今日は、心療内科に行ってきた。
からの巣症候群でまさかの不眠症からの、軽いうつ症状と診断され2週間ほどが経つ。
5月からの突発性難聴に始まりここまで来て、正直辛い期間だった。
しかし、不思議なのだけれど
心という目に見えない、捉えにくいものと向き合うきっかけとなった。
ヨガ哲学や仏教哲学、シータヒーリングによる感情・感覚の書き換え、ヨガを通じセロトニンやオキシトシンといった
幸せホルモンのメカニズムまで学んできたが、それはやや机上の空論であったこと。
自分がいかに思考よりの人間であったかを思い知った。
また、感情というものが湧き上がってくるとき、その思考を明らかに超えてくる。
不安が大きくなればなるほど、生命に危機を感じるため誤作動が生じるのかもしれない。
もちろん、それらの知識が役に立たないわけではない。
瞑想やヒーリングもやっているが私には効果があって、またこのブログも癒しになっている。
ジャーナリングといって書く瞑想がある。
「ジャーナリングとは」
書く瞑想
悲しい出来事であれ、楽しい出来事であれ
あるがままに出来事をたどりつつ、心の内面を
縦横無尽に探索する豊かな表現活動
書くことを通じて、書きながら自分の内面に意識をむけていくことが重要であり
これがマインドフルネスと同様の効果をもたらすと言える
これまでいろんな壁にぶち当たって、はじめていろんなことに気が付いた。
大きな壁を乗り越えたとき、きっと今よりは少し意識が広がってくるんだと思う。
心療内科の女医さんの帰り際の一言が忘れられない
「この世を楽しんでください!」
私たちは輪廻転生を繰り返し、
生きることは苦であるという仏教の学び。
生きたいと思う強い思い「渇愛」。
こんな話をしていた流れから、不意に出た言葉なのかもしれない。
不安と希望、楽と苦、生と死
これらはオセロみたいにくっついているんだからしょうがない。
陰と陽でこの世界はすべて成り立っている。
難しい話じゃなくて、
ありのままの自分を愛して、受け入れて、許していきたい。
愛で生きて、その愛を大きく広げていきたい。
それがこの世を楽しむことだと思う。