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田舎神職の人生-自然の中で生きる

神明社に奉仕しながら、気ままに生きる日々の暮らしを、生かされて生きることに感謝しながら綴っています。

敬いの心と行動

2012年10月21日 17時29分16秒 | 神さま
 今年の秋祭りも、これまで無事務めることができました。
 今日の吉川神明社も感慨深い秋祭りとなりました。



 今年の祭り当番で、お昼を御馳走になった家の奥さんのお話に、感じ入りました。神社のすぐ近く、100メートル余りの所にある家です。

「神明社の命日は16日、同じ建物の中にある地蔵さんの命日はは24日です。毎月この二日は神社に出かけて、神様と地蔵さんにお供えをしてお参りしてきました。冬、雪が多くて行けない月は、家で部屋の神社の向きにテーブルを置き、そこに三か所お供えをしてお参りしました。
 祝い事があったとき、餅をついたり、赤飯をふかしたり、だんごを作ったり、新米を初めて炊いたとき、他人から珍しいものをもらった時には、必ず神社にお供えしてから家に持ち帰って食べてきました。
 これまで50年間ずっと続けてきたことです。
 だから、地蔵さんが教えてくれるのです。地蔵さんの寂しそうな夢を見たので行ってみたら、花が枯れていたので、新しい花をお供えしてきたことがあります。
 子供が東京に帰るという日は、朝『無事につきますように』と神社にお参りして、東京に着いたという電話があると、夕方『無事につきました。ありがとうございました』とまたお参りに行きました。」

 長年やってきて習慣になっていると無理が感じられません。ごく当たり前にやっているというのです。今日も旦那さんは、秋祭りの神饌とは別に、小さな入れ物に赤飯を入れて神前にお供えしていました。帰って奥さんと食べるのでしょう。

 一口に「神を敬う」と言いますが、言うは易く、気持ちはあってもなかなか行動にまで結びつかないのが、私です。この奥さんのお話には脱帽です。


宮司さん、今日神様に助けられました

2012年04月05日 11時40分59秒 | 神さま
 先日の木折神社の春祭りで、昼食を食べながら役員の一人から聞いたお話です。

 宮司さん、今日、木折神社の神様に助けてもらいました。
 お祭りのお供えの鯛を買うために、海岸線を寺泊まで行ってきました。途中で、狭い道路を大型トラックの対向車が近づいてきたので、少し端に寄ろうと考えていました。そこへ急に、後ろを走っていた大型トラックが、何を思ったか、追い越しをかけてきたのです。前から2台のトラックが並んで目の前にいました。ガードレールぎりぎりに停まり、もう終わりがと観念しました。トラックは、サイドミラーすれすれに音を立てて通って行きました。
 私の車の後に後続車がもしいたら、急ブレーキをかけた私の車に衝突していたが、幸い後続車はなかったのでよかったです。
 今思い返してもゾッとします。木折神社の神様に助けてもらいました。

 世の中、神様に助けられることは多いのではないでしょうか。それに本人が気付くかどうかの問題のようです。


神様のお話⑬~大国主神と少彦名神

2012年03月19日 16時35分31秒 | 神さま
 大国主神が出雲の美保の岬に居たときに、波頭を渡ってガガイモの殻で出来た船に乗って、蛾の皮を着た小さな神様が寄ってきました。
 名前を聞いても答えず、供の者に聞いてもみな知らないと答えました。ガマガエルが「案山子(かかし)なら知っているでしょう」というので案山子に聞いてみました。すると、「神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子で少名毘古那神(すくなびこなのかみ)です」と答えました。
 そこで、祖神である神産巣日神に確かめると、神産巣日神は「本当にわが子なり。私の手の股から生まれた子である。大国主神と兄弟となって、この国を造り固めなさい」と言いました。

 少名毘古那神は大国主神と一緒に国中を巡り歩いて国を造り固めます。そして、再び常世国へ帰ってしまうのです。大国主神は「私は一人になってしまった。どうして国を造り固めたらよいのだろうか」と嘆いていました。
 するとその時やってきた三輪山の神様が「私の御霊をお祭りしなさい。そうしたら私はあなたに協力をしましょう」と言ったのです。

 少名毘古那神(少彦名神)は、土や肥料など農業技術の神であり、病気を治す薬とされた酒の神でもあり、温泉を医療に使った神様でもあります。体は小さくても国造りのために多くのことをされた神様です。


神様のお話⑫~大国主神と奴奈川姫

2012年03月16日 19時26分56秒 | 神さま
 大国主神、別名八千矛神(やちほこのかみ)は、出雲の国(今の島根県)から遥か遠い越の国(今の新潟県糸魚川市)まで、沼河比売(ぬながわひめ)を妻に迎えようと出かけます。
 沼河比売の家の前で外から大国主神が求婚の歌を詠みます。それに対して沼河比売も歌で応えます。でもその日は会わずに、翌日の夜、大国主神は沼河比売と結婚します。

 新潟県糸魚川地方は、ヒスイの産地で縄文時代にもヒスイの玉造りが行われていたといわれます。今も沼河比売を祀る奴奈川神社があります。
 糸魚川地方に残る伝説では、大国主神が沼河比売と結婚して、生まれた子が建御名方神(たけみなかたのかみ)で、現在の長野県諏訪市の諏訪大社の御祭神になったといわれています。
 新潟県と出雲の国との関係は深かったのかもしれません。新潟県の海岸に「出雲崎市」があります。



神様のお話⑪~大国主神の根の国訪問

2012年02月12日 11時20分48秒 | 神さま
 兄弟の神々の迫害から逃れて、須佐之男命(スサノオノミコト)の所へ行った大穴牟遅神(オオナムジノカミ)が、出雲の国の主大国主神となるお話です。 

 須佐之男命の娘、須勢理比売(スセリヒメ)が出て一目見て大国主神と結婚します。

 須佐之男命は大国主神を部屋に案内して寝るようにいいます。実はその部屋は蛇のいる部屋でした。妻の須勢理比売は蛇を祓う「蛇の頭巾(ひれ)」を夫に授けます。蛇の頭巾のお蔭で蛇に食いつかれずに一夜を安らかに過ごすことができました。
 次の夜は、ムカデと蜂のいる部屋に入れました。今度も妻から、ムカデと蜂を祓う頭巾を授かり、難を逃れ無事に出てきました。

 そこで、須佐之男命は矢を野原に放ち大国主神に拾うように言い、野原に向かうと火を放ちました。 火に囲まれた大国主神はネズミに助けらます。大きな穴に落ちて火が通り過ぎるのを待ち、ネズミから矢を見つけてもらいました。葬式の用意をして待っていた須勢理比売は喜びました。

 須佐之男命は、戻ってきた大国主神に頭のしらみを取るように命じました。見ると頭にはムカデが多くいたのです。大国主神は妻から椋の実と赤土を口に入れ、噛み砕いて唾と一緒に吐き出しました。須佐之男命はムカデを噛み砕いて出していると思い満足して眠ってしまいました。

 眠った須佐之男命を家の垂木に縛って、大国主神は妻と一緒に、生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(あめののりごと)を持って逃げました。
 目を覚まして追いかけてきた須佐之男命は、大穴牟遅神(大国主神)に言います。
「生太刀・生弓矢で兄弟の神々を追い払い、須勢理比売を妻にして、大国主神となり出雲の国の主となり、大きな宮殿を建てて住むがよい。」