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随想録~つれづれなる一言日記⇒Part2はhttps://blog.goo.ne.jp/conny_mizukiにて

私こと瑞希祐作が、無秩序・無作為・無節操に自分の思いのままを書きつづってみました。楽しんでください!

ルパン三世 VS 水戸黄門

2008-08-26 | 漫画・アニメーション・TV・演劇・舞台諸々
宮崎駿と言えば、日本を代表するアニメーションの大監督さんです。ナウシカから始まり、トトロ、キキ、もののけ姫、そしてポニョなど多くの名作・名キャラクターを生み出してきました。日本のアニメを支えてきたアニメーターの一人だと言っても過言ではないと思っています。

元々ある程度のフリークであれば、彼が昔関わった作品として、「アルプスの少女ハイジ」とか「未来少年コナン」があるのを当然ご存知のはずです。彼にもいろいろと下積みがあったわけで、その結果として現在があるのです。

でも彼の出世作は何? と問われれば、私は間違いなく「ルパン三世」を押すでしょう。彼の作風や作品を考えるとどうも結びつきにくいのですが、第2シリーズ(通称赤ルパン)のTVシリーズの中でも何作か担当をしていました。それもあってか、ルパンの映画作品の中でもっとも良い代表作(と本人は思っている)「カリオストロの城」も彼が演出・監督を担当していました。あの中に出てくるヒロインのクラリスも、そのおじいさんもどう見ても「カルピス名作劇場だ!」という漢字がするのではないでしょうか?

そういえばルパンも今年で40周年になりました。私は第1シリーズ(通称緑ルパン)が一番好きでした。他の作品はどうも視聴率を意識した作りになっているのに対して、このシリーズは少しハードにそしてアダルトに当時はできていた作品です。そういう意味ではもっとも原作に近い作品だったはずです。これは最近の「ゲゲゲの鬼太郎」の原作が、実はちょっとブラックな「墓場鬼太郎」であったのと同じような感覚です。

元々漫画というのをアニメーションにするのは非常に難しいことです。昨今はいろいろな漫画がアニメーション化されることが多くなりましたが、やはりその作品的クオリティーはどうしても原作に及ばないものが多かった気がします。それでも最近は絵のクオリティーや表現がかなり工夫されていますので、漫画が好きな方もかなり楽しめるようになってきたと思います。また作者や会社によっては、敢えて原作と同一視することなく、「こういうのもありかな?」という違った展開を持ち出すケースもあります。でも一番良いのは、ジブリのように漫画の原作ではなく、キャラクター・シアリオからすべてアニメーション用のオリジナルで作るほうが良いと思います。

話は戻りますが、「カリオストロの城」のエンディングで銭形軽侮がクラリスに向かって、「ルパンはあなたの大事なものを盗みました。それはあなたのこころです。」(原文は忘れましたが・・・)というような台詞を「落ち」に持って来ています。日本人的情緒がある含蓄のある台詞だなぁ、と思う反面、なかなか出てこないものであるとも思います。ストーリーの流れが、すべてこの一言に収束するようにできているところは非常に心憎いと思います。何度見ても思わず涙が出てきてしまいます。日本人の心を打つ作品であると私は思っています。(あくまでもいつものことですが、この見解は私個人のものですので、「いや、自分は違う!」と言う方には、すいません。)

ただ、日本のアニメーションはその作品の素晴らしさゆえ、海外に広く輸出されていますが、果たしてその繊細な「感情や心」の部分まで必ずしも輸出し、理解してもらっているとは思えないところもあります。もちろん絵とか脚本・演出のクオリティーが優れており、また細部にわたる緻密な構成が海外で受け入れられるのはとてもうれしいことですが、できればその「感情や心」の部分までしっかりと理解されるような環境になってくれないかなぁ? と心ひそかにいつも思うわけです。

昨今中国等に作品の外注をしている会社もありますが、やはりこういう貴重な技術はすべて日本で作りあげるようにしなくてはいけないのではないか? と思います。後世への技術伝達・クオリティーの維持は大事なことだと思います。

ところで、「ルパン三世」と「水戸黄門」には共通点があります。何かわかりますか? 偽者が本物になってしまうのです。(笑) 意味がわかる方は通ですね!

宇宙戦艦ヤマトを考える

2008-08-06 | 漫画・アニメーション・TV・演劇・舞台諸々
最近MSNの記事で来年に25年ぶりに新作が出るとの発表がありました。このアニメーションは私と同世代の人には極めて印象的なことであると思います。しかしながら本当に実現するのか私は疑問です。

83年に完結して以来、過去に何度か新作を出すという話がありました。いや、実際に出したことは出したのです。「YAMATO2520」という作品が1995年に続編(新作)として出されていたのですが、これが3巻まで出された後、以降供給会社の倒産という事態の中で中断されてしまいました。

その後何度か新作の話がありましたが、漫画家松本零士氏との著作権問題、供給会社の変更とかもあり、話が出ては消え、消えては出るというような状況でした。

今回のネタの出所は、http://feature.movies.jp.msn.com/news/080804/default.htm です。

さてと、このアニメーションは私も好きな作品でしたし、歴史的な転換をさせたものでもあるという認識です。その意味は、①以前の作品はそれ自体にテーマがあったものもあるが、より明確にそれが打ち出されていない。(ヤマトの場合は1作目が「戦争とはなにか?」、2作目が「愛とはなにか?」というテーマだと思いますが、現在から見れば消化不足の感を否めませんが、当時としては出来ばえは良かったと思います。)②善と悪という構図から、誰もが善でも悪でもなく、歴史的・実情的背景からどちらにでもなりうるという構図になった。(要は善も悪も見方によって変わってくるという考えになった。)③単にTVシリーズではなく、映画としてのエンターテイメントの基礎を構築した、等々が挙げられると思います。

これを引き継いだ形となったのがGundamで、この作品からは単にテーマだけではなく、それぞれの人間に関するバックグラウンドがしっかりするようになり、日本のアニメーションが他の国々のものとは一線を画すようになるのです。

個人的にはヤマトは2作目で華々しくもはかなく散って終わるのが一番日本人の趣向にあったと思うのですが、その後、企業の利益の追求によって復活し、駄作が続く構図となるのです。まあ今回の復活編もそういう意味ではその延長線上ではないか?というような気がします。25年前と比べ、日本人のアニメーションに対する態度もずいぶん変わってきていますし、そういう人々を満足させるには相当凝ったものにしなければならないでしょう。

一番の懸念事項は、前にも述べたように、復活の話があって、ぽしゃって、再度復活ということが繰り返してきただけに、本当に今回はちゃんとできるのでしょうか? というところに疑問が生じるのは自然なところです。

どちらにせよ、運よく復活しても当時のファンを含め納得のいく作品が出来るか否か? それが注目すべき点だと私は思います。

そういえば、アニメーションの主題歌がヒット曲とみなされるようになったのは、確かこの作品が最初ですよね?沢田研二が歌ったやつでしたね?「ヤマトより愛をこめて」ですよね? これと杏里の「Cat’s Eye」が後のアニメーション主題歌=ヒット曲の構図を作りだす先例となったのだと私は思っています。

なにはともあれ、今度こそ「沈没」しないように発進をさせてほしいものです。お願いします!
どうせなら「YAMATO2520」も完結させて欲しいわな!

「20面相の娘」が面白い!

2008-07-14 | 漫画・アニメーション・TV・演劇・舞台諸々
引越しに伴う異常状態が2週間とカナダへの旅行が1週間、計3週間の間に録画した日本のTV番組が膨大な数になってしまいました。昨日自宅に戻って来てから鋭意消化作業を開始していますが、これが終わるのがいつになることやら・・・。

さて、最近のお薦めアニメで「20面相の娘」というのがあります。原作は少女マンガらしいのですが、私は見たことがありませんでした。前にネットで他の調べ物をしていたときに、ふと寸評が載っていて、さらにTVアニメ化されたので、とりあえず見てみようということにしました。

いやこれがなかなか面白いのです。

元々推理小説が好きだったのは前回書いたとおりです。だから「20面相」と言えば江戸川乱歩の作品が直ぐに頭をよぎります。もちろん原作とは違うので、そのあたりをどう料理するのかな?と思って気になりました。ストーリー的には前半最初の主人公「チコ」と20面相が出会い、仲間になり、そして分かれるところまでは、何となく江戸川乱歩の流れを作者自身なりに反映させながら消化しているような雰囲気もありました。オリジナルの「20面相」は大凡明智小五郎側の視点から描かれていますが、もし20面相側の立場から作品を書いたら、そしてそれがモチーフとなった作品であれば「これはありかな?」という感想です。

繰り返しになりますが、私は原作を知らないので今物語がどの程度進行しているかがわかりません。現在チコ解放後、今度は彼女が20面相を探すというシーンになっています。(先週現在では死んだかもしれないと思っていた20面相が再登場するのですが・・・。) ただこのタームでは、なかなか面白い構図になってきたと思います。というのは、だいたいの20面相ストーリーは、「義賊」と「探偵」との勝負にフォーカスがあたっていますが、この作品では20面相自体が第2次世界大戦の軍部の暗部にかかわりがあり、それが元でいろいろな人間に追われているという設定になっています。その暗部というのが「人間兵器」とか「人体実験」等の731部隊を彷彿させるものです。実はこういうところにスポットを当てる点は、現在進行形中の二階堂黎人の「蘭子シリーズ」にかぶるものがあるのです。(作品中の時代背景もややずれているが似ている部分かも?) これも女性探偵が主人公ということで、共通する部分もありますが・・。これが意図的なのか、また不作為の偶然なのはわかりませんが、このようないろいろな形で「戦争の暗部」が出てくるところは興味深いです。

物語的にはまだまだ続くのでしょうが、この先どのような展開を示すのか? またそれをどのようにまとめていくのかは非常に興味がつきないところです。ここ最近あまり自分的には納得できる作品が少なかったので、(マニアックに)期待している作品のひとつだと言えます。

いやー、これが米国で仮に、英語版で放映されたら個人的にきっと面白いと思います。ちょっとレトロな懐かしさのある時代背景と推理小説のコラボレーションをこっちの人間がどのように見るか? 楽しみなところです。きっと「当たるか」「当たらないか」のどっちかで、平均的な結果にはならないでしょう。

今度日本に帰ったら、原作本を大人買いしてみようかな?

ジャンプインフレーションの法則

2008-07-10 | 漫画・アニメーション・TV・演劇・舞台諸々
私は結構の漫画フリークを自負しています。元はといえば、中学生の時に自宅から1時間くらいの学校に通学していたとき、帰りの電車やバスの中での時間を持て余すが故に、その場の退屈しのぎから始めた「少年ジャンプ」の購読がきっかけでした。それからというもの、高校・大学そして社会人になってからも大体片道1時間くらいの遠距離通学・通勤をしていたこともあり、この愛読時間はなかなか途絶えることなく、つい3年前に米国に来るまで30年近く、週に一度はなんらかの漫画雑誌に目を通し続けていました。やっぱり経験と一緒で、少しずつでも継続していると、それはある種の知識やトリビアとなり、やがて専門的考察に繋がっていくようになりました。

特に米国では、日本の漫画が「MANGA」ということで一大カルチャーとして認識されています。以前はComic=漫画は米国では子供が読むもので、大人はそんなものは読まないとさげすまれてきたような気がします。ところが近年になってひとつの文化となっているのです。今では田舎の書店ですら日本の漫画を見ることができます。「Naruto」とか「Bleach」などに留まらず、ちょっとマニアック的な作品すら書棚においてあるのです。恐らく日本にいる方が考える以上にかなりのところまで浸透していると言えます。

なぜ日本の「漫画」が海外でうけるのでしょうか? これに関しては私には一つの持論があります。

日本の漫画は、絵がきれいというだけではなく、独特のテクニック(遠近法の使い方だけではなく、コマ割・吹き出し・背景・トーン等あらゆる面にわたって細微に作られています)だけではなく、そのストーリー性がひとつひとつの漫画それぞれに独特の世界観を持たせており、それが物語を何倍にも膨らませているからです。

(私は、これ以外にも「漫画」はその時代を顕著に反映している作品が多く、そういう意味では「時代を映す鏡」だと考えています。)

米国では「Graphic Novels」というコーナーで漫画を並べているところもあります。所謂漫画は、単なるコミックでもなく、小説でもない第3のカテゴリーにあたるのです。(こういうストーリーの根深さから、最近ではよく漫画の解説本も日本では出ていますよね?)

但し、残念なことに、米国のこのような「MANGA」は、吹き出しも含めて全部英語です。したがって、この本を読むには英語の語学力が必要です。

ところで、私がジャンプを読み出したときには、「サーキットの狼」、「進め!パイレーツ」とか「包丁人味平」があったと記憶しています。それらの作品が時代の流れからずいぶんと入れ替わり新しい作品が出てきては消え、消えては出てきました。そうそう、「こち亀」だけは読み始めたころから既に連載されており、未だに続いているのは全くの脅威だと言えます。(やはり1500回以上休みなく描き続けるのはほんとうに超人技としかいいようにないと思います。)「Dr. スランプ」や「Dragon Ball」も読みました。今では「One Piece」が「こち亀」を除く長寿漫画としてありますが、まだまだ終わりにならないようです。

さて、今日のお題に書いた「ジャンプインフレーションの法則」ですが、これは聞いたことがある方もいるかもしれません。これは作品が進むにつれて主人公がだんだん強くなるにしたがって、次々と新しい更なる強い敵が出てきて、これをまた倒して主人公が強くなっていくというものです。これがある程度のところで話が終わりになればよいのですが、人気がある漫画ほど、終わりにすることが出来ず、次から次へと新しい敵が出てくるということになります。「Dragon Ball」や「魁!男塾」、「聖闘士星矢」などがこれにあたります。物語が次第に盛り上がっていくという点では、非常に展開が面白いのですが、どこまでも際限なく続くと、最後には中途半端な終わり方になってしまうものも多いです。(例えば中断するとか、主人公の新たなる旅立ちで終わるとか・・・)この手の漫画で、「大団円」できちんと納得のいくような終わり方をする物語が意外と少ないことがこの原因です。ちなみにこの「インフレーションの考え方は、漫画だけに留まらず「Dragon Quest」や「FFシリーズ」のRPGゲームにも導入されている考え方です。どうもこういう考え方が日本人はお好きなようです。

やはり日本人は組織的な社会で一つひとつ階段を上りながらそのカテゴリーを卒業して次の階層へあがるという考え方が根っこにあって、それがこういうストーリー性を支持する基盤になっているのではないかな? と思います。要は経験値をつむことで一歩一歩成長する「主人公」の姿に感動するのではないかと思うのです。米国人のような「アメリカンドリーム」的な発想よりも、こうした地道な努力が「美しい」と感じる人が多いのではないでしょうか? これが時として米国人には「非論理的」とか「無駄な努力をなぜするんだ?」という我々への問いかけになっているような気もします。こう考えると漫画ひとつで、米国と日本の比較文化の一端が顕れているのかな?と思うときもあります。

結構今日の話は脱線的になってしまいましたが、皆さんはどうお考えになりますか?

いつも思うのですが、どうして主人公は最初のほうで強い敵にあたらないのでしょうか? 確かにそれを言ったら話が続かないので、意味がないことは分かっていますが・・・。(笑)

ノイタミナ

2008-06-25 | 漫画・アニメーション・TV・演劇・舞台諸々
「ノイタミナ=NOITAMINA」とはひっくり返して読めばわかることであるが、Animationを逆さから呼んだものである。これは深夜時間帯のアニメーションということを意味しているのだが・・・。

ロケーションフリーを手に入れて、日本の番組が案外自由に見れるようになってからというもの、結構アニメーションにはまっている。何でか?というと、見ていてそんなに考えなくてよいことと、現実から一時的に逃避できるからである。いつも仕事をしたり、出張が重なると日本にいたときでさえ疲れたのに、更に米国だったらその疲れは言わずもかな、というほどである。家に帰ってくると当然のことに現実逃避をしたくなる。そういうときにアニメーションは見ていて自然にすーっと体の中に入ってくるのである。

私は元来コミックス派であり、あまりアニメーションにはこだわっていなかった。中には好きでみていたものもあったが、フリークになるまで見ていたものはそれほどない。こっちに来てからもそういう心境に変化はないが、漫画が手に入らない分を補う意味で結構見るようになった。

元々日本の漫画は外国でも受けが良い。「MANGA」とか「Graphic Novels」とかいうタイトルで米国の書店にも結構のスペースが取られている。その影響は日本で考えていたよりも大きいものである。こちらの地域で年に1度「Japan Festival」というのを大々的にやっているが、そのときも何を勘違いしたかコスプレをしてくる人までいる。本当にすごいと思う。

どうして日本の漫画とかアニメーションはそれだけ受け入れられるのだろうか?

その話は後日まとめたいと思っているが、漫画は話のバックボーンがしっかりしていること、アニメーションは更に製作・映像技術が他国と比べて傑出しているからであろう。

さて、ノイタミナ枠で放送されているものを見ていると、結構おもしろいものが多い。深夜放送だとアダルティーなやつとかくだらないものが多いように昔は考えられていたが、最近はゴールデン枠に放送しても十分問題ないようなやつが多い。また内容も結構しっかりしている。一話だけ見ていても話がわからず、最初から最後まで通して見て初めて内容がわかるものもある。人気のあるものは「Season 2」が放送されることや、時間帯が夕方に移動するものもある。ある意味、人気が出るか出ないかがわからないものをここで試してみるという手法をどうやらとっているようである。また普段見ることのできない人のためにDVDを発売して、それで稼ごうというビジネス戦略もある。なるほど、深夜番組の使い方もいろいろあるものだと感心させられる。

最近見たものでは、「Darker than Black-黒の契約者」、「墓場鬼太郎」などの作品がおもしろかった。(残念ながらのだめカンタービレは見ていなかった・・・。)また最近おもしろいな、と思うのは「20面相の娘」とかである。新作なのだが懐かしさという点では、「マクロスF」などもある。アニメーションに関しても作品を取り上げて寸評をいれることができたらいいなとは思っている。きっとこういう作品もいずれアメリカで放送されるでしょう。(最近米国では「コードギアスー反逆のルルーシュ」の1st Seasonが放送されている。ちなみにこういう番組はアメリカでは「アダルトスイム」というPG-14枠での放送が主流である。どうも暴力的とか子供にふさわしくない内容が含まれているということで、表現・描写に関しては、米国は厳しいのが現状である。)

とにかく今はまあそういうものを見ていると心が休まるのである。
早く続きが見たい・・・。