昨年から、色んなものが剥がされている中でとても不安になった。
当たり前の日常は当たり前ではなくて、支えているようで支えられていた。
そんなことに気が付くまでどれほど時間がかかっただろう。
孤独や悲しみの感情を味わって、
人の弱さを知ったり、すべてが変化していてそれについていけてない自分を知った。
息子への執着は、ツインへそして離別の寂しさが募り、母親にも執着していた。
精神的な自立といっても、結局人は一人では生きていけない。
ただ距離を保つことも大切で、その塩梅が難しいところ。
相手と自分が天秤でいうところのバランスが保たれていれば問題はない、
しかし多くの関係でどちらかの比重が増す場合がある。
数年前のこと、学生時代の友人と再会し仲良くなった。
しかし、つきあいが深まってくると、私の仕事のシフトを把握しようとしたり
相手からの依頼心を感じていた。
そして、そんな矢先に喧嘩になって、怒りをぶつけてきた。
あの怒りはきっと彼女の寂しい気持ちだったのかなと思う。
執着はだんだんとエスカレートしてきて、だんだんと嫌な気持ちになっていった。
私自身も周りの人へ不安からか、執着してしまっていた。
そして、関係性が壊れてしまう場合もあった。
ツインの彼は、パーソナリティー障害があって距離を縮めることを拒んでいるところがあった。
それを感じていたからその寂しさは行き場を失って息子に転移していたかもしれない。
もう別れてしまって寂しさもあるけれど、
またつきあっても同じ苦しみを生むから、離れることでしか愛することはできない。
自分を整えてくれるものを見つけると結構安心する。
私は、やっぱりホットヨガ。
汗をかくとネガティブな思いも一緒に流されていくように感じる。
ココロは行ったり来たりしながら、あっちへこっちへと意識は飛びまくっているけれど、
不安定の中に安定さを求めて生きたい。
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