変化とはものごとの「生」と「滅」を意味します。たとえば、"ド"の音が生じ、その"ド"の音が消え、次に"レ"の音が生じてその"レ"の音が消え、さらに"ミ"の音が生じるから、音楽が音楽として成り立つのです。もし、"ド"や"レ"や"ミ"の音が消えることなく耳に残ったら、音楽になりません。言葉も同じです。すべての現象が現象でありえるのは「生」と「滅」があるからです。今日のあなたが存在できるのは、昨日のあなたが存在しないからです。今日あなたが生きられるのは昨日のあなたが”死んだ”からです。だから、「過去のあなた」も「あなたの過去」も存在しないのです。
あなたが何かを手に得たとき、必ず何かを失っています。そして、あなたが、何かを失ったとき、必ず何かを得ています。だから、得たからといって、有頂天にならず、失ったからといって、落胆しないことです。
物質は心の延長上にあり、心は物質の延長上にあります。「物心一如」です。生物、無生物のすべてがあなたの心そのものです。だから、あなたの身の回りにあるすべてのものを大切にし、愛情を注ぎましょう。
本来、「ブッダ」は”目覚めた人”、「キリスト」は”救世主”を意味します。あなたを救うために「わたしこそブッダである」「わたしこそキリストである」と主張してあなたの前に現れた宗教は本物ではありません。あなた自身が「ブッダになる道」、あなた自身が「キリストになる道」を説く宗教が本物です。
あなたから放出された想念やことばはブーメランのように宇宙を飛び回って最後にあなたに帰ってきます。もし、それが他人を損ない傷つけるものであればかならずあなたを損ない傷つけてしまいます。愛や慈しみや優しさを放てばあなたに帰ってくるものは愛や慈しみや優しさだけです。
あなたが差し出すものが、あなたが受け取るものです。もし、あなたがゴミを投げ捨てれば、いつの日か あなたはそれを 拾わなければなりません。あなたが 愛を差し出せば、あなたは愛を受け取ります。あなたが微笑みを差し出せば、他の人があなたに微笑みかけます。
わたくしは生きとし生けるものが幸せになるための道具となります。わたくしは生きとし生けるものが悩み・苦しみをなくすための道具となります。わたくしは生きとし生けるものが願いをかなえるための道具となります。わたくしは生きとし生けるものが神仏に近づくための道具となります。
真の宗教は人を抑圧したり支配するものではなく人をあらゆる束縛から解放し、自由を獲得させるものです。真の宗教者は特定の教条や頑固な思想をもちません。
時代や地域を超えて万人が認めることのできる真理とはただ一つです。それは「すべては変化する」「生じたものは滅する」ということです。人間の苦しみを根本的に解決する道はこの自然法則を悟る以外にありません。
あなたがどんな宗教を選ぼうと、あるいはどんな修行法を選ぼうと、あなたの救いや悟りに関係ありません。あなたの清らかな心と慈しみの心があなたを救い、あなたを悟らせるのです。