あなたについての良い評判も悪い評判も他人の気分による、一時的な現象に過ぎません。だから、よく言われても舞い上がらない。わるく言われても落ち込まない。人間、舞い上がれば舞い上がるほど、落ち込みが大きくなります。逆も真です。よくよく心しなければなりません。
何事も過ぎてしまえば“一瞬だった”ことが分かります。ほんとうは過ぎていなくともすべてが一瞬なのです。親や子、妻や夫、恋人や仲間と一瞬しか過ごしていないのです。過ぎてみないと分からないのが人間です。
自分の夢や希望を実現した結果、お金持ちや有名人になって、自己顕示欲を強めてしまうより、たとえ貧しくても、無名でも、自我から解放される道を行くほうがカルマの法則から言えば上等な生き方なのです。
努力した結果が成功ではなく、努力できたことがすでに成功です。人と同じ様に努力したのに高校や大学受験に失敗することだってあります。でも、受験に向けて努力できたことが成功です。その成功が人生の色々な局面で生きてくるのです。努力は必ず報われるのです。
人間は「いつかは死ぬ」と、心のどこかで分かっているから、しゃきっとして頑張れるのです。もし、永遠に生きることができたとしたら、ゆるみっぱなしで頑張ることなどできないかもしれません
ほんとうに賢い人とは自分の愚かさを知っている人です。ほんとうに強い人とは自分の弱さを知っている人です。ほんとうに心の温かい人は自分の心の冷たさを知っている人です。謙虚は人間の賢さや強さや温かみの源泉です。
人間、歳を取れば目も見えにくくなり、耳も遠くなります。必要のないことは見なくてもいい、必要の無いことは聞かなくてもいい、という自然の計らいです。外に向いていた目や耳を内に向ければいいのです。
“オール善”というのは、「人生のあらゆる出来事が善である」という意味ではありません。もし、そうだとすれば、“オール善”に対して、“オール悪”という主張も成り立ちます。すべての現象は善でも悪でもなく、中立です。ですから、「どんな現象も自分の心次第で善にも悪になる」ということのほうが、無理がありません。
道徳とは「他人を大切にする」行いです。人はみんな、自分を大切に扱ってもらいたいと思っています。だから、他人に自分がしてもらいたことを他人にする。自分にしてもらいたくないことは他人にしない。道徳とは何か。難しく考えることはありません。
自分の過去から何かを学ぶことは大切かもしれません。でも、良くても悪くても、過去のことは考えない、過去のことは水に流す。そのほうが、もっと大切です。