青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

生きるとか、死ぬとか。

2008-03-06 01:07:32 | 思うこと。
過去に3回、死のうと思った事があります。
私は「死ぬ」という言葉が大嫌い。
人間いつかは死ぬもの。それは誰もが避けられない。
だったら今を、
与えられた時間を、
与えてもらった命を、
大事に生きなければもったいない。
人間は「生きてる」んじゃなくて、「生かされてる」もしくは「生かしてもらってる」んだと思っている私。だからこそ、自ら命を絶つというのは、私はどうしても認められません。ひどくつらい状況もあるんだろうし、耐え難い現実もあるんだろうし、だけど、生きていることがどんなに奇蹟か、生かされていることが、産まれてこれたことがどんなに奇蹟か、それを考えたら絶対に、自ら命を絶つなんてことはできません。もし、もしも命を捨ててしまおうと考えている人がいるなら、私の大事な、生きたくても生きられなかった友達たちに、もっともっと生きていたかったはずの大切な人たちに、その命をあげてほしいと何度願ったことか、わかりません。だから、私自身は精一杯めいっぱいに、「生きて」いるんです。

でもそんな私も、過去に3回、もうどうしようもなくなって「死」を意識したことがありました。

1回目は保育園の時。
2歳の時から通っていた保育園ではいつもいじめられ、保育園に行く道中、毎日のように私は道端で吐いていました。保育園に行くと思うと恐ろしくて、朝食も喉を通らない。毎日毎日、私は怯えていました。突き倒されたら骨折する。仲間外れなんて当たり前。それは私の両親が障害者だからと向けられたものではなく、すべての行動に少しずつ遅れを取っていた私自身に向けられていました。

たしかあれは5歳くらいだったのだと思う、ある夜。寝ている時ふと目が覚めて、「ああ今物干しから飛び降りれば死ねるかな」と考えました。そうしたら保育園のみんなはどう思うだろうか。両親は泣いてくれるかな。その頃私は、「どうしてお母さんは働いていないのに、私は保育園に行かなければならないの」と聞いたことがありました。保育園には母親が仕事を持っている子供たちが通っていました。でもうちのお母さんは働いていない。それなのになぜ?と子供ながらに不思議に思ったのです。母の答えはこうでした。「おまえがいると大変だからよ」。

私のショックは計り知れないものでした。
今思えば、母も体力的にきつかったのだろうと思います。わかりますよ、今ならその意味も。決して私を邪魔だと言いたかったわけじゃない。愛情を持っていたことは、今ならわかる。だけど当時の私にはわからなかった。私がいると、母は大変なんだ。私はいないほうがいいんだ。そういう思いが湧きあがるのに、そう時間はかからなかった。

父は仕事ばかりでした。父に遊んでもらった記憶はほとんどありません。トランプは一緒にやったっけな。だけど私は寂しかったのです。もっと構って欲しかった。もっと遊んで欲しかった。もっと抱きしめて欲しかった。そういう思いが、日々のいじめにプラスされて、「ああ今私が死んだら、みんな私の事を想ってくれるかもな」と考えさせたのです。

今思うと、保育園に通ってる子供が「死」を選択しようとするなんて、恐ろしい話です。あの時、「でも私が死んだら、悲しんでいるみんなの姿を私は見れないじゃないか」と気付けてよかった。あの時死んでいたら、今はないのだから。


2回目は、小学生の時。
骨折を繰り返して繰り返して、治ってもまたすぐに折ってしまって、もうこの痛みから、苦しみから解放されたいと思ったのです。松葉杖で歩けるまでに回復したある日、散歩から戻った時に玄関先で転び、また骨折しました。その時「包丁持ってきて!!もう死ぬから、包丁持ってきて!!もう痛いのはいやだ!!」と叫んだことを覚えています。隣のおばさんが必死で「バカ!!そんなこと言うもんじゃない!!」と止めてくれたっけ。あの時ももうどうにもならないくらいにつらかった。救急隊が来るまでの間、私は「死ぬ!」と叫び続けました。でもあの時があったから、今があるわけで、あの出来事も、「今」を作るためのひとつの大事なパーツなわけだから、今思えばあれも必要なことだったんだなと思えます。本当に骨折は痛いし、つらいことなんだけれどね。その渦中にいるときはどうにも、冷静な判断なんかできないんだけど。

3回目はついこの間です。
テンくんが骨折をして、病院に運ぶまでの車の中でふと、「ああこのまま死んだら、これ以上テンくんに痛い思いをさせずに済むのかな。私も一緒だったら寂しくないかな」と、本当にふと、頭をよぎりました。自分で自分が恐ろしくなりました。遺伝するとわかっていて産んだし、それでも人生素晴らしいよと伝えていけると自信たっぷりだったし(今もそうだけど)、それなのに私の勝手で息子の人生を終わらせようと一瞬でも考えてしまった事に恐怖を感じました。親が、子供のために、と勘違いしてしまう気持ちが少し、わかりました。もちろんそんなことはしないし、「死ぬ」なんて考え大嫌いだし、だけど、やっぱり私がこれまでしてきたような痛い思いをさせてしまうのかと考えたらやりきれなくて、ふと、そんな考えが頭をよぎったのです。恐いね。

その話を母にしたら、「おまえね、そんなこと言ったらお母さんは何度お前と一緒に死のうと思ったかわからないよ?そんなこと言ったらおまえ、何度死んでるか。そんなこと言ってんじゃないよ」と言われました。このとき初めて、私が骨折した時母もつらかったんだとわかりました。そうか。そうだったのか。2005年に妊娠した時、母は「産むな」と言いました。毎日のように電話をしてきて、「ダメになったか。生理はきたか」と言いつづけました。私はものすごいストレスを感じていて、それが原因で流産したんじゃないかと思うくらいに悩みました。でもあの時母は、自分が味わってきた苦しみを、私に味わわせたくないと思ったから反対したんだとその時話してくれました。そうだったのか。て、いうか、その時言ってくれよ!私がどんなにこの2年悩んだか!そんなこんなで、母とのわだかまりも解消し、今母は私の一番の理解者です。まったく、言葉って大切。言葉にしなければ伝わらないことってたくさんあるなと改めて思いました。

私は、人間が自ら「死」を選ぶ権利はないと思っています。
末期がんで自ら尊厳死を選ぶのはまた話が別だと思うけれど、やっぱり命あっての人生。生きているから、生きていれば、いいときがくるんだと信じています。もう二度と「死」なんて考えません。この先どんなことが待ち受けているかわからないけれど、だけど苦しみだけが待っているなんてありえない。神様そのへんちゃんとうまくやってくれているはず。だから絶対幸せもめいっぱい感じられるはず。今度もし辛い時がきても、もう私は「生きる」ことにだけ目を向けていきます。

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