あなたが何かを見たり聞いたりすることによって怒りや欲や嫉妬を感じたら、それは過去のカルマの現れです。その感情に気づいたら、追いかけないで放っておけばいいのです。なぜなら、現れては消えるのが宇宙の法則なのですから、その分のカルマが消え去り、あなたが浄化されるのです。でも、その感情に巻き込まれ、手離さないでいると、さらに悪いカルマを上書きすることになってしまいます。
「死ぬこと」「病むこと」「老いること」が「生きること」の対極にあるのではありません。老・病・死がそのまま生きることなのです。その真実を受け入れることが憂いや悲しみを乗り越えて心安らかに、そして自由で幸せに生きることになるのです。
真理とは宇宙と人生についての“ほんとうのこと”です。「いつでも」「どこでも」「だれにでも」当てはまり、時代や場所、主義や思想を越えてすべての人間に理解できる、“ほんとうのこと”です。しかも、だれにも異論も反論もできない“ほんとうのこと”です。視覚(眼)・聴覚(耳)・臭覚(鼻)・味覚(舌)・触覚(体)の五官と、それらを統括する意識(心)によって生きている人間にとって、“ほんとうのこと”とは、眼で見え、耳で聞こえ、鼻に臭い、舌で味わえ、体で触れることができ、心で意識できることでなければなりません。つまり、「ほんとうのことは目には見えない」ではなく、「ほんとうのことは目に見える」のです。では、その”ほんとうのこと”とは何か。それは、時代や人によって変わってしまう、人間の眼では見えない「神」や「仏」ではなく、人間の眼で確かめられる「すべては生滅変化する」という法則です。
真理とは、一部の人にだけ、理解され、そのほかの人には理解されない、というものではありません。年齢、国籍、人種、思想の違いに関わりなく、認められなければなりません。また、真理とは、それに対して異論も反論も成り立たないものでなければなりません。では、その真理とは何か。それは、「すべては変化する。だから実体的・固定的なものは何もない」ということです。
宇宙の絶対的真理は「すべてが変化する」ということです。この真理を人間に当てはめると、「生れた者はみな病み、老い、やがて死ぬ」ということです。病や老いや死という現象が真理そのままなのです。だから、病や老いや死と戦ったり、逆らったりするより、真理を真理として受け入れ、“いま、ここ”を他人(ひと)を慈しむ心、自分を高めようとする心をもって毎日を過ごす努力をすれば、病で床に伏しても、老いが迫ってきても、死に直面しても、恐れることなく幸せに生きることができるのです。
人間にとって最大かつ最終の苦しみが老いと病と死です。権力も財産も名誉も、老いと病と死の前には無力です。結局、自然の法則は人間に対して公平に働いているのです。
天候には晴れの日もあれば雨の日もあります。本来、天候に良し悪しはありません。晴れの日も雨の日も因果の法則に基づく自然現象に過ぎないのです。晴れの日も雨の日も長く続くことはありません。仕事や人間関係においても、一見、成功や失敗があるように見えますが、それも因果の法則に基づく現象に過ぎません。その真実を理解すれば、失敗して落ち込むことも、また、成功して舞い上がることもありません。心を騒がせることなく、なすべきことをなせばいいのです。
あなたが病気になるのでもなければ、老いるのでもありません。あなたが死ぬのではありません。あなたは病気そのものであり、老いそのものであり、死そのもののなのです。病気や老いや死という自然現象があなたなのです。
人を愛した分だけ人から愛されます。人を信頼した分だけ人から信頼されるのです。あなたが人から受けるものはあなたが人に与えたものです。実に簡単な算数です。