空や
太陽や
海や
山や
川など、
自然は
恵みの
自然で
あると
同時に
無情の
自然でも
あります。
でも
そうした
呼び方は
人間の
勝手な
都合
です。
自然は
恵みでも
無情でも
なく、
ただ
「あるがまま」
「なるがまま」
です。
人間
だけが
その
自然の
一部
である
ことを
忘れて、
「あるべき」
「なるべき」
と
妄想して
自ら
苦しみを
作りだして
いる
のです。
空や
太陽や
海や
山や
川など、
自然は
恵みの
自然で
あると
同時に
無情の
自然でも
あります。
でも
そうした
呼び方は
人間の
勝手な
都合
です。
自然は
恵みでも
無情でも
なく、
ただ
「あるがまま」
「なるがまま」
です。
人間
だけが
その
自然の
一部
である
ことを
忘れて、
「あるべき」
「なるべき」
と
妄想して
自ら
苦しみを
作りだして
いる
のです。
人間が
勝手に
自分の
都合で
そう
呼んでいる
だけで、
自然は
人間の
敵
でも
味方
でも
ありません。
因果の法則
によって
姿を
変え、
形を
変えていく
だけで、
人間の
思惑を
超えている
のです。
したがって
人間は
自然の
一部として
自然の
まっただ中で、
自然に
自分を
合わせて
生きることが
大切
です。
あなたは
あなたの
無限の
過去から
積み上げた
カルマ
という
名の
脚本に
基づいて
人生を
送って
います。
あなたの
家族や
友人も
それぞれの
カルマ
という
脚本に
基づいて
演じて
います。
そして、
あなたに
縁のある
人も
縁のない
人も、
さらには
あなたに
有縁、
無縁の
動物や
鳥や
魚や
昆虫など、
人間の
目には
見えない
神や霊など
生きとし
生けるもの
すべてが
それぞれの
カルマに
基づいて
生きて
います。
この世は
そうした
無数の
脚本に
したがって
演じられた
”宇宙劇場”
なのです。
この世には
別の宇宙、
別の次元が
無数に存在し,
「もう1 人のあなた」が
どこかにいる。
無数の
宇宙世界が
並行し、
重なって
存在している
との
並行宇宙論が
あります。
これを
精神世界
あてはめれば、
天国も
地獄も
重なって
存在
している。
天国にも
地獄にも
自分が
いる。
天国の
中に
地獄を
見て
生きている
人も
いれば、
地獄の
中に
天国を
見て
生きて
いる
人が
いる。
人の数、
生きとし
生けるものの
数だけ
並行宇宙が
存在
していると、
言える
でしょう。
人間や
動物や
鳥類や
爬虫類や
魚類や
昆虫類に
いたるまで、
生きとし
生けるもの
すべてが
すがた・かたちを
変えながら
生まれ変わり
死に変わり
して、
真理に
近づいて
いく
のです。
あらゆる
生き物が
神・仏に
なる
ための
修行を
している
”仲間”
です。
この
宇宙は
歩みの
速いもの、
遅いもの、
まっすぐ
行くもの、
まわり道を
行くもの、
さまざま
いても、
それぞれが
最後には
神・仏と
なって
いく
壮大な
パノラマ
です。
世界も
人生も
幻(まごろし)
であり
陽炎(かげろう)
です。
すべての
現象は
実体など
なにもなく、
現れては
消え、
消えては
現れる
だけです。
その
真理を
悟らなければ
世界と
人生は
苦しみ
だけの
存在
です。
その真理を
知った
人が
真理を
知らない
人を
救い、導く
ための
方法が
三種類
あります。
第一は
衣食住で
苦しむ
人には
衣食住を
与えて
喜ばせる
こと。
第二は
ものごとには
善悪や
正邪が
あることを
教え、
悪い
生き方、
邪(よこしま)な
生き方
から
善い
生き方、
正しい
生き方に
導いて、
不幸から
幸福へ
救い出す
こと。
そして
第三は
すべては
幻であり
陽炎であって、
善悪にも
正邪にも
幸・不幸にも
とらわれない、
絶対的自由の
境地へ
導くこと
です。
この
三つの
方法を
自在に
使い分ける
人が
真理を
悟った
人の
生き方
です。
人生、
なにが
起きるか、
分からない。
しかも、
それが
いつ、
どこで
起きるか
分からない。
どんなに、
心配しても
どんなに
思いめぐらしても
”普通の人間”
には
分かりません。
すべてが
不確定
です。
でも、
「自分が
蒔いた
種は
自分が
刈り取る」
という
カルマの法則
から
言えば、
自分に
なにが、
いつ
どこで、
起きるか、は
確定
しています。
それでも、
努力次第で
どんなことが
起きても、
”普通の人間”
が
乗り越える
ことが
できます。
それは、
幸も不幸も、
得も損も、
成功も失敗も
勝利も敗北も
老いも病も
死も別れも
すべて
水の泡、
ろうそくの炎
のように、
現れては
消え、
生じては
滅していく
だけの
執着する
価値のない
現象
である、
という
真理を
悟りきる
ことです。
「私は
宇宙を
見ている」
という
感覚は
人間以外の
動物でも
鳥でも
魚でも
もっています。
人間が
「自分と
自分以外の存在」
としか
見ないように、
人間以外の
生物は
「自分と
自分以外のエサか敵」
としか
見ないでしょう。
でも、
「私は
宇宙を
見ている
ということを
私は
知っている」
という
気づき、
「私は
宇宙の
一部であり、
私と
宇宙を
同時に
私は
見ている」
という
気づきを
持てるのは
人間だけ
です。
その
気づきが
人間に
「不動の平安」を
もたらす
のです。
宇宙も
人生も
客観的な
実体は
なく、
あなたの
思考経験
そのもの
です。
そして
あなたの
思考は
自分に
対する
執着に
基づいて
います。
あなたが
執着を
減らし、
思考を
単純に
すれば、
宇宙も
人生も
単純に
なります。
そして
執着が
なくなって
思考が
消えれば
宇宙も
人生も
消えて
いきます。
そのとき
一切の
苦しみも
消えて、
心は
安穏と
自由に
満たされる
のです。
地球上、
いや
全宇宙の
物質は
素粒子の
レベルに
おいて
一体
です。
それと
同じように
生きとし
生けるもの
すべては
心の
レベルに
おいて
一体
なのです。
物質の
レベルに
おいても、
心の
レベルに
おいても
すべてが
あなた自身
です。
この宇宙に、
この世に
あなたしか
いません。
したがって、
あなたが
他の存在に
為した
ことは
あなた自身に
為した
ことです。
良いことも
悪いことも、
正しいことも、
間違ったことも、
あなたが
為した
ことは、
あなた自身に
帰って
きます。