一日、一日が“人生最後の日”です。でも、その同じ一日が、“人生最初の日”でもあります。人は毎日、自分をリセットして、新しいスタートを切ることが出来るのです。
人がどれほど名誉や財産の勝利を得たとしても、最後は老いと病と死に打ち負かされるのです。すべての人が老・病・死の苦しみで人生を終えなければなりません。生きながらに、老・病・死の問題を乗り越えた人がほんとうの勝利者なのです。
人は「希望に生き、夢に生きる」と、言います。でも、それらはあってもいいし、なくてもいいのです。希望や夢がなくても、人は生きられます。それより、ずっと大切なのは“いま、ここ”を、心穏やかに、心安らかに、そして心楽しく生きているかどうかです。“いま、ここ”を生きていなければ、死んでいるのと同じです。“いま、ここ”を生きなければ、「夢に生き、希望に生きる」どころか、「夢に死に、希望に死んでしまう」のです。
この世に、「幸せな人生」も「不幸せな人生」も、ありません。あるのは「幸せな心」「不幸せな心」だけ、です。あなたの心があなたの人生であり、世界なのです。
ある登山家が「なぜ山に登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と答えたという有名な話があります。でも、厳密に言えば、「登りたいから、登るのだ」でしょう。「ストレスがあるから、飲んで食べる」のではなくて、「飲みたいから、飲み、食べたいから、食べる」のです。「親が悪いから、ぐれる」のではなく、「ぐれたいから、ぐれる」「会社が悪いから、さぼる」のではなく、「さぼりたいから、さぼる」のです。人間、多くの場合、自分がやりたいようにやっているのです。
何かに挑戦して、思わしい結果が出なかったことが負けではありません。失敗でもありません。挑戦することをあきらめたり、やめてしまうことが負けであり、失敗なのです。
人が毎日毎日働くのは、食べられなくなったり、住むところがなくなることが恐いからです。ジョギングしたり、ダイエットするのは病気になって、死ぬのが恐いからです。エステに通い、おしゃれにお金を使うのは、老いて醜くなるのが恐いからです。人間の営みの根底にあるものは恐怖心です。それが本音です。でも、何をやっても恐怖心を除くことはできません。肉体にとらわれて、肉体を満足させるために生きている限り、恐怖心はついて回わるのです。
過去の失敗にこだわると、卑屈な人間になってしまいます。また、過去の成功にこだわると、傲慢(ごうまん)な人間になってしまいます。“過去のあなた”はもう別人なのです。過去は水に流して、“現在のあなた”を向上成長させましょう。
地上最大のチャレンジは自分の中に平安と慈しみで満たされた“心の王国”を築き上げることです。そして、だれもが成し遂げられるチャレンジです。貧しくても、体が弱くても、実現できるチャレンジです。
十年後、二十年後などの将来の希望より、“今日の希望”を抱くべきです。今日という日をどのように過ごしたいか。“今日の希望”を実現できなければ、十年後、二十年後の希望などかなうはずがありません。