田舎神職の人生-自然の中で生きる

神明社に奉仕しながら、気ままに生きる日々の暮らしを、生かされて生きることに感謝しながら綴っています。

「直葬を増えつつある」と聞く

2014年05月31日 11時22分22秒 | 日記
 邸内社を移転した家に遷座して、古い祠の処理を石材店に頼みました。
 石材店との打ち合わせの後で聞いた話に驚きでした。
 
「最近の仕事の半分くらいは、古い墓の取り壊しです。都会に出て代が変わって子から孫へとなると、田舎に墓参りに戻れない。そこで田舎の墓の取り壊しを頼まれる。お坊さんからお経をあげてもらって墓を崩すまではいいが、遺骨の引き取り手がない。骨壺も小さいもので遺骨が全部入らない。合同の納骨堂がある寺に納める話をしても、お金がかかるためか、「海にでも撒いて来ようか」ということになる。」

「お墓を新しく建てるという場合でも、この墓を誰がどこまで守ってくれるか分からないといって建てる場合が多い。」

「最近、葬儀を行うお金がない、葬儀にお金を掛けたくないということで、直葬が次第に多きなってきている。遺骨も火葬場においてくることができるので、お墓も無くていい。葬儀をしないのだから、戒名も無く位牌も無い。だから仏壇の必要もなくなる。」

「新井満の『千の風になって』が多くの人に歌われるようになって、お墓がいらないとする考えが広がってきた。」

 この話を聞いて、これまで2000年以上続いて来た日本人の伝統というか習慣、考え方が全く絶えてしまうことの恐ろしさを感じました。

 今私たちが生活できるのは、過去の親や先祖の弛みない苦労と努力のお蔭であり、先人の開発のお蔭で便利な生活を享受できています。そうであるなら、親や先祖の御霊を供養することは現在の自分のためにも必要なことです。

 困った社会現象です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿