飲酒運転事故が多発
鳥取県では、8月下旬の飲酒運転取り締まり強化旬間に、
飲酒運転が39件、無免許運転が12件、摘発された。
飲酒運転は30代のドライバーが3分の1を占めたということである。
全国各地でも、悲惨な飲酒運転事故が多発している。
新聞等で盛んに報道されているが、
基本的に飲酒運転を見過ごす、社会的風土がありはしないかと思う。
事故さえ起こさなければ、・・・・。
ちょっとくらいなら大丈夫。
結果的に事故を起こさなければ、
厳しく咎められない風土があるようにも感じる。
飲酒と言う行為と運転と言う行為は、
いずれも自発的行為であり、
したことに対する責任が生じる。
単に過失的な責任ではない。
飲酒運転の厳罰化によって、
直後には飲酒による交通事故の件数は激減したが、
今や下げ止まりの傾向が見えるという。
逆に厳罰化によってひき逃げ事件が増えているという。
そして、酔いを覚ましてあとから出頭したほうが
刑が軽いと言うこともあるようだ。
今、特に問題になっているのが、公務員の飲酒運転だ。
飲酒運転をすると事故をする危険性は、
一般の場合と比べて7~8倍増加するという。
公務員は法に基づいて、住民の生命・財産を守るために、
そして暮らしを守るための仕事をしている。
その仕事の本旨に反する、
殺人につながる可能性が増す飲酒運転をするという意識自体が、失格である。
事故を起こす・起こさない以前の資質の問題である。
各自治体も、飲酒運転に関しては結果の大小で処分を決めていたようだ。
しかし、各地で飲酒運転をしたことだけで
懲戒免職にする自治体が増えつつある。
ようやく今頃になってと思うのだが、進歩した。
食べ物を扱う人は、
食の安全に細心の注意を払わなければならないのと同じように、
自分の仕事に関する事柄に対しては、
世間以上に注意を払わなければならない。
そのような社会の信頼感があって、
安心安全の生活が保障されるのではないだろうか。
厳罰化を望むわけではないが、
意識の低い行動・行いに対しては、
断固とした姿勢で臨むべきである。
いま社会人として、再認識したいことの一つではないだろうか。
鳥取県では、8月下旬の飲酒運転取り締まり強化旬間に、
飲酒運転が39件、無免許運転が12件、摘発された。
飲酒運転は30代のドライバーが3分の1を占めたということである。
全国各地でも、悲惨な飲酒運転事故が多発している。
新聞等で盛んに報道されているが、
基本的に飲酒運転を見過ごす、社会的風土がありはしないかと思う。
事故さえ起こさなければ、・・・・。
ちょっとくらいなら大丈夫。
結果的に事故を起こさなければ、
厳しく咎められない風土があるようにも感じる。
飲酒と言う行為と運転と言う行為は、
いずれも自発的行為であり、
したことに対する責任が生じる。
単に過失的な責任ではない。
飲酒運転の厳罰化によって、
直後には飲酒による交通事故の件数は激減したが、
今や下げ止まりの傾向が見えるという。
逆に厳罰化によってひき逃げ事件が増えているという。
そして、酔いを覚ましてあとから出頭したほうが
刑が軽いと言うこともあるようだ。
今、特に問題になっているのが、公務員の飲酒運転だ。
飲酒運転をすると事故をする危険性は、
一般の場合と比べて7~8倍増加するという。
公務員は法に基づいて、住民の生命・財産を守るために、
そして暮らしを守るための仕事をしている。
その仕事の本旨に反する、
殺人につながる可能性が増す飲酒運転をするという意識自体が、失格である。
事故を起こす・起こさない以前の資質の問題である。
各自治体も、飲酒運転に関しては結果の大小で処分を決めていたようだ。
しかし、各地で飲酒運転をしたことだけで
懲戒免職にする自治体が増えつつある。
ようやく今頃になってと思うのだが、進歩した。
食べ物を扱う人は、
食の安全に細心の注意を払わなければならないのと同じように、
自分の仕事に関する事柄に対しては、
世間以上に注意を払わなければならない。
そのような社会の信頼感があって、
安心安全の生活が保障されるのではないだろうか。
厳罰化を望むわけではないが、
意識の低い行動・行いに対しては、
断固とした姿勢で臨むべきである。
いま社会人として、再認識したいことの一つではないだろうか。