クラシック音楽徒然草

ほぼ40年一貫してフルトヴェングラーとグレン・グールドが好き、だが楽譜もろくに読めない音楽素人が思ったことを綴る

モーツァルト ピアノ協奏曲第19番ヘ長調 K.459  ひとつの頂点

2016-02-20 18:29:56 | モーツァルト
モーツァルトのピアノ協奏曲第16番から第19番の4曲はみな同じリズムで始まる。



16番ニ長調は一番手ということでど真ん中の直球勝負。ティンパニとトランペットも加わって勢いがある。
17番ト長調は2音目が下がってトリルの装飾もつき、ちょっとひねった洒落た雰囲気。弟子のバルバラ・プロイヤー嬢のために書いたもので女性的な感じがする。
18番変ロ長調は盲目の女性ピアニスト、マリーア・テレージア・フォン・パラディースのための作品。17番に比べると素朴で大らかな印象。この2曲はそれぞれ二人の女性の性格をドンピシャと描き分けているのかもしれないからモーツァルトは怖い。
19番ヘ長調はきびきびとしたアレグロ。5度上がるのが効いていてテンションが高い。

さて、今回のお題19番であるが、機知・ユーモア、軽快さといった観点において17歳の時から営々と続けてきたピアノ協奏曲というジャンルの頂点をなす。
上記の冒頭主題を徹底活用する第1楽章、諧謔的なロンド主題の後に突然シリアスな主題をフーガで出してさらに両者を組み合わせた2重フーガが出現するという凝った構成の第3楽章ともに素晴らしいが、謎めいた第2楽章に注目したい。

第2楽章はアレグレットの6/8拍子。これはドン・ジョバンニがエルヴィラの侍女を誘惑しようとマンドリン片手に歌うセレナードと同じ。普通の緩徐楽章ではなく、のんべんだらりとやってはいけない。
そんなセレナードの形の上にこんな旋律がのっている。



半音階で3度上がる4音の旋律について、この曲のCDを出しているシュタイナーはブレンデルとの対談で"As a rule, these languishing chromatic thirds are embedded in different emotional contexts in the music of this period."と述べている。まあ、どう見てもセレナードではない。
では何か、と言うと、私はキリエじゃないかと思った。ミサ曲のキリエ。じりじりっと上がる半音階と「憐れみたまえ」という歌詞、また冒頭からKyrie eleison, eleisonと歌うとピッタリはまるような気がするのだが、どうだろう?とにかく、何かの意図が込められて曲の形と全然ちぐはぐな旋律が組み合わされているのは間違いない。

さらにこの楽章の形式をABABとすると、Bの部分は純然たるオペラの一場面となる。ちょうどシュタイナーのCDにモーツァルトの自筆譜があったので借用する。



ピアノの旋律はこの部分のちょっと前から始まるのだが、こんなやり取りみたいだ。

ピアノ(モーツァルト):どうか私にオペラを書かせてください、オペラを書かせてください・・・
弦(宮廷のお偉方):No!
管(人々):そりゃあひどい、あんまりだ、あんまりだ・・・

シュタイナーの演奏では管楽器の旋律をわざとぷりぷり怒ったように強く吹かせている。自筆譜を見ると、最初書いた小節線をモーツァルトが後からうねうねと波線で消して書き直しているが、弦のNo!の部分と管の旋律の始まりをずらしてより劇的にしたのかもしれない。(ちなみにベーレンライターの新モーツァルト全集では管の旋律がになっているが、IMSLPで探した新しそうな譜では。自筆譜は…ちょっと分からない。)

この曲を書いた頃、モーツァルトは宗教曲もオペラも書いていない。そういう欲求不満をピアノ協奏曲という別ジャンルで密かに晴らしていたのかもしれない。
いずれにせよ、この楽章は普通の抒情的な歌とは大違いで、一筋縄ではいかない。

追記 本ピアノ協奏曲シリーズの元祖~クラヴィーアとヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 K.Anh.56(315f)

この曲は1778年パリからザルツブルクに帰る途中マンハイムで書き始めたものだが、冒頭120小節だけで未完に終わった。
上記のピアノ協奏曲と同じリズムで始まっている。

オーケストラはフルート、オーボエ、ホルン、トランペット各2本にティンパニも加わった大編成。
完成していれば、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364(320d)とならぶユニークな傑作となったはずで、残念。




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