昨年から、色んなものが剥がされている中でとても不安になった。
当たり前の日常は当たり前ではなくて、支えているようで支えられていた。
そんなことに気が付くまでどれほど時間がかかっただろう。
孤独や悲しみの感情を味わって、
人の弱さを知ったり、すべてが変化していてそれについていけてない自分を知った。
息子への執着は、ツインへそして離別の寂しさが募り、母親にも執着していた。
精神的な自立といっても、結局人は一人では生きていけない。
ただ距離を保つことも大切で、その塩梅が難しいところ。
相手と自分が天秤でいうところのバランスが保たれていれば問題はない、
しかし多くの関係でどちらかの比重が増す場合がある。
数年前のこと、学生時代の友人と再会し仲良くなった。
しかし、つきあいが深まってくると、私の仕事のシフトを把握しようとしたり
相手からの依頼心を感じていた。
そして、そんな矢先に喧嘩になって、怒りをぶつけてきた。
あの怒りはきっと彼女の寂しい気持ちだったのかなと思う。
執着はだんだんとエスカレートしてきて、だんだんと嫌な気持ちになっていった。
私自身も周りの人へ不安からか、執着してしまっていた。
そして、関係性が壊れてしまう場合もあった。
ツインの彼は、パーソナリティー障害があって距離を縮めることを拒んでいるところがあった。
それを感じていたからその寂しさは行き場を失って息子に転移していたかもしれない。
もう別れてしまって寂しさもあるけれど、
またつきあっても同じ苦しみを生むから、離れることでしか愛することはできない。
自分を整えてくれるものを見つけると結構安心する。
私は、やっぱりホットヨガ。
汗をかくとネガティブな思いも一緒に流されていくように感じる。
ココロは行ったり来たりしながら、あっちへこっちへと意識は飛びまくっているけれど、
不安定の中に安定さを求めて生きたい。
lツインと別れて2ヶ月ほどたって、じわじわとなんだか現実味を帯びてきて、
胸が痛い。
ただ私たちは、どんな風にしたとしても結果は遅かれ早かれ別れる結果になったんだと思う。
それは、人を愛することと自分のエゴとをごっちゃにしていていたから。
今の生活よりももっと良い生活をイメージしていた。
無償の愛のように錯覚していただけで、エゴと相手への執着で苦しんだ。
相手の方も、女性を幸せにすることができないのだから。
人は愛されたように愛するから、しかたがないのかな。
泥臭い人間同士、どうやったって無理だった。
だけど、愛情がなかったわけじゃない。
この広い空の下、どこかで元気でやっているに違いない。
酒でものんで、夢を語り、それを夢で終わらせないで具現化していく力を世の中のために発揮してほしいな。
これからも、きっと忘れることはないと思うけど、
あんな辛い恋愛ってないし、あんなに幸せを感じた経験もない。
私は私で、愛を伝えたつもりだけど、それが伝わっていたらいいな。
愛を受け取る心がないと、受け取ることができない。
それは幼少期に愛された記憶に繋がっていく。
愛を知りたくて、愛されたくて、きっと頑張っているんだよね。
多くの人に頼りにされて、認められる経験が彼の満たされない壊れた愛の器の虚しさから解放される
方法なんだと感じる。
彼を想うと涙が出てくるのは、別れの悲しみもあるけれど、私の存在ではけっして彼を満たしてあげられない事実。
もしも、ほんの少しでも無償の愛があるんだとしたら、それは手放すこと
自由にしてあげることしかない。
それが私ができる、必要な一番の愛なんだとわかった。
そう思うことが、また私の心を救うだろうと思う。
涙をながして、これまでの溢れる想いと思い出を一緒に連れて生きていくのもバカらしいけれど、
そんなことをしながら癒しのプロセスへと入っていくんじゃないかと思う。
ありがとう。
ごめんなさい。
許してください。
愛しています。
私たちは、肉体を持っているけれど、意識はどこへでも飛んでいく。
焦らないでいい、いつかその意識も薄れていく日がくるね。
そんな日がくるまで、ぎこちない笑顔でもいい。
涙がすべてを洗い流してくれると思って今を生きよう。