。それはテンくんのためにはならないから。そして外にだって出なければ、心も育っていかないのです。ただ家で、そっと寝かせておくなんてこと、かわいそうでできません。折れるから、折れるから、と、言わないでください。恐怖心を与えないでください。折れるかもしれないけれど、折れないかもしれない。そんなことは誰にもわからないのです。自分で動いているだけで折れる可能性もあると言われているのだから、それでも今のところ折れていないのだから、怖がって何もしないよりも、少しずつできることを増やしていきたいのです。
そんなに孫が心配ならば、なぜ私を守ってくれなかった。私は母に、それを問いたい。どう考えてもおかしいだろうという回数骨折を繰り返していた幼少期、それでも遺伝はしないと言った先生の言葉を信じ、私は障害者だと認められていなかった。だから、私は他の子と同じように過ごしていました。
体が小さいことや、どうしても歩くのや運動がにぶいことをネタにいじめられ、そして体育の時間は骨折するかもしれない恐怖を抱えながら園生活を、学校生活を過ごしていました。
首の骨が折れたら私は終わりだと思いながら、それでもやらなければならなかったマット運動。毎回、でんぐり返しなどをするときは「いちかばちか」でした。鉄棒では両腕を打撲し、背が小さいためにプールでは何度も溺れかけました。
保育園に、学校に行くと思うと吐き気がひどくなり、朝食は毎日食べられず家を出る頃には歯がカチカチ鳴るくらいに震えが始まり、通園、通学途中の道端で吐くこともしばしば。どんなに体育が怖いと言っても、折れるかもしれないからやりたくないと言っても、母は絶対に連絡帳に書いてくれなかった。休みたいなら自分で言いなさい、とだけ言って。保育園に通っている幼い子供が、小学生が、「私骨が弱いので、体育はできません」なんて言って、どれだけの大人が信じるのでしょう。私は受け入れてはもらえなかった。私にとって保育園に行くことが、学校に行くことが、どれほど恐ろしかったか。そんなに孫を心配するのなら、どうして私を守ってくれなかった。あの時の恐怖感は、今でも忘れられません。そしてあの時の悲しみも、今でも忘れられません。
骨形成不全だと診断されてからは、母は一変して私を家に、施設に、閉じ込めようとしました。外に行きたいと言うと「折れるぞ」「折れてもいいのか」と言い、折れるに決まっている、それでもいいのかと脅しにかかる。私が私の意志でどこかに出かけたいと思い、実行に移せたのは高校生の頃です。その時も出かけるその瞬間まで、「折れるぞ」「折れてもいいのか」「今からでもやめろ」と言い続けました。骨の弱い私にとって、「折れるぞ」という言葉は何よりも恐いもの。それを知っているから母は、この言葉を言うのです。
テンくんには、私がしたような思いはさせたくない。「折れるぞ」「折れるぞ」と、あたかも折れることがあたりまえのように言い、恐怖心を植えつけることは絶対にしたくないのです。折れないと思うから、私たちは連れて出るのです。折れると思ったら、やりません。だってテンくんは、愛しい我が子です。何にも換えがたい、世界中探してもそれ以上のものは見つからないくらいの、宝物です。その子に、痛い思いをさせようなんて、誰が考えるものか。二言目には「おまえたちは若いから何もわかっていない」と言うけれど、そりゃあ私たちは母に比べたら若いけれど、でも今私たちが持てる力精一杯でテンくんのことを考えているのです。
どうか、やめてください。
命令口調を。脅しを。
テンくんのことを何も考えていない、テンくんがかわいそうだと、泣かないでください。じゃあどうしろと言うのですか。家に閉じ込めておくことなんて、できない。したくない。私たちは私たちのやり方で、それがベストだと考えるやり方で、テンくんを育てていきます。だからどうか、もうやめてください。心配なのはわかります。意見も聞きます。だけど、その通りにはできないことだってあるのです。そこをどうか、わかってください。あなたの子供ではない。私たちの、子供です。
疲れました。
なんだか疲れました。
私たちは間違っているのでしょうか。
テンくんに障害を遺伝させてしまった私が悪いのでしょうか。
違う。そうじゃない。
違う。
私は親です。
テンくんを一番に考えているつもりです。
なんだか疲れました。
しばらく私の母と闘っていかなければなりません。
どうにか、頑張っていこうと思います。