クラシック音楽徒然草

ほぼ40年一貫してフルトヴェングラーとグレン・グールドが好き、だが楽譜もろくに読めない音楽素人が思ったことを綴る

モーツァルト 「レクイエム」 アーメン・フーガをめぐって

2022-09-27 18:11:09 | モーツァルト
1962年、音楽学者ヴォルフガング・プラートはベルリン州立図書館で『魔笛』 K.620の序曲のスケッチ、「レクイエム」のRex tremendaeの一部などと共に、「アーメン」を歌詞とする16小節のフーガのスケッチを発見した。

これこそモーツァルトが「レクイエム」のLacrimosa終結部で作ろうとしたフーガである。
このスケッチを完成させて取り込めば、「レクイエム」をよりモーツァルトが構想した完成形に近づけられる。
このように考えた人々によりいくつかの試みがなされた。

モーンダーはLacrimosaのジュスマイヤー補筆部分をごっそり削除して作り直し、末尾にアーメン・フーガを付加。
しかし、モーツァルト没後200年以上にわたって親しまれてきたジュスマイヤー版の歴史の重みは無視できない。
そう考えた誰かが、ジュスマイヤー版の後にアタッカでアーメン・フーガを続けようと試みた。

この試みは、なかなか良いかもしれない。
しかし、ジュスマイヤー版がAmenで完結しているのに、フーガでAmenが繰り返される問題がある。
そのため鈴木優人版では、ジュスマイヤー版最後の歌詞をAmenからrequimeに変えてアーメン・フーガを続けている。
(こちらのサイトの情報)

これらはたいへん価値ある試みである。
しかし、はなはだ僭越ながらわたくしはモーツァルトがLacrimosa末尾をアーメン単独のフーガとする気があったのか疑問である。
なぜなら、通常のミサでGloria及びCredoの末尾をフーガとする場合、Amenだけではなくその前の歌詞GloriaではCum Sancto、CredoではEt vitamからフーガとする。
Lacrimosa末尾をフーガとする場合、Amenだけではなくその前のdona eis requiemからフーガとするのが通例なのではないか。
そう思って探してみると、ハッセJohann Adolph Hasseのレクイエム変ホ長調(1764)がまさにそのような作りになっていた。

モーツァルトのLacirimosaもdona eis requiemからフーガとなり、Amenフーガとの二重フーガを形成しSequenzを締めくくる、というのがわたくしの夢想するレクイエム完成形である。

ハッセにはもうひとつハ長調のレクイエム(1763)がある。

この曲のLacrimosaはフーガとなっていないが、驚いたことがある。
Tuba mirumの出だしがモーツァルトのRex tremendaeそっくりなのだ。
偶然にしてはあまりに似すぎている。
モーツァルトはハッセのレクイエムを知っていたのではないか?

教会音楽は様式がキチンと確立している。
モーツァルトがレクイエムを作曲するのは初めてだから、その様式を学ぶために先人の作品を深く研究したはずだ。
そこで出会った良いアイデアは取り込んで、最高の作品に仕上げるべく心血を注いだが死により未完となった。
先人の作品との関連を調べれば、モーツァルトが構想していた完成形がもっとわかりそうだ。
そのような研究はとっくにされているだろうから、どなたか素人向けに解説してほしい。

(おまけ)わたくしがチェックした他の先行作品
M.ハイドン Michael Haydn レクイエム ハ短調(1771)

コロレドの前任者シュラッテンバッハ大司教死去に際してモーツァルトの同僚M.ハイドンが作曲したもの。
モーツァルトはちょうどイタリア旅行からザルツブルクに帰ってきたところで、オーケストラでヴァイオリンを弾いていたかも。
この曲はジュスマイヤーが補筆において大いに依存した可能性がある。
例えば曲の終わり、et lux perpetua luceat eis の後にcum sanctisのフーガが再帰して終わっている。
これはジュスマイヤーが補筆したとされるモーツァルト「レクイエム」の終わりと構成がそっくりだ。
このようにフーガで終わらせるのがレクイエムの伝統様式だったのかは不明であるが・・・

サリエリ Antonio Salieri レクイエム ハ短調(1784)

サリエリは映画「アマデウス」でさんざんコケにされたが、エライ人だ。
シューベルト少年を見いだして自ら教えている宮廷学校に入れ、アイスクリームまでおごっていた。
これだけでも音楽史上特筆すべき貢献である。







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