秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メールアドレス arashigeru@yahoo.co.jp

25周年会報記念号の4

2018年04月06日 | 会報
今回が会報紹介の最後となります。
並木伸一郎氏が来秋した時の紹介に加えて、例会の初回からの訪問先一覧をアップしてあります。
また会報の実質作成者 佐々木民秀氏のご苦労を偲ばせるご挨拶も必見です。


















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25周年会報記念号の3

2018年04月05日 | 会報
会の設立にも携わった目黒明彦さんの寄稿は興味ある大作です。
題して「戦後100年 古封筒・古はがきから視る」であります。














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25周年会報記念号の2

2018年04月04日 | 会報
奇々怪会を考える・・・・との表題だが、むしろ「奇々怪会と私」の方が適正であったでしょうか。
私、小笠原の初寄稿であります。文章の未熟さに恥じ入っております・・・・・・















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会報の25周年記念号発行されました

2018年04月03日 | 会報
会報の「創立25周年記念号」が発行されました。
表紙からして立派です!! 中味も数々の思い出や懐かしい画像や新聞記事も盛り沢山です。

並木伸一郎氏からお祝いの寄稿をしていただいたり盛り沢山ですので、本ブログへのアップは2~3回に分けて行いますので、ご了解下さい。
毎度会報の発行に多大の努力いただいております佐々木民秀さん、伊藤眸さんご苦労様でした。
*今回の会報に会員名簿が掲載されておりますが、個人情報保護の観点から本ブログへの掲載は見合わせます。


















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逝きし世の面影で語られる旧き良き日本10

2018年04月01日 | 本・雑誌から
さて、今日のテーマは「裸体と性」である。実はこのテーマの内容は私にとっても驚愕であった。

まず、ペリーに同行したウィリアムズは
「私が見聞した異教徒諸国の中では、この国は一番みだらかと思われた。体験したところから判断すると、慎みを知らないと言っても過言ではない。
婦人たちは胸を隠そうとしないし、歩くたびに太腿まで覗かせる。男は男で、前をほんの半端なボロで隠しただけで出歩き、その着装具合を別に気にもとめていない。
裸体の姿は男女共に街頭に見られ、世間体などお構いなしに、等しく混浴の銭湯に通っている。みだらな身ぶりとか、春画とか、猥談などは、庶民の下劣な行為や想念の表現としてここでは日常茶飯事であり、胸を悪くさせるほど度を越している」
「この民族の暗愚で退廃した心を啓示された真理の光が照らし得るよう、神に望み、かつ祈る」

なんとも過激な表現でないだろうか・・・・・・・しかし、ある面これが事実なのだ。

まず混浴だがこの時代当たり前だったようだ。
ドイツ人画家ハイネ「浴場それ自体が共同利用で、そこでは老若男女、子どもを問わず混じりあって、ごそごそうごめき合っているのである」
「日本のように男女両性が、これほど卑猥な方法で一緒に生活する国は、世界中どこにもない」この混浴風景は彼ら外国人の評判だったらしい。

スミス主教も「老いも若きも男も女も、慎みとか、道徳的に許されぬ事だというはっきりとした分別を備えている様子をまるで示さず、恥もなく一緒に混じりあって入浴している。日本人は世界で最もみだらな人種のひとつだということだ」

ハリスはこうした批判的な言い方は避けて「私は何事にも間違いのない国民が、どうしてこのように品の悪い事をするのか、判断に苦しんでいる」と言っている。

さて、混浴だけでなく女性が裸をさらすのに何の抵抗もない事実が沢山報告されている。
例えば”行水”だ。
たらいに水をはって汗を流すこの行水が「家の玄関先の路上」か、室内であっても道路から見える場所で「ご婦人が堂々と」しているのだ。
ホームズ船長「長崎の町を散策中、あだっぽい娘が全裸の状態で家から飛び出して、家の前の行水桶に飛び込んだ。彼女はあやうく船長と衝突するところだったが、顔も赤らめずビックリしている彼を桶の中から見てクスクス笑っていた」

ブラック「こんな行水風景は居留地のすぐ近所でしょっちゅう見たし、本山から山手に通じる道、周りの村でも何度も見た。四方八方へ遠出する人にとって、いわゆる『見境いのない行水』はごく普通に見られたので、じきに何とも思わなくなった」

実は行水だけでなかった・・・・銭湯の前を外国人が通ると(まだ外人が珍しい時代)これを見ようと風呂から全員が飛び出てきて、その際全員が、若い女性すらスッポンポンであったという記録がある。

ホジソン(長崎領事館勤務が江戸に来た時)「男女の入浴者が入り乱れて、二十軒ばかりの公衆の小屋から、我々が通り過ぎるのを見物するため飛び出してきた。皆がみな何一つ隠さず、生まれたままの姿であった。こんなに度肝を抜かれた事はなかった・・・・男女の入浴者が全員、裸であるのに平気で、意識も顧慮もせず、新奇な光景をゆっくりみて、好奇心を満足させようとした」

イザベラ・バードが秋田県の横手で「私が二本の足で歩いていると、人びとは私を見ようとして風呂から飛び出してきた。男も女もひとしく、一糸もからだにまとっていなかった」

モースが日光で温泉の温度を計る作業をしていたら「オハヨー」と声のする方向を見ると、前日出あった思慮深い二人連れの娘が入浴中でドギマギしてしまった。とか・・・・・・・
やはり日光で人力車に乗っている時、一件の家のほとんど往来というべき所で、一人の婦人が行水桶に入っていた。彼女は身体を洗う事をやめず、平気で我々一行を眺めやった。人力車夫は顔を向けもしなかった。

さて、これらの事実をどう考えたらよいのだろうか。モースはこう言っている。
「我々に比して優雅な丁重さは十倍も持ち、態度は静かで気質は愛らしいこの日本人でありながら、裸体が無作法であると全然考えない。全く考えないのだから、我々外国人でさえも、日本人が裸体を恥じぬと同じく、恥ずかしく思わず、そして我々にとっては乱暴だと思われる事でも、日本人にはそうでないとの結論に達する。たった一つ無作法なのは、外国人が彼らの裸体を見ようとする行為で、彼らはこれを憤り、そして面を向ける」

どうもここで紹介される事例は・・・・・特殊な事ではないようである。長崎でも、日光でも、横手でもと言った具合にそうした事が記述されているのであるから。慎みがない・みだらだ・卑猥と言った表現で責められるこの事象は、それまでの日本賛辞とは一転している。
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