40代からがワクワク🤍人生はジェットコースター

ヨガ、宇宙の法則、気と病、シータヒーリング、哲学、チャクラなどお伝えします。

一緒にいるときの自分が好きかどうか?

2023-08-08 18:46:14 | スピリチュアル

40年以上生きていてわかったこと。

私たちはそれぞれに個性があり、性質も違う。

皆違ってあたり前で、どちらが良い悪いという訳でもない。

ただ、同じ自分のはずなのに、一緒にいてどうも自分が自分らしくない

なんか、落ち着かないな、、、

と感じる相手はないだろうか?

私たちは目に見えないオーラに肉体が包まれていて、その光の強さやカラーはひとそれぞれ。

普通の人はそれを目で見ることはできない。

けれども、なんか誰かのそばに近づいて、目を見て、声を聞いて、話をして、、、。

「う~ん、繋がらない」

「あ、なんか通じ合うものを感じる」

とかって、私においては良くあることで、

それって、まさしく直感なのでしょう!!

でも、これって決して特別な能力ではないし、

だれもが、経験していることではないだろうか?

そして、何よりも

「この人といると、なんだか元気が出てくる!!」

「一緒にいるときの、なんともいえない安らぎがある」

「相手と自分の境界線みたいなものをあまり感じない」

なにより、

「一緒にいるときの自分が好きだ!!」

これに限るのではないでしょうか?

もちろん、

最初は一緒にいると心地よかった相手が、時とともに

なぜだかわからないけれど、波長が合わなくなることもしばしば。

これは、個々の人生においての経験、そこからの学びはもちろん、

誰しも運気というものがあり、それに影響を受けることもあるだろう。

こればっかりは仕方がないのだ。

誰とでも仲良くしましょう。とか、小学生の時に言われた覚えがある。

だが、それこそ無理な話で、やっぱり人と人は互いのエネルギーを感知し

そのエネルギーが混ざり合うようになって、

本来持っている能力を自然と引き出してしまう相手も不思議と存在するのだ。

そして、

「あ、うんの呼吸」

これが双方に起こると、もうなんともいえない磁場ができ、

ヒーリングスペースと化してしまうほどだ。

まるで、そのあたりにポータルが出現し、互いのエネルギーが上昇するとともに

宇宙のエネルギーまでもを一体とする。

これは、男女の間だけにとどまらず、、友人、家族、なんでもありだ。

私はヨガのクラスを持っていて、小さなスタジオだと4人ぐらいが集まる。

この顔ぶれは大体決まっている。

いわゆる、リピーターさん。

この小さなコミュニティはとくにそうだが、違和感を感じるともう来なくなるのがほとんど。

何かわからないが、私から醸し出される声や雰囲気に心地よさを感じたり、良い意味で突き刺さる何かを

直感で感じているんじゃないかと思う。

もちろん、それを本人が意識しているかはわからないが、、。

また、話を聞いていくうちに、自分の好きなものとお客さんの好きなものが一緒だったりするから

不思議ではないか?

まるで、答え合わせをするように、

スピリチュアルがすきで占い師だったり、東洋医学に興味があったり、宇宙が好きなんてお客さんもいた。

過去生を知っていると語るお客さんまでいて、、。

私の方も、私のクラスに参加してくれるお客さんとは気が合うし、会えるとなんかホッとする。

お互いのすべてを知らないし、知る必要もない。

それでも何か互いを受け入れられたり、共感があるのは嬉しい。

合わない人と一緒に過ごすことで、学ぶこともあるんだろうけれど、

やっぱり、

「一緒にいるときの自分が好き!!」

そう思える、人とできれば限りある人生の時間と共にしたいものだ。

人と人が集えば、不思議なことが起こる。

自分の知らない自分が出てきたり、面白いことが経験できる。

嫌な自分がでてきたら、これももしかしたら、自分の一部分なのかもしれないと、

少なからず内省するべきだろうか、、、。

 


愛がすべてのパワーになる!!

2023-08-08 15:09:17 | 日記

いわゆる、運命の人とのこと。

そんな人がこの世にいて、40歳を過ぎてから出会うことになるなんて

誰が想像しただろうか?

魂レベルで感じる愛とは、なにか3次元を遥かに超えてくる。

その愛の大きさに、とまどい、恐れることもあるし、

魂レベルの繋がりがあっても、この地球で出会ったら、3次元的な愛を紡ぐ必要もでてくる。

あれから、5年以上が過ぎて、

私の中で二人の関係性が進捗しないこともあり、いつからか、なんか疑心暗鬼になっていた。

もちろん、私が既婚でかれはバツ1でいろいろ困難があったため

私自身もどうしようもない状況であった。

ただ、こどもが巣立ち、先行きが見えない不安に直視せざるおえなくなったのだと思う。

また、病になり、私を支え強い力を与えてくれる人は、運命の人だと気づいた。

彼が太陽で、私が月。

月は太陽があってこそ輝ける存在。

苦しい日々に耐え切れず彼にこの状況を伝え、毎日ラインをするようになった。

私からが多いけれど、ちゃんと返信してくれる。

この毎日のルーティーンって案外大切だ。

歯を毎日磨くように連絡を取り合えばいいのだ。

こんな簡単なことを提案できず、不満をため込んでいたようだ。

そして、時々電話連絡するようにもなった。

そして、昨日は相手からラインが来て、

「今から少し話せる?」

と私から聞いてみた。

ミーティングの後、懇親会があるらしいが、その合間を縫って電話できると返事が来た。

電話の向こうでは、誰かが挨拶していた。懇親会の始まりのような雰囲気から少し待って

話せる状況になったみたい。

心の不安を話して、それをちゃんと聞いてくれた彼。

仕事人間で仕事一番に生きてきた人。

でも、私のことをちゃんと優先してくれたことにとても嬉しかった。

頭では愛されていることはわかっていた。

だが、「愛されている」ということに

ずっと疑っている部分があった。

釈然としないなにか、しこりがあった。

でも、あのバタバタした中でどうにかして電話をつなげてくれた彼の行動。

そこに疑いのない愛をようやく感じたのだ。

愛は目に見えないから、わかりにくい。

やっぱり素直になって、言葉で伝えあったり、

わがままをいったり、そんなことが案外相手を安心させる。

自分の落ちていた波動が愛のパワーとともに上がったのを感じた。

そして、しこりが溶けていくのがわかった。

私は、愛を思い出した。無条件の愛を学ぶ道のりはけっして、平坦ではなく険しくもある。

人は愛されたように愛する。

私は、幼少期から青年期までずっと親にかまわれてきた。

「ごはんだよー」

「お風呂入りなさい」

「これには気をつけなさい」

返事をするまで何度も声をかけてくれた母。

私にとって、これを愛と思っていたのかもしれない。

どちらにせよ、自分はこう愛されたいのだということを

相手にわかりやすく伝えていくことは相互理解において必要なことだ。

半端な伝え方ではなく、真剣さも大事だ。

そうでないと、相手はピンとこない。

自分をかまってちゃんと認めることは、良しとしなかった。

でも、そんなプライドはもう捨て去った。

「愛されたい」

「愛を感じたい」

これは魂の願いでもあるし、3次元の愛でもある。

言葉には波動が乗る。

愛をこめて、何気ない日常を伝え合うことこそ人間としての繋がりとなる。

 

愛は宇宙一のパワーになる。

 

この世のすべてが愛でできていることを、思い出して。

すべての人も物も空も海も酸素も、愛になる存在。

愛で、すべてできているんだね。