あなたにも旧友や親友がいるでしょう。友人はあなたの人生にとってかけがえのない人びとです。そうした直接的に知っている友人の他にもあなたの知らない友人がいます。それはブッダやイエスなどの聖人賢人です。彼らはあなたを助けよう、あなたの力になろうと、いつもあなたのそばにいます。
あなたのまわりにあるものすべてがあなたの手から失われ、あなたのまわりにいる人すべてがあなたの元から離れ去っていくのです。一瞬、一瞬、“その時”が確実に迫っていることを忘れてはなりません。
同じ悩みでも、ときによって、大きく感じたり、小さく感じたりするものです。また、ある人にとっては、深刻な悩みごとなのに、別の人にとっては、悩みでもなんでもない、ということがよくあります。結局、悩みというものには幽霊のようなものです。幽霊に取り付かれないようにしましょう。
昨日のことや明日のことを考えるからストレスが溜まってしまうのです。いいことでも、わるいことでも、過去や未来のことを考えるのは時間のムダです。“いま、ここ”に心を向けて、小さな手元のこと、足元のことに成功すれば、ストレスは減り、仕事もはかどるのです。
ほんとうの宗教的修行とは、何か特別な修行を言うのではなく、「不満を言わない」「ぐちをこぼさない」「怒りを抑える」「欲をかかない」「自慢しない」ことです。そして、最高の修行は人生の苦しいこと、悲しいこと、辛いことに耐えることです。
人の「幸・不幸」は心の問題です。だから、“幸せな病人”もいれば、“幸せな貧乏人”あるいは、“幸せな失敗者”がいます。逆に、“不幸せな健康人”“不幸せな金持ち”“不幸せな成功者”がいるのです。世間体や見かけではない、“幸せ者”になりましょう。
就職しても、しなくても、心配は尽きません。結婚しても、しなくても不満が生じます。成功しても失敗しても不安が付きまとうのです。人生、どう転んでもバラ色にはなりません。バラ色の人生を歩んでいる人など一人もいないのです。
人間は一人で生まれて、一人で死んでいきます。家族も友人も、道行く人々もみな、孤独なのです。人間はほんらい、孤独であることを深く理解できれば、他人に対する思いやり、優しさ、助け合いの心が自然と湧いてくるのです。
家庭でも、学校でも職場でも、毎日同じことの繰り返しです。家庭人は掃除洗濯をし、食事を作る。学生は教科書を開き、ノートをとる。勤め人は伝票を切り、レジを打つ。平凡な毎日です。でも、その平凡なことをやり続け、やり遂げる。そこに偉大さがあるのです。平凡に徹する人、平凡の中に幸せを見出す人が偉大な人なのです。
世の中の経済不安や政治不信にいくら不満を言ったり、怒っていても、何も変わりません。それより、あなた自身には毒になっても、得にはなりません。人生短いのですから、「できること」「できないこと」を、しっかりわきまえて、自分の「できること」だけに専念すべきです。