真実も正義も人の数だけ存在します。したがって”ただ一つの真実””ただ一つの正義”というものは、ありません。「自分こそ正しい」という思いが、自分自身を苦しめ、世界を争いの場にしてしまうのです。
キリストもブッダも説いた人間が絶対に犯してはならない戒めが四つあります。それは、「殺してはならない」「盗んではならない」「嘘をついてはならない」「よこしまな性関係をもってはならない」という教えです。これらを犯すと神や仏が罰するというのではなく、自分が自分を苦しめる結果になるからです。この誤りを犯さなければ、幸せで楽しい人生を送ることができるのです。
組織や国家が危機や難局を乗り越えるにはそれを構成する個人が競争し合うより、協力し合うほうが効果的です。競争は人びとの能力を相殺(そうさい)しますが、協力はその能力を相乗させるからです。
大空に浮かぶ雲が現れては消え、消えては現れます。それと同じように、あなたの心にも喜びや悲しみ、優しさや憎しみ、慈しみや怒り、自信や不安が現れては消え、消えては現れます。「いま、ここ」の心に気づいていること、それが「自分を知る」ということです。
ありのままにものを見、ありのままにものを聞く、ということは、自分が見たこと、聞いたことについて、正邪や善悪の判断を下さないことです。そうした判断はすべて自分の都合に基づいています。ありのままに見、ありのままに聞こえるようになれば真実が顕れてきます。真実は心が平安・平静でなければ顕れません。
人間はどんなささいな行動でも自己責任を伴います。街を汚したり、他人の建物に落書きをしたり、騒音を立てたりして他人に迷惑をかけるとかならずそのツケが自分に回ってきます。これは宇宙の法則です。
マザー・テレサさま。あなたはカルカッタに舞い降りた神さまです。あなたの愛のはたらきこそ、神のはたらきです。そして、あなたがその最期を看取った人びと、見捨てられ、飢えと病に倒れて亡くなっていった一人ひとりが、イエス・キリストにほかなりません。
”正義”も”真実”も人間の数だけ存在します。だから、「自分こそ正しい」「あの人は間違っている」という思いは、妄想にすぎません。妄想を押し通したり、妄想にこだわるかぎり心の平安をきずくことは不可能です。
あなたは、無限の過去から現在に至るまで、自分自身が積み上げてきたカルマの果実を刈り取らなければなりません。すべては起こるべくして起こります。だから、起きたことに心を柔らかくして対処する。大海原を航海する帆船が予期せぬ大波や天候に対処しながら目的地に到達するのと同じです。
もし、怒りからあなたを侮辱したり、慢心からあなたを非難するような人がいたら、その人を憐れみこそすれ腹を立てる必要などありません。その人は自分の怒りや慢心によって苦しみ、不幸になっていくのですから。