青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

子育ての考え方。

2008-03-30 23:04:59 | 思うこと。
赤ちゃんは、何もわからない。今くらいの時のことは記憶にも残らないし、今泣いたり怒ったり笑ったりするのは成長過程の一部であり、深い意味は持たない。そういう声を聞いたことがあります。

例えばものを握ったら放さないのは反射だとか、新生児のうちに笑顔になるのは頬の筋肉がゆるむだけとか、確かにそれは正しいと思います。その通りなんだと思います。だけど、私はそうは思わない。思えない、思いたくないのです。

私も旦那も、感覚を大切に、子育てしていきたいと思っています。新生児のうちも、笑うのは嬉しいからかもしれないし、お腹もいっぱいでオムツも濡れていないのに泣いているのは、寂しいからかもしれない。手を握って放さないのは甘えたいからかもしれないし、離れないでって言ってるのかもしれない。そう思ってきました。私はこれまでも日記に、子供は自分から発信することがうまくできないだけで、本当はすべてわかっているんだと思う、と書いてきました。それは今も変わりません。テンくんはすべて、わかっていると思います。私が軽々抱っこできないことも、そう簡単にお散歩に行けないことも、お出かけの時はいつもベビーシートに乗っていなきゃいけないことも、なにもかも。

テンくんは、「抱っこしてよ」とは泣きません。と、いうか、テンくんはほとんど泣かない子です。ぐずることもほとんどない。病院にいた頃はよく泣いていました。ぐずることも多かったみたい。だけど家に帰ってきてからは、まったく泣きません。退院してしばらくは夜中に突然思い出したように悲鳴めいた声を上げて泣いていたけど、隣にいるよ、大丈夫、大丈夫と手を握ってとんとんしていたら数日後には落ち着いてきました。今はもう、たとえ夜中に目を覚ましても、泣きません。泣かずに、あうあうと声を出したり、私の髪をひっぱったり私をとんとん叩いたりして起こします。そして私が起きるとにっこり。寝ぐずりもほとんどありません。あまりに泣かないから、彼の私を起こす声に気付くのが遅くなってしまった時はかなり悪かったなと思うのです。たまには泣いてもいいんだよ、テンくん、と思うことも。

抱っこしてとは泣かないテンくんですが、構ってよ、と不機嫌になることはあります。その絵本あきたよ~とか、その遊びは今はいや~とか、そういうのを訴えることはある。そうするとパターン化していた遊びを見直して、さらにテンくんが楽しめるように私も旦那も頭をひねって考えます。新しい遊びをしてみて、楽しいぞとわかると目をきらきらさせるからこっちも嬉しくなる。そうやって過ごしています。

私も旦那も、息子とは対等にいたいと思っています。子供だからとか、今はまだ赤ちゃんで何もわからないからとか、少しも思ったことはありません。常に対等。泣くことにも、笑うことにも、怒ることにも、何か意味があるに違いない。一生懸命あうあうとお話するのは、何かを訴えたいのだと思う。今彼が何を言いたいのか、何を求めているのか、私たちは常にそれを考えています。そして私たちの身に起きていることも、常に息子には普通に話しています。きっとね、わかっていると思うんだ。もちろん、後になってあの時のことを覚えているかって言ったら覚えていないだろうし、だけどね、ただ覚えているという子がいないだけで、もしくは、覚えているかどうかを確かめた大人がいないだけで、その時その時を生きている赤ちゃんは、一瞬一瞬を「生きて」いるのだから、ちゃんと感じて、思って、考えて、いるのだろうと思うのです。だってね、今痛い思いをしても、寂しい思いをしても、大きくなったら覚えていないから大丈夫なんていう理屈、まったくおかしいと思いませんか。大きくなったら覚えていないかもしれないけれど、「今」は間違いなく痛さも寂しさも「感じている」んだよ。それを無視していいわけがない。

私たちにとって一日一日が大切な時間であるように、息子にとっても一日一日も、かけがえのない時間であることに変わりはない。だったらやっぱり、少しでも楽しく、幸せに過ごさせてあげたいと思うのは当たりまえだと思うのです。今彼はまだ、自分で楽しく過ごすことはできない。残念ながらそのすべはまだ、持っていない。だから私たちは、彼と一緒に楽しく過ごすことを一番に考えているのです。彼が、たとえ大きくなった時に覚えていなかったとしても、「今」幸せに過ごせるように。

昔何かの番組で聞いた言葉が忘れられません。
「今のおかあさんたちは子供をいかに育てるか、を考えている。だから疲れてしまったり、思い通りにならない時にいらいらしてしまったりする。そうじゃなくて、子供と一緒に過ごす時間を、いかに楽しむか、を考えれば、子育てはそう難しいものじゃありません」
いかに楽しむか。
ボランティアを頼まないと外出できなかった高校時代によく思ったことです。ボランティアも楽しんでくれないと、私も楽しくない。だからボランティアはボランティアとして来るのではなく、一緒に楽しむ仲間として来て欲しい、と私は常に思っていました。

それと同じ。
私が、私や旦那が楽しくなければ、テンくんは楽しくないはず。一緒に心から笑うから、テンくんも心から笑うんだと思う。毎日、私たちはそうやって、テンくんと常に同じ目線に立って過ごしています。

赤ちゃんは何もわからない、
今の時期のことは大きくなってからは覚えていない、

そうは思いません。思えません。

何もかも、データに基づいて考える考え方は寂しいと思います。

脳波や脳の画像から、残念ながらこの子は笑うことも泣くことも、一生できないでしょうと言われた子が、目でママを追い、嬉しい時はにっこり笑い、悲しいときは泣いている姿を私は見たことがあります。
ずっと呼吸器をつけていてYesもNoも意思表示できなかった子が、劇的な回復をみせて呼吸器が取れたとき、実はすべて何もかもわかっていた、という状況を目の前で見たことがあります。その子は4、5歳で、周りに起きているすべてのことを実は理解していて、字まで読めたりして、意思表示できるようになったあとしばらく、周囲は驚きの連続でした。彼はただ、自分から発信できなかっただけで、いや、もしかしたら発信していたのに周囲が気付かなかっただけかもしれない、ただ、周囲と通じ合えなかっただけで、実はすべてわかっていたのです。

だから私たちは、これからも息子とは対等でいます。すべてわかっているものと考えて、接していきます。それがたとえ、少し変わった子育て方法だとしても。私たち家族はそうやって、お互いに成長していきたいと思っているのです。

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2 コメント

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私もそう思います (狭也)
2008-03-31 11:14:59
私も子供はわかっていると思います。 難しく理解はして
なくても嬉しかったこととか、悲しかったこととかきっと
分かってますよ。

私自身の経験ですが、子供の頃車に乗ってチューリップ
畑を走る夢をよくみました。綺麗だなぁって思ってたの
ですが、後に親にその夢と風景の描写を話したら、
それは、私がまだ一歳になる前に実家に帰るときに車で
見せてあげた景色だったそうです。

だから私は赤ちゃんだって赤ちゃん也に理解してると
信じてます!! たとえ記憶として忘れちゃう何気ない
毎日でもお父さんやお母さんに接してもらった時に感じた
気持ちは残ると思ってるんですよ~☆

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狭也さんへ (青空(あおら))
2008-04-05 02:30:17
コメントありがとうございました。気付くのが遅くなってしまってごめんなさい…。

チューリップ畑のお話、素敵ですね!やっぱり記憶って、はっきり本人が覚えていなくても、頭の中には刻まれていくんでしょうね。日々、息子に接する一瞬一瞬を大切にしていきたいなと改めて思いました。なんだかお話聞いてあたたかな気持ちになりました。ありがとうございます♪お互い、子育て楽しんでいきましょうね☆
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