青い、そらのカケラ

私の大切な毎日。

言葉。

2007-02-28 08:43:27 | 思うこと。
数日前に、撮り貯めていた「オーラの泉」を観ました。
その中で江原さんが言っていた言葉がすごく印象に残って、すごくいい言葉だなぁと思ったから書きたくて。

「人をうらやましいと思うとき、その人の経験してきた苦労をも欲しいと思うなら、うらやんでよい」

って。
今、その人の一面だけを見て、「いいなぁ」と思っても、実はその人はそこに至るまでには大変な苦労があったんだよ、って、その今目の前にある「いいなぁ」と思う結果にだけ目を向けるのではなくて、その裏側にある苦労までをももらいたいと思うのなら、うらやましいと思ってもよい、って。
なるほど、と思いました。
そうだよね。確かに誰かに子供ができたと聞くといいなぁと思う自分がいて、だけどその人ももしかしたら私と同じようにずっと子供が欲しくて欲しくてがんばってきた人かもしれないよね。そうじゃなくても、違う面ではすごく苦労があって、大変な思いをしてきた人かもしれないよね。じっくりと、いい言葉だよなぁと思いました。常に心に置いておいておこうと思いました。

あたたかくなりたいな。

2007-01-24 18:19:01 | 思うこと。

昨日は早めに夕飯を食べ終えて時間に余裕があったので、録画していた何かを観ながら歯磨きしようかな~とふと思い立ち、ずいぶん前の「オーラの泉」をつけました。スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんと美輪明宏さん、TOKIOの国分太一さんがやっている番組。毎週水曜日夜11時15分くらいからやっているものです。私も旦那も、江原さんと美輪さんが大好きなのでこの番組は毎週必ず録画してるの。今や、うちのDVDのハードディスクの中にはこの番組ばかり。そろそろDVDに移さないと、ハードの容量がなくなってきているほどです。

昨日観たのは、友近さんがゲストの回でした。
最近まさに私自身の悩みとなっていることの中心を突く話ばかりで、ものすごい衝撃を受けたからこれを書いておきたいと思って。

最近悩んでいることはね、苦手な人にどう接するか、なの。
会社に、苦手な人がいます。機嫌の良いとき、悪いときで全然態度が違う人がいて、それに振り回されている感があるの。すっごい機嫌いいときは色々話すけれど、機嫌悪いとむすっとしてて話しかけても「はぁ?」とかばかり。無視のときもある…。そういう反応をされることがすごくいやで、私も頭に来るとそれ相当に同様の反応をしたりします。無視まではさすがにしないけれど、私も「そういうの不愉快だよ」っていうのを思い切り表に出して返すことがあったり。いけないなぁと思いながらも、感情を抑えきれずにそうなってしまうの。そういう人にはどう接すればいいんだろう。決してその人のことを嫌いとか、そういうわけじゃないし、普段しゃべってるぶんにはとっても楽しくて優しいし、いい人なんだけれど、仕事になると…。どうしたらいいのってずっと考えていました。

そうしたらね、昨日なんだか答えがわかった気がしたよ。
あのね、美女と野獣に出てくるバラあるでしょ。あのバラが入っているガラスのケースがあるでしょ。人の悪口や愚痴ばかり言っていると、それがマイナスなエネルギーとなって自分の周囲をあのバラのケースのようにすっぽり取り囲んでしまうんだって。まるでガラスのケースに入ったように。そうするとその中にはマイナスなエネルギーだけが渦巻いているから、なんだか良くないことばかりが起こるのよって。なんだか最近良くないことばかり起こるなぁって思ったら、自分が悪口や愚痴や、マイナスの言葉ばかり発していないか振り返ってみて、って。言霊は本当にあってね、だからそんなふうに悪いことばかりおきるなって思う時にはプラスにプラスに言葉を発するのです。そうしていくうちに、周囲に出来たマイナスな壁はいつしか取り払われるから、って。

そういえば私は最近、そのことで毎日旦那に愚痴を言っていました。旦那だって仕事遅くまでして帰ってくるのに、家に帰ってきたら今度は私の愚痴を聞かされて、よく考えてみたらかわいそうだよね…。せっかく帰ってきたんだから、もっと楽しい話をしたいよね。。なんだか申し訳ない気がしました。でもいやな顔ひとつせずに聞いてくれる旦那には感謝感謝です。いつもありがとう。

そんな話を聞いてね、私は悪いほうへ悪いほうへ向かってる気がしたの。マイナスへマイナスへ。毎日毎日、だって頭にくることがあるんだもの。でもね、頭にきたから帰ってから旦那に愚痴る、また次の日も次の日も。その繰り返しじゃいけないよなって思ったの。

美輪さんがね、自分の周囲を何かいやな空気が取り囲んでいると思うのなら、笑いなさいって。微笑んでいなさいって。そして人に優しくしなさいって。優しくて微笑んでいる人を嫌いな人はいないでしょうって。優しく微笑みながら人の悪口や愚痴は言えないもんね。確かにそうだよね。
私も笑っていようと思ったの。微笑んでいられる人になりたい、って。人を悪く言うのはカンタンだよね。だけど人をほめるって難しい。人の悪いところばかりじゃなくて、いいところを探す努力をしようと思ってね。今はまだむかっと来るとその時に微笑むのは難しいけれど、それでもそれ相当の対応をするのではなくて、落ち着いて、優しくいようと思う。周囲の人は自分の鏡だ、って江原さんは言っていたんだよ。類は友を呼ぶ。波長の法則。同じ波長の人が集まるってこと。だから自分がマイナスへマイナスへ進んでいる時、自分の周囲には同じようにマイナスへマイナスへ進んでいる人が集まってくるよってこと。明るく、人の悪口は言わない、愚痴は言わない、前を向いて楽しく生きる、そうやっていればそういう人たちが集まってくるよってこと。

私もいつも笑っていたいなぁ。あたたかい人になりたい。昨日番組を観てから、なんだか心がほんわかしているの。努力なくして成功はなし。よし、がんばろ。

難しいなぁ。

2007-01-19 17:40:25 | 思うこと。
会社に、毎日ヤクルトのお姉さんがヤクルト売りに来ます。
私はいつも買うんだけどね、今日はその方に、
「通勤は車ですか?」と聞かれました。
「そうです」って答えたら、ちょっとためらいがちに、
「車いすで…車に車いす積んで来るのって、大変じゃないんですか…?」って。
うーん。
結構多くの方が、大変だねとか、大変じゃないの?とか言うけれど、
本人にとってみりゃこれがふつーのことだからね…
「車いすに乗ってるのが普通なので、大変とかないんですよ~」って言っておきました。
いつも思うのだけど、こういうのって難しいなぁ。

歩いてる人が車いすの人を見ると、自分が普段やってることと違うことをやってる人なわけだから、「大変そう」って思うんだろうな。でも車いすに乗ってる私にしてみると、私にとってはこれが当たり前のことだから、特別何かを「大変だわ」と思っているわけじゃないのです。毎日常に、「私って車いす」って意識して生活してるわけじゃないしね、たぶん皆さんが「歩く」ことを何も気にかけず普通に行っているように、私は「車いすをこぐ」ことを何も気にせず、普通に行っているのです。普通って定義、難しいけどね。とにかく、「車いすだから大変だ」って思うことはないのです。少なくとも、私と旦那にとっては…。ただ、これをカンタンにわかりやすく、説明するのが大変です。昔、「そんなに強がらなくてもいいのに…」って言われたこともあるし…。違うのよぅ…。あぁ難しいなぁ。

合格!!の追加。

2007-01-12 22:23:27 | 思うこと。
あぁぁ、私の進みたかった道が、まるで両親の猛反対のせいで閉ざされたかのようにも取れる文章を書いちゃったけど、そうではないので言い訳を…。

美大は設備が整っていなくて、それでも行こうというまでのパワーもなくて断念。
建築士は、CADの資格を活かして住宅の図面を描く仕事をして経験を積んで、いつか資格を…と思っていたけど、車いすだから現場に行けないという企業側の考えを変えることができず、受けた会社20社すべて落ちて…。

どれも私のパワー切れが原因なのです。

合格!!

2007-01-12 17:53:23 | 思うこと。
旦那の弟が、第一志望の高校に合格しました!!
やったーーーーーーー☆☆☆
がんばったなぁ。
弟は自動車整備士になりたくて、だからそういう専門課程を学べる高校を目指していたの。定員は40名で倍率はかなり高く、難しいかもと言われていたのに見事合格!すごい!!頑張った、ほんとに頑張った!その高校では3年の時に国家試験も受けられるらしく、だから卒業後は整備士として働けるというシステムらしい。車好きな弟にはぴったりだと思う。

しかし周囲には…普通の課程を学ぶ公立の高校を勧める人が多いらしく…。確かに学費も3倍近く違うと言うし、公立の高校で普通に高校生活を送って、卒業後に専門学校等に行く道もあると思うけど、でも目の前にもう合格が出ていてね、大好きな車について学べる道がすでに開いているのに、それをあきらめることはできないと思うし、してほしくない。だって中学3年生でそんなに真剣に自分の将来を考えている子って少ないんじゃないかと思うし、しっかりした意志を持っている弟だからこそ、希望のところに行かせてあげたいなぁ。

私が弟の立場だったらね、3年間普通の高校に行ってそのあと専門学校に行くという道を勧められても、私にはその3年間が何の意味も持たないものに思えてくると思うんだよ。もちろんその3年間には色々な意味があって決して無駄じゃないし、将来にプラスになるに違いないと思うけれど、大人だからそう思えるし、そうに違いないと思うけれど、だけどそれでも自分の行きたい道があって、それに向かえる道がすでに目の前にあるのなら、普通の高校へ行く3年間は色あせて見えると思うんだよ。

大人はどうしても護りに入るよね。無難な道を歩ませようとする。
それは将来確実に幸せにつながる道を歩ませたいからなんだろうな。私も美大へ行きたいと言った時、就職につながらないからと両親は猛反対したし、公務員にはならずに建築士の資格を取りたいと言った時も、現実的じゃないと両親に猛反対されたし、それは親の、大人の愛情なんだと思うのだけれど、だけどたった一回の人生だからね、やってみないともったいないと私は思うの。就職につながるかどうかは、本人次第だよ。本気でやりたいと思うのなら、絶対に道は開けると思う。だからね、周囲の声を聞くのも大事だけれど、あきらめで道を選ばないでほしい。自分の人生は自分で作っていかないと、と思うんだよ。子供だからとか、若いからとか、関係ないと私は思うの。だって私だって中学生のとき、高校生のとき、その時の自分精一杯の力で色々なことを真剣に考えていたし、それを「子供だ」って言葉でぺしゃっとつぶされる辛さも知っているしね、だからね、本当は嫁の立場だったらお母さんやお父さんの意見に賛同するべきかもしれないけれど、私は私の考えで弟の立場でいたいと思う。旦那の両親も結局は弟が行きたい道を選ばせてくれると思うけれど、そうに違いないと信じているけれど、弟がどうか、両親以外の学校や塾や教師や…そういう周囲の声につぶされないように願うばかりです。

がんばれ!

愛されたいと願うこと

2006-12-27 00:53:11 | 思うこと。
結局は誰もがただね、愛されたいと必死に願っている、それだけなんじゃないかと思うんだよ。
歳とか性別とか、そんなの関係なく、ただ愛されたいと、必要とされたいと、突き詰めると結局は、ただそれだけなんじゃないかと思うの。

今晩TBSで、現代の家族のあり方をやっていた。夕飯を作らなくなった母、娘が外泊しても何も言わない母、娘の箸がなくなった食卓、親を殺したいと言う娘…。だけどこの娘、ふとした時に「お母さんのカレーはどこのより一番おいしい」って言ったの。寂しいだけなんだよ。きっと愛されたいと願っているだけなんだよ。もっとかまってほしいだけなんだよ…。ただ抱きしめてあげたらいいのにね。それだけで絶対変わるのに。難しいことなんかじゃないのに、あなたを大好きよって、愛してるよって、伝えるだけでいいのに、だけどそれが一番難しいんだよね。

ある女の子はこう言ってた。
「がんばれ、がんばれって言うけど、頑張ってるもん、これ以上がんばれない。頑張ってるね、わかってるよ、よく頑張ってるね、って言ってほしいんだよ」って。
私が小さい頃からずっと思ってきたこと。同じこと思う子がいるんだって思って。

なんだか難しいね。大好きよって、大切よって伝えるのって、簡単そうに思えて、ものすごく難しいよね。親子だから、難しいのかもね。でももっと、かまってよって伝えられたり、大好きよって伝えられたりしたら、平和な世の中になると思うんだけどな。ね。

いじめ問題について

2006-11-30 18:14:00 | 思うこと。
最近いじめ問題がよくニュースで取り上げられているね。
ヤンキー先生として一時期ドラマにもなった義家弘介先生が、今朝もTVに出ていました。
私はあの先生がとても好きです。
まっすぐに、どんと生徒にぶつかっていくから。
もちろん私が見ているのは義家先生のほんの一部分だけで、だからそれだけでそんなに色々言えたものじゃないけどね、でも数冊読んだ本の中でも、HPの中でも、私はどうしても暖かさを感じずにはいられません。私がまだ自分で自分の道を歩いて行けない年齢であったとしたら、間違いなく、この人は味方だ、と思うと思う。迷いなく、そう思えると思う。だからどうしていいかわからなくなっている子供たちが必死に助けを求めているのだと思うの。私はね、そう思う。

私もいじめられていました。
保育園の時から小学校にあがっても、養護学校へ転校するまでそれは続きました。
ほんの幼い頃に私も、突発的に、でも真剣に死のうと思ったことがあります。それくらい辛かったの。死ななくてよかったと、本当に思います。あの時の心の衝動は、今思い出しても恐ろしいものです。自分で自分をコントロールできなかった。怖かったのです。本当に。

いじめられている側にも問題がある、という意見もわかります。そういう場合もあると思います。だけど当人にとってみれば、今いる渦の中からどうやって抜け出すか、どうしたら抜け出せるのか、どうにもならない気持ちを必死に抱えながら毎日ただ時が過ぎるのを待っているのです。私はそうでした。考えてみてください。例えば気に入らない部分があるからといじめにあっているとする。それじゃぁと、例えばその部分を本人が改善したとして、それでいじめが終わると思いますか。私は思いません。それはただのきっかけであり、理由を求められた時の用意された言葉であり、いじめという動き出してしまった現実はそう簡単には終わらないと思うのです。その中で自分を責めて責めて、自分の存在すら否定しはじめて、どうにもならない気持ちを抱えたまま誰かに誰かに必死に助けを求めているのです。

いじめの問題って難しいと思う。
どうしたらいいのか、私にもわかりません。
私の場合、小学校の先生は何の力にもなってくれなくて、
親も何の力にもなってくれなくて、
ただ私がひとりで必死に耐えるしかなかったの。
だから先生に期待はしていなかった。
ただ、隣の席の男の子は私を守ってくれました。仲良しの女の子数人も守ってくれました。私の場合はそういう友達がいたから、救われていたと思う。完全に孤立していたわけじゃないから。
誰か一人でも、自分のことを信じてくれて、頑張れと言うんじゃなくて、辛いねと、頑張っているねと、抱きしめてくれる人がいたら少しは救われると思うのです。こういう状況で頑張れっていうのは冷たい言葉だと思うの。他人ごとだから。頑張ってるねって、頑張ってるのはわかってるよって、私はそう言ってほしかったから。そして一緒に考えてあげてほしいのです。一緒に。
いじめられている子の側に、そういう人がひとりでもいたらいいのに。そういう人が、増えていってほしいと必死に思うのです。

義家先生は、全力で必死に立ち向かってくれる人だと思います。
うわべだけで済ますのではなくて、だってね、うわべだけでね、いじめている側に注意をしても、その分あとからまた自分に仕返しがくるんだよ。それが恐ろしくて言えなくなるのが現実だと思うのです。
だけど義家先生は、そこまでフォローしてくれる人だと思う。私が思うだけだけどね、でもそういう人だと思うし、そういう人であってほしい。

いじめが世の中からなくなる日がくることを、信じたいと思います。
いじめたって楽しくないよ。
絶対にどこかで心が痛んでくるはず。根から、生まれたときから、悪い人はいない。いない。そう思うのです。

難しい問題だけど、こんなふうに大きく取り上げられるようになってきて、大人たちが真剣に考えてくれるようになってきて、よかったと思います。
何らかの道が出来上がっていけばいいなと思います。

誰にも愛されない人なんていないと思うのです。
誰かは誰かに必ず、大切な人だと、思われているはずです。
そういうのがつながっていって、優しい世の中になれたらいいなと思います。
思います。

健常者とか障害者とか

2006-11-26 02:27:44 | 思うこと。
障害の有無なんか関係ないじゃんていつも思っているけど、
健常者とか障害者とかそういうの思い知る機会は日常に、もちろんたくさん、たくさんあって、
結構頻繁に私だって自分が障害者だと思い知る。

ある世界では私はかなり出来るほうにいて、
だけどいる世界が変われば私は誰よりも低い位置にいる。

私だって泣いてきました。

だけどこれが私だから、
こうやっているのが私だから、
堂々と生きていくしかない。
堂々と
胸を張って
生きていくしかない。
自分が自分を好きでいなくちゃ、
自分がかわいそうだもんね。

自分を恥ずかしいと思うことなんてないと思うんだよ。
自分を自分として、生きていかなくちゃ。
せっかくこうして、
生まれたんだから。
あきらめるんじゃなくて、
自分を認めてあげなくちゃ。

人を好きになるということ

2006-10-19 00:30:44 | 思うこと。
「14歳の母」というドラマを観ています。14歳で妊娠してしまう話。私が見たくても見たくても見たくても見れなかった、ヒトの形がわかるエコー画像が出ていたね。私のはまだ豆粒のような写真だったから…。それでも私には、宝物だけど…。難しいね。私が今あのエコーを見たら泣いて喜ぶけれど、彼女はまだ14歳だから、大好きな人の子供であっても、手放しでは喜べない。難しいね…。ドラマの中の話だけどさ…。

ドラマの中で、「14歳や15歳で本気で人を好きになれるわけがないだろ!!そんなのはまやかしだ!」みたいなセリフがありました。それにかなり違和感を覚えたの。いや、何歳であっても、本気で人を好きになるよ。だから妊娠していいってわけじゃないけど、でも人を好きになるのに、年齢は関係ないと思うんだよ。

私は13歳の時から18で旦那に出会うまで、ものすごくものすごく好きな人がいました。まだ中学生だったけど、まだ高校生だったけど、でも私は「これ以上好きになれる人は今後現れないんじゃないか」と思うほどに好きだったの。その人の行動やその人の言葉に一喜一憂していたし、ものすごく笑ったり、ものすごく泣いたり、その時の私の持てる力精一杯でその人を好きだったんだよ。結局それ以上に、ものすごく旦那のことを好きになって結婚したわけだけど、でもあの時の気持ちを「若かった」とか、「子供だった」とかは思わない。あの時はあの時でめいっぱい私はその人を好きだったから、それは認めてあげたいし、否定するつもりもない。同じようにきっと、旦那だって前付き合っていた彼女を、その時持てる力めいっぱいで好きだったんだと思うから、くやしいし辛いけど、それは認めたいと思うし、否定するつもりはない。そういうのがあったから、今の私たちがいるわけだしね。
大人が「子供だから」という言葉を使うのが、私はものすごく嫌いです。人はその時持てる力の精一杯を使って色々なことを考えているから、その時々に出た答えや気持ちはすべて現実だし、真実なの。私はそう思う。だから簡単に、子供だからとか若いからとか、そういう言葉だけで片付けるのはとても悲しいと思います。いつだって一生懸命生きてるもんね。好きなものは好きなんだしね。
あぁとりとめのない話になっちゃった。ドラマは今後どうなっていくのかな。気になります。

言葉のちから

2006-10-14 02:15:49 | 思うこと。
大好きな先生のブログに以前書いてあった言葉をよく、思い出します。

「愛がすべてだと思っています。
優しければそれでいいと思っています。
そのうえ笑えれば、人生は最高です。」

たしかこうだったと思う。誰かの言葉を先生が引用されていて、それをまた私が引用させてもらっています。
ものすごい勇気を与えてくれた言葉。
私の目指すべきところは、私の理想とすべきところは、この言葉そのものです。だけど人間だから、やっぱりどうしても「なんで」とか、マイナスな気持ちも出てきてしまう。そういう時にふと思い出しては、ふうっと力を抜いてきました。また、ふうっと力を抜いてやっていこ。土日、楽しも。