今日は、新潟県神社庁柏崎支部の招魂祭でした。
明治39年7月に、柏崎市立柏崎小学校の体育館で第1回招魂祭をやってから、太平洋戦争中も戦後の混乱期にも途切れることなく毎年7月に斎行してきた招魂祭です。今年で第109回となります。
支部長さんが斎主で、若手の青年神職が女性を含めて5名、計6名での祭典でした。6名で事前の習礼を重ねて、流れるような美しい祭式でした。斎場の八坂神社は再建されて4年ほども新しい神社です。新潟県神社庁長、新潟県護国神社宮司、遺族会の代表者などの参列により厳粛に行われました。
来賓祝辞の中で、「継続は力なり」の言葉がありましたが、これまで続けてきた先人のご苦労と英霊に対する尊崇の念を強く感じます。新潟県内はもとより、全国でもこれほど長く続いている戦没者慰霊祭はまれと思います。
来年は、第110回となります。広い会場に替えて、大勢の遺族や神社関係者、一般の方々の参列のもとに斎行したいと計画が進められています。折しも、来年は太平洋戦争終戦後70年にあたります。区切りの年です。
明治39年7月に、柏崎市立柏崎小学校の体育館で第1回招魂祭をやってから、太平洋戦争中も戦後の混乱期にも途切れることなく毎年7月に斎行してきた招魂祭です。今年で第109回となります。
支部長さんが斎主で、若手の青年神職が女性を含めて5名、計6名での祭典でした。6名で事前の習礼を重ねて、流れるような美しい祭式でした。斎場の八坂神社は再建されて4年ほども新しい神社です。新潟県神社庁長、新潟県護国神社宮司、遺族会の代表者などの参列により厳粛に行われました。
来賓祝辞の中で、「継続は力なり」の言葉がありましたが、これまで続けてきた先人のご苦労と英霊に対する尊崇の念を強く感じます。新潟県内はもとより、全国でもこれほど長く続いている戦没者慰霊祭はまれと思います。
来年は、第110回となります。広い会場に替えて、大勢の遺族や神社関係者、一般の方々の参列のもとに斎行したいと計画が進められています。折しも、来年は太平洋戦争終戦後70年にあたります。区切りの年です。
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