青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

整形の話と、私の思い。

2008-03-11 19:22:48 | 思うこと。
今日は整形の受診日でした。
これまでテンくんと私の担当だった先生は3月いっぱいで退職のため、今日からはその先生から紹介を受けた先生にかかることに。診察室に入っていったら、まずこの骨形成不全症については専門病院がいくつかあり、そちらのほうで診てもらったほうが今後を考えた場合いいのではないか、もし骨折が起きて固定や手術が必要になった場合、一般の治療法であればこちらの病院でも対処できるが、骨形成不全症に対しての治療と考えると最良の治療ができるかどうかわからない、だから転院も含めて考えていったらどうかと話を受けました。

テンくんが骨形成不全だとわかった時、小児科からも転院の話が出ました。この病気に詳しい、たくさんの症例を診ている先生がいる病院がほかにいくつかあることは私も知っています。もちろん、そちらに行ったほうが色々な症状を診ている先生がいるわけだし、安心なのかもしれない。だけど、私はそこに「行きたくない」から行かないのです。

ひとつの病院は、私が小学生の時に大変嫌な思いをした先生が今もいらっしゃいます。骨が弱いというのに、骨形成不全だと知っているのに、その先生は私の足をものさしでバンバンと叩きました。こうやると、骨が丈夫になるよと言って。まだ小学生だった私はその行為が怖くて怖くて、だって折れてしまうかもしれないというのに、笑いながらその先生は叩くんです。その恐怖といったら、言葉でどう説明したらいいかわからないくらいのものでした。大泣きしたことを今でも覚えています。その先生は私に、骨の中に金属の棒を埋め込む手術をしろとしつこくしつこく何回も言い続けました。私は必要以外の手術を受けるのはいやだったし、貴重な時間を病院で過ごすことがものすごく嫌だった。だからそのような手術は受けたくないと言いました。母も同じ考えでした。幸い私は骨の変形が顕著に現れてはいなかったため、変形を治す、という意味での手術は不要だったのです。骨折してやむを得ない入院ならば仕方ないけれど、わざわざ折れていない骨を傷つけて動けていたものを動けない状態にする(もちろん、今後さらに今よりよい状態にするために行うものであるということはわかっているにしろ)、というのは私たち母子は必要ないと考えたのです。しかしその先生は手術をすすめました。そしてこうも言いました。「手術したって歩けるかわからないけどね。手術したって折れる時は折れるけど」と、笑って。その先生と会っている間、私がどんなに恐ろしかったか。今でもあの時の恐怖は消えません。この先生には二度と会いたくないと思いました。

この先生に、骨形成不全症を持ちながらの出産をことごとく否定され(遺伝するとわかっていながら産むというのは、世の中に対して迷惑だと言ったとか)、中絶を余儀なくされた知り合いもいます。だから私はこの先生がいる病院にはどうしても行きたくない。違う先生が担当になるかもしれないじゃないかと言う人もいるけれど、でもどうしても、行きたくないのです。

また他の病院も、骨形成不全症なんか本当は診たくないんだ、なぜあなたは遺伝するとわかっていて出産したの、と言う整形の医師がいると聞きました。遺伝するとわかっていたら、その可能性が高いと知っていたら、その人には妊娠、出産する権利はないのでしょうか。障害がある子供が産まれてきたら、障害を持って産まれてきたら、その子は不幸なのでしょうか。障害がある子を産んでしまったら、それは社会に対して迷惑なのでしょうか。私はそんなことないと思っています。どうしてそんなことを言われなければならないのか。もちろん、障害のない子を産めたらそれは一番いいことだと思います。誰だって、そりゃそうだよ。だけど、だけど、障害がある子を産んだからといってそれが不幸につながるかと言ったらそれは違うと思う。そんなことは絶対ない。障害があったって、幸せに生きられる。障害があるからこそ感じられる幸せだっていっぱいあります。障害の有無なんて、人生を生きていくうえでなんの障害にもならない。その人がどう楽しく生きるか。どう楽しみながら過ごせるか、だと思っています。だいたい、第三者に迷惑だのなんだの、言われる筋合いはありません。その人の人生は、その人のものだから。

人が生きていくうえで一番重要なことは、心だと思っています。どんなに物質が満たされても、体の機能が満たされても、心が満たされなければそれはとても悲しいことだと思います。

私は高校を卒業するまで、障害児がたくさんいる施設にいました。そこには座ることを目標に、またはつかまり立ち、歩けることを目標にと次々に子供が入ってきました。まだ3、4歳の子供もたくさんいました。おかあさん、おかあさんと号泣し、ご飯も食べられず、私のところに来ては「あとなんこ寝たらママくる?」と聞く。そこは看護師さんや保母さん、助手さんなどが厳しくて、動きが悪い子のことは足でつつく、好き嫌いがある子には吐いてでも食べさせる(泣きながら、吐きながら、本当にゲーっと戻しているのにもかかわらず次々に食べ物を口に運ぶのを見て、泣きたくなりました。その子は自分で手を動かすことも、椅子から降りて逃げることもできない障害を持つ子でした)、食べるのが遅い子にはほっぺたが食べ物で膨らんでしまうくらいに食べ物を詰め込む、何かあればすぐ叩くなど、今だったら虐待と問題になるのではないと思うくらいの環境でした。食べ物にゴキブリの子供が浮いていたり、配膳車にゴキブリが走っていたり、パンにカビが生えていたりは当たり前。そういうところに私はいたのです。

そこにいる子供たちは、確かに座れるようになったり、立てるようになったり、機能面での回復は多く見られました。座れなかった、ハイハイできなかった、立てなかった子供を前に、おかあさんたちはとても喜んでおられました。だけど、子供たちは大人に気を遣い、たった3、4歳の子供でさえ看護師たちの顔色を読みながら生活していたのです。相手が怒ったと思えばすぐに「ごめんなさい」とビクビクしながら言い、相手が喜ぶと思う言葉を選んで使い、甘えることなどせず、うまくうまく生きようとしていたのです。その姿を見て、果たして機能面での回復と、のびのびと子供らしく生きられる環境、どちらが大切なのだろうと思いました。私の中にも、同じようにその施設に長くいた友人の中にも、確かにこの施設で経験した傷は深く残っています。もうこれは消えません。人を恐れ、人に媚び、とにかくうまく生きようと、自分が傷つかないように、傷つけられないように生きようとする癖。私は旦那と出会ってかなり解放されましたが、やっぱり今でも悪夢を見ます。心に負った傷は一生消えない。私は身をもってそう、感じています。

同じように、骨折を繰り返していた小学生の頃入院していたほかの病院でも嫌な思いをしました。トイレに行きたいと言っても行かせてもらえず、便の介助はいやだと看護師に拒否され、水が飲みたいと言ってももらえない。回診にくるたびに医師は「あなたのための病院じゃない。こんなに骨折されたら困る。明日出て行け」と言う。小学生の私に、です。母はこの先生に手術してもらって歩けるようになったので、私がいくら「こう言われた」と言っても信じてくれない。母に対してはその先生は特に何も言わず、だから母にとってはとてもよい先生に映っていたのです。八方塞とはまさにこのこと。どうにもならない状況で、病院のベッドの上で毎晩私は泣いていました。

今日お会いした整形の先生に、ざっとですが私が他の病院に連れて行きたくない理由をお話しました。先日まで診ていただいていた先生が私にとっては初めて、整形外科で信頼できる先生だったのです。しかし今度の先生は、「おかあさんが嫌な思いをしたというのはよくわかりました。ただ、息子さんのことを思えばおかあさんが頑なに他の病院には行きたくないというのはよくないのでは?結果的に専門の病院で診てもらうほうがいいのではと思うのです」とおっしゃいました。もちろん、先生が私たちのことを考えて、それが最善であろうと思ったからこそ言ってくれたのだということは、わかっています。何も、「ここじゃ診れない。他へ行け」と言ってるわけではない。ただどうしても私には、「できれば他へ行ってくれ」と遠まわしに言われている気がしてなりませんでした。

あなたは、
あなただったら、
遺伝するとわかってるのに産んだのか、と言われたり、
折れるかもしれない足をものさしで叩いたり、
そういう医師がいる病院に、
あなただったら、行きますか?
行きたいと、思いますか?

私は思いません。
他にも専門の病院はあるのでしょう。私が知っているのは本当に、少数の病院だけです。だけどどうしても、新しい病院にかかるパワーがありません。今の病院が初めて、心から信頼できる病院だったのです。

専門の病院だったら技術が高いかもしれない。経験は豊富かもしれない。だけど心がなかったら、なんにもなりません。骨はまっすぐになるかもしれない。歩けるようになるかもしれない。だけど心に傷が残るのなら、それは決して最善の方法だとは言えないと私は思うのです。

嫌な思いをするかもしれないと、少なからず、そこにはそういう先生がいるとわかっているのに、そこに行くことは私にはできません。だって治療中に、息子が嫌な思いをするかもしれないでしょう。その可能性があるとわかっていながら、そこを選ぶ事は私にはできないのです。

どうしても今の病院で治療が難しいとか、どうしても手術が必要になったとか、そういう状況になったのならほかを考えなくてはならない。だけど、技術が高いが息子が嫌な思いをするかもしれない病院と、経験は少ないけれど必死に考えてくれる今の病院があったなら、後者を選びたいと思います。この先どんなことが待っているかわからないし、私のように変形が少ないとしたら手術も必要ないかもしれない。折ることを前提に、手術を前提に、すべてを考えていくことはしたくないと思っています。旦那も同じ考えです。今後も整形は今の病院で、もしどうしても難しいという状況が来たら他への転院も考えるということで今日は落ち着きました。

難しいね。
信頼できる医師かどうか、信頼できる病院かどうか、私たち家族にとってはそれが一番重要なのだけど。私自身が嫌だとかなんだとかではなく、私はただ、息子にとって最善であると思う環境を選んでいきたいだけなのです。

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3 コメント

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Unknown (ぱすた)
2008-03-12 11:35:42
こんにちは。めっきり春っぽくなってきて、心がウキウキしてしまいます。ご無沙汰していますー。元気ですか?私もパスタも元気です。家の旦那様も忙しくがんばっています。テン君も元気そうでなにより!体重もう少しで7キロいきますね。家のは若干平均よりおおきいらしく7キロこえましたよ。
病院の件、なかなか難しい選択ですね。私ならどうするだろうと、想像力がいまいちな私だけど、考えてみました。想像してみました。その先生(お母様が嫌な思いをされた先生)がいらっしゃるところはやはり行きたくない。ただ、あたらしい医療の選択を知る場として確保しておくのも必要なのかな、と。信頼できる病院、先生とめぐり合う事ってとっても重要なことだから無理にすぐに転院しなくてもいいのではないかな、と。状況もあまり分からない者がこうしてコメントをしていいのか悩みましたが、お母様がとってもたくましくて応援したくなってしまい思わず投稿してしまいました。
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イタリアラッコ (パスタ)
2008-03-12 11:38:19
こんにちは。めっきり春っぽくなってきて、心がウキウキしてしまいます。ご無沙汰していますー。元気ですか?私もパスタも元気です。家の旦那様も忙しくがんばっています。テン君も元気そうでなにより!体重もう少しで7キロいきますね。家のは若干平均よりおおきいらしく7キロこえましたよ。
病院の件、なかなか難しい選択ですね。私ならどうするだろうと、想像力がいまいちな私だけど、考えてみました。想像してみました。その先生(お母様が嫌な思いをされた先生)がいらっしゃるところはやはり行きたくない。ただ、あたらしい医療の選択を知る場として確保しておくのも必要なのかな、と。信頼できる病院、先生とめぐり合う事ってとっても重要なことだから無理にすぐに転院しなくてもいいのではないかな、と。状況もあまり分からない者がこうしてコメントをしていいのか悩みましたが、お母様がとってもたくましくて応援したくなってしまい思わず投稿してしまいました
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パスタさんへ (青空(あおら))
2008-03-15 00:48:19
コメントありがとうございました。お返事遅くなってごめんなさい。

7キロを超えたんですね!大きくなりましたね~。次にお会いするのが楽しみです☆うちも日々成長で、毎日楽しいです。昨日やらなかったことを今日は普通にやっちゃったりするから、本当に目が離せなくておもしろいですよね♪

病院の件、ありがとうございます。
ひとつの専門病院はどんなことがあっても絶対行きたくなくて、だからそこは選択肢には入れないことにしています。他の病院については、今後必要があればかかる可能性もあるので、頑なに絶対行かないとまでは思っていません。ただ、今は今の病院でかかっていたいという強い希望があるので…今すぐにどうこうというのは考えず、ゆくゆく必要になればその時に、と思っています。難しいですが息子のため、一番よいと思われる選択をしていきたいと思います。

応援したくなって、との言葉嬉しかったです!
そうそう、首がしっかりしてきたので、なんだか出かけられそうな気配なんですよ。次のラッコの会は行けるといいなぁ。
またコメント、お待ちしています☆
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