クラシック音楽徒然草

ほぼ40年一貫してフルトヴェングラーとグレン・グールドが好き、だが楽譜もろくに読めない音楽素人が思ったことを綴る

モーツァルト 最初に全集を書いた音楽家

2020-08-03 11:25:55 | モーツァルト
1785年のある日、楽譜出版業のホフマイスターがウィーンの街を歩いていると、あちらこちらからピアノの音が聴こえてくる。
”このところピアノを習っている子が増えてきたな~
 そうだ! ピアノを含むやさしい合奏曲の楽譜を出せば、きっと売れるぞ!
何人かの作曲家に新曲をつくってもらって、毎月シリーズで出版しよう。”
さっそく、モーツァルトにも3曲依頼した。

しばらくしてモーツァルトから楽譜が届いた。
ピアノ四重奏曲ト短調 k.478

これを見て、ホフマイスターはぎょっとした。
”なんだ、この陰鬱な曲は! 悪魔の洞窟からコウモリが飛び出してくるみたいだ!
こんな曲じゃ全然売れそうにない・・・”
印刷して出版したものの、案の定さっぱり売れない。

このシリーズは家庭用なのだから、次の曲はもっと易しくしてくれ、とモーツァルトにさんざん文句を言って待つこと数か月。
2曲目のピアノ四重奏曲ホ長調K.493が届いた。短調が長調になったが、やっぱり難しい。
”ダメだ! これじゃウチは大赤字だ。 もう最後通牒の手紙を書くしかないナ。
「拝啓 モーツァルト殿
もっと俗っぽく書いてくれたまえ。
さもないと君の作品はこれからはもう印刷できないし、支払いもできない。」”

契約は契約だからとしぶしぶ出版準備を始めたところ、モーツァルトから、契約は破棄してすでにできあがったパート譜も引き取る、と言ってきた。
”やれやれ。たぶんウチをやめて他所から出版するつもりだろう。
どうせ売れそうにないから構わないけど、彼には何か別の曲で埋め合わせしてもらおう。”
かくして2曲目はアルターリアから出版され、3曲目が作曲されることはなかった。

モーツァルトはザルツブルクで作曲したピアノ協奏曲K.175を1782年にウィーンで演奏した際は、力作の終楽章の代わりにわざわざウィーンの聴衆向けにやさしいロンドK.382を作曲している。
そんなモーツァルトとホフマイスターの言うことに全く耳を貸さないモーツァルトはまるで別人のようだ。
この3年間に何があったのか?

ヒントは1782年4月10日の父にあてた手紙にある。
”ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーデン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。・・・”
モーツァルトがそれまで親しんだ音楽は、自作も含めて基本的にはできたてホヤホヤだったはず。
イタリアに行ってもモンテベルディのオペラを観ることはないし、イギリスに行ってもウィリアム・バードのヴァージナル曲を楽しむ、なんてことはありえなかった。
ところが、スヴィーデン男爵邸では没して30年にもなる作曲家の曲が生きた音楽として演奏され、魂を揺さぶられる!
これはモーツァルトにとって衝撃だった。
”よし、ボクもバッハのように50年後も100年後も演奏され、人々が感動する音楽を作るぞ。”
と心中深く決意したに違いない。
モーツァルトは1784年2月9日から「我が全作品の目録」を書き始めるが、これも自分がいかなる作曲家であったか後世に示そうと思ったからだ。
新潮文庫のカラー版作曲家の生涯「ベートーヴェン」の中で、遠山一行氏は
”これからの作家はすべて自分の全集を書くようになるだろうといったのは、ベートーヴェンの少し先輩になる大詩人ゲーテだが、ひとつひとつの作品が自分の「全集」のなかでどういう位置を占めるかということを考えることなしに制作することができないというのは近代の芸術家の宿命にさえなった。
ベートーヴェンはまさしく、自分の全集をかいた最初の音楽家だったが・・・”
と書かれているが、モーツァルトこそ明確に自分の全集を意識した作曲家ではなかったか。

モーツァルトが意識したのはみずからの「全集」だけではない。
モーツァルトはバッハ体験により、バッハという大海に流れ込む多声音楽を中心とした幾筋もの音楽の流れを見て取った。
時間軸を逆にして未来に目を向けると、和声の運動が推進するソナタ形式を中心とした音楽の流れがはっきり見えたに違いない。
その時、モーツァルトは自分がまさに両者の流れを俯瞰し統合する立場にいることを悟った。
すなわち、モーツァルトは自分の「個人全集」のみならず、「西洋音楽大全集」の中で、モーツァルトの巻がいかなる位置を占めるべきか認識したのだ。
この自覚のもとでモーツァルトは一曲一曲精魂こめて作曲した。
音楽に対するそんな厳しい姿勢が、ホフマイスターに対する契約破棄という行為になって現れたのだ。

おまけ モーツァルトに関するよくある誤解
上書「ベートーヴェン」の中で、指揮者小林研一郎氏は
”モーツァルトは湧き出る泉そのままに書きつづった。
彼の脳裏では書かれる前に全てが構成され、推敲を必要としなかった。”
と書かれているが、これは全く事実に反する。
ベートーヴェンを讃えようとするあまり、ついモーツァルトを引き合いに出してしまったと思われるが、
プロ音楽家小林研一郎氏にしてそう書いてしまうほど、モーツァルトの音楽はカンペキなのだ。
完成作品からは、そこに至るまでの足場がきれいさっぱり外されて見えなくなっている。
モーツァルトがこの文書を見たら
”フフ、苦労は人に見せないようにしているのサ”
と苦笑するに違いない。





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