上山明博 なう。

ノンフィクション 作家・上山明博のブログです
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NHKスペシャルMEGAQUAKE「よみがえる関東大震災」

2013年08月31日 | 新聞.雑誌.テレビ.ラジオ
今日、8月31日(土)夜7:30放送のNHKスペシャルMEGAQUAKE のタイトルは、
「よみがえる関東大震災 ─ 首都壊滅 90年目の警告」。
その番組制作スタッフから、関東大震災ならびに
『関東大震災を予知した二人の男』の主人公 大森房吉と今村明恒に関する取材を受けました。
私は出ていないけれど……、見たい!

番組予告編動画はこちら

藤井聡(京大教授)評『関東大震災を予知した二人の男』上山明博著

2013年08月25日 | 書評
京都大学大学院教授の藤井聡氏からこの上ないご高評を頂戴し、感謝の言葉もありません。
震災に立ち向かった二人の男の生き方と死に方、学者の責任、国民の覚悟など、
限りある紙面のなかで、的確なご指摘と、身にあまるご高評をいただいた。
多くの月日をかけて取材執筆した苦労は無駄ではなかった、と思える瞬間です。
(「産経新聞」8月25日日曜日14面読書欄)

MSN産経ニュース【書評】

「目次」と「あとがき」(『関東大震災を予知した二人の男』より)

2013年08月23日 | 新刊本紹介

「 あ と が き 」

 筆を執るまでに,1年以上の歳月が経っていた。
 平成23年(2011)3月11日金曜日,午後2時46分18秒。三陸沖で巨大地震が発生し,東日本に未曾有の被害をもたらした。
 これまで日本は,地震の前兆現象を捉えるために巨額の予算を投じて地殻岩石歪計やGPS(全地球測位システム)など,さまざまな観測機器を日本列島全域に設置し,世界でも例を見ない監視態勢を整えてきた。
 そうして迎えた23年3月11日。突然襲った大地震は,日本の地震予知態勢を根底から覆した。なぜなら,わが国観測史上最大の地震が発生したにもかかわらず,前兆すべりなどの顕著な前兆現象が認められなかったからだ。
 巨大地震の直前予知の失敗を受けて,日本の地震学者は,東日本大震災の翌年にイタリア中部を襲った地震後に起きた事件を大きな衝撃として受けとめた。その事件とは,イタリア中部地震が発生する直前に十分な検討をすることもなく,必要な警報を出すことを怠ったために犠牲者を増大させたとして,過失致死傷罪に問われたイタリアの地震学者らに有罪判決が下ったというものだ。
 その後,地震学者らで構成する内閣府中央防災会議の専門家部会と,日本地震学会はともに,「地震予知は困難」であるとする見解を相前後して発表。爾後,「地震予知」という言葉は極力使用しないことを申し合わせたのである。
 地震予知をおこなうことを前提に潤沢な研究費を得てきた当の地震学者が,地震予知の可能性をみずから否定することは,科学者としての責任を放棄し,国民の期待を裏切ることにほかならない。にもかかわらず,敢えて「地震予知は困難」とする見解を発表した理由は,さまざまな憶測を呼んだ。そのなかには,イタリアと同じように日本で告訴された場合に備え,有罪判決を回避するための裁判対策と見る向きもある。
 地震大国・日本に生まれ,地震の巣の上で生活する私たち日本人にとって,地震予知は国民的な悲願といっていい。地震予知という大きな目標に向かって研究を進めるのか,それとも断念するのか,地震学はいまその将来を左右する大きな岐路に立っている。
 ところで,3・11の3日前から三陸沖の大気中のラドン濃度が急激に上昇したことを,NASA(アメリカ航空宇宙局)の観測衛星が捉えていたことが近来明らかになった。震源域の岩盤が徐々に破壊されることによってラドンガスが発生したと考えられ,ラドン濃度の上昇は,大地震の顕著な前兆現象のひとつである可能性が指摘されている。
 こうした新たな前兆現象をいち早く捉え,来るべき地震予知に繋げる必要性が叫ばれつつある。そうした要請に応えるために,たとえば,大学や省庁や国の壁を越えて,地震予知の研究を推し進めることはできないだろうか。地球規模の地震観測網を構築し,地震予知の国際共同研究をおこなう。けだしそれは,地震学を創成したジョン・ミルンや大森房吉らが夢みた構想でもあった。
 震災による多くの犠牲を無にすることなく,地震予知の研究を未来に繋げるために,地震学の原点に立ち戻り,先人たちが想像した夢の軌跡を検証すべき時機が来ているのかも知れない。筆を執ったゆえんである。

 執筆するに当たって,じつに多くの方々のご協力をいただいた。
 わけても,東京大学地震研究所助教授を経て,日本地震学会会長や文部科学省地震調査委員会委員長などを歴任された津村建四朗氏には,一方ならぬお世話になった。
 明治大正期の地震観測の手法についてご教授いただいたのをはじめ,津村氏のご教示により,東京大学地震研究所が所蔵する世界で最初の地震学会誌『Transactions ofthe Seismological Society of Japan(日本地震学会欧文報告)』や,その後の日本の地震学を牽引した震災予防調査会の会報誌『震災予防調査会報告』にじかに触れ,ジョン・ミルン,大森房吉,今村明恒,寺田寅彦など,地震学の黎明期に活躍した先人たちの稀覯の論稿を読むことができたのは,著者にとって何より幸せだった。
 また,大森房吉ならびに今村明恒の孫弟子に当たる元北海道大学地震火山研究観測センター長の島村英紀氏にお会いし,東京大学地震学教室の学風や遺品に関する貴重なお話をお聞かせいただいた。
 一方,大森房吉の故郷・福井市にある旭公民館館長の藤井一夫氏のご尽力を得て,大森房吉の複数の後裔の方と直接連絡を取ることができた。
 さらに,今村明恒の家宅を探し訪ね,嫡孫となる今村英明氏のご厚意により,今村明恒が手ずから記した日記やノートなどを拝見する機会に恵まれた。
 筆を執ってから半年あまりが経ち,執筆が終盤にさしかかったころ,東京大学地震研究所を訪ね,広報アウトリーチ室の桑原央治氏の案内で地下一階にある地震観測室(現地震計展示室)を見学させていただいた。
〝地震観測室〟と墨書した白木の板が掲げられた観音開きのドアが開くと,リノリウムの床の中央に鉄筋コンクリート製の堅牢な台座があり,その上にさまざまな種類の地震計がガラスケースに収められ,陳列されていた。
 それらの地震計を見送りながら,私は桑原氏のあとを追うようにして部屋の奥に設えられた小さな部屋に入った。そこには,私の背丈よりも高く大きな地震計が据えつけられていた。
 1立方メートルはある鈍色の重厚な台座の上に,さらに1メートルほどの高さの鋼鉄製の支柱が立ち,それを支点にして振子が地面に水平に伸びている。明治31年(1898)に大森房吉が製作した大森式地震計である。
 水平振子の先端の描針に目を凝らすと,描針の先は,ゆっくりと回転するドラムの表面にわずかに接しながら,漆黒の記録紙の上に白髪のような細い線を描き出していた。
 百年以上も前から今日にいたるまで,東京大学の地下の地震観測室で営々と地球の鼓動を観測しつづけている姿を目の当たりにし,思わず肌が粟立った。
              *
 その後ほどなくして脱稿し,関東大震災から90年に当たる今年,上梓することとなった。
 地震学の進展と地震予知の将来のために,この本がいささかでもお役に立つことができれば幸いである。

   平成25年夏 南三陸町にて                       上山 明博


                 (『関東大震災を予知した二人の男 ─ 大森房吉と今村明恒』

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被災地「南三陸町」をゆく

2013年08月22日 | 南三陸をゆく
 地震に材をとった小説『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』を書き下ろし、出版社に入稿したのを機に、東日本大震災の被災地のひとつ「南三陸町」に行った。
 5月28日。3・11からすでに2年2カ月が過ぎているので、かなり復旧しているだろうと思った。が、交通機関は、いまだに寸断されたままだった。
 仙台から震源に近い石巻に行くためには、仙石線で「松島海岸」駅まで行き、そこから先の「矢本」駅へは、軌道が流されたため、JRの代行バスを利用。「石巻」駅で石巻線に乗り換え、さらに「前谷地」駅で気仙沼線に乗り換え。目的の南三陸町の「志津川」駅へは、駅舎ごと津波に流されて壊滅したため、軌道のある「柳津」駅から再び代行バスで「志津川」駅にかろうじて行くことができる。
 そうして、ようよう南三陸町に降り立った。
 ──眼前には、見渡す限りの更地が広がり、ところどころに今なお巨大な瓦礫の山が点在していた。

   2013年5月28日 南三陸町にて


1)南三陸町から港を望む
山側の国道398号から志津川港を望んだ。3・11によって、およそ2,000戸の家屋が流され、更地になった南三陸町の街の跡。見えるのは電信柱と瓦礫の山。



2)瓦礫の山
背丈の何倍もある、巨大な瓦礫の山また山。倒木やコンクリートごとに分別され、うずだかく積まれている。



3)志津川のおばさん
人一人通らない市街地の真ん中に清流の志津川が流れ、川の河口付近で漁師のおばさん3人が貝を採っていた。
一心不乱に作業をされていたため、声をかけることすら躊躇われた。



4)防災対策庁舎外観
南三陸町役場危機管理課の遠藤未希さんが防災無線放送を流しつづけたことで知られる、鉄骨だけの防災対策庁舎。



5)防災対策庁舎の花束
多くの遺族が、無残な防災対策庁舎を取り壊すよう主張するのに対し、震災の記念碑として保存することに向けた署名運動が巻き起こり、町は二分しているという。



6)防災対策庁舎の千羽鶴
なお、防災無線担当の遠藤未希(当時24歳)さんは、現在も行方不明のままだ。



7)防災対策庁舎のおじさん
普段は自宅にいることが多いが、3・11の日は偶々、志津川高野会館に行っていたため、九死に一生を得たと話す地元のおじさん。毎日自転車に乗って線香を手向け来るのだという。いつまでもお元気で──。



8)防災対策庁舎
防災対策庁舎三階には今も放送機器の残骸が見える。遠藤未希さんがマイクを握った放送室は二階にある。



9)防災対策庁舎の階段
防災対策庁舎の屋上に通じる階段。目前に迫る大津波を見て、遠藤未希さんは最後にマイクを置いて、この階段を伝って屋上に上がったはずだ。



10)旧魚市場
岸壁近くの魚市場横にある冷凍施設の巨大な鉄屑の残骸。



11)志津川湾の防波堤
志津川湾の防波堤の海側から撮影。防波堤の鉄筋コンクリートの階段の鉄パイプの手摺りが、津波の引き潮によって海側にまるで飴細工のようにねじ曲がっている!



12)志津川地区
見渡すかぎりの更地に、一人のおばあさんが歩いていた。地面には、家の土台の跡と、なぜか、多くの携帯電話の残骸が砂利とともに落ちていた。



13)クローバー
三陸町の犠牲者は、死者566名、行方不明者310名を数える。
家々が流されたあとの荒野の至るところに、多年草のクローバー(シロツメクサ)の白い花が咲き乱れていた。



14)災害ボランティアセンター
高台のベイサイドアリーナにある、災害ボランティアセンター。近くには、仮設住宅や町役場仮庁舎などもある。



15)JR志津川駅
旧JR志津川駅から、山に向かって20分ほど歩いたところに、JR志津川駅のバス停留所がある。海岸までは徒歩で30分ほど。
無論タクシーなどなく、国道398号を通っているのは復旧作業用の大型ダンプのみ。



16)志津川湾
志津川湾の南側から湾の全景を望む。湾の奥左手に、市街地だった魚市場や防災対策庁舎がある。
その上空を夥しい数のウミネコが飛び交っていた。



17)JR松島海岸駅
「仙台」駅からJR仙石線で 行けるのは、「松島海岸」駅まで。そこから先は代行バスで「矢本」駅へ。



18)JR矢本駅
「矢本」駅の電車の架線(架空電車線)の支柱が津波で倒壊したままだ。
その先は、仙石線の「石巻」駅、石巻線の「前谷地」駅、気仙沼線の「柳津」駅で乗り換え、目的の「志津川」駅へ。

『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』上山明博,産経新聞出版,2013年

2013年08月17日 | 上山明博の本
無能か,怠慢か ──
いまなお答えのない大問題,「地震予知」を問う


1923年9月1日,そのとき地震学者は ── 。
関東大地震を「予知できなかった男」と記憶された東京帝国大学地震学教室教授・大森房吉,「予知した男」と記録された同助教授・今村明恒。権威の責任とは,研究者の正義とは何か。ノーベル賞間違いなしと謳われた地震学の父,大森の信念に初めて光を当てる感動長編!!

「地震予知は困難」(2013年5月28日 中央防災会議最終報告)との見解が出されたいま,地震学の原点に立ち戻る。

吉村昭『関東大震災』から40年,関東大地震から90年目の真実

『関東大震災を予知した二人の男 ─大森房吉と今村明恒』上山明博、産経新聞出版(amazon)

新刊本が出来ました。

2013年08月16日 | 新刊本紹介
じゃじゃ~ん!! 上山明博著『関東大震災を予知した二人の男 ─ 大森房吉と今村明恒』。今日から本屋さんで売ってます!

女性編集長がつけてくれた赤の帯コピー「関東大地震から90年目の真実」が目に染みる~ (>_<) ほぼ1年間の私の汗と涙 (;_;)? の結晶です。

「関東大震災を予知できなかった男」と揶揄された東京帝大地震学教授・大森房吉と、「関東大震災を予知した男」と逍遙された同助教授 ・今村明恒。二人の論争を中心に、関東大震災に至る人間ドラマを克明に描いたノンフィクション小説。ぜひ一度、手に取って見てみてください!

上山明博プロフィール

2013年08月01日 | 上山明博プロフィール

上山 明博【うえやま あきひろ/Akihiro Ueyama/일본의 저술가】

1955年10月8日生まれ、岐阜県出身 東京都在住のノンフィクション作家・小説家
(日本文藝家協会 及び 日本科学史学会正会員)。
実家は岐阜の真宗大谷派(東本願寺)の仏家・龍登山浄栄寺で、法名は「釋明浄」。

1999年 特許庁産業財産権教育用副読本策定普及委員会委員、
2004年 同委員会オブザーバーなどを務める一方、
文学と科学の融合をめざし、
徹底した文献収集と関係者への取材にもとづく執筆活動を展開。
現在は、主に科学者や発明家の記録文学に取り組んでいる。

おもな作品は、ノンフィクションに、


『北里柴三郎 ― 感染症と闘いつづけた男』青土社,2021年

『地震学をつくった男・大森房吉 ― 幻の地震予知と関東大震災の真実』青土社,2018年

『ニッポン天才伝 ― 知られざる発明・発見の父たち』Kindle版,2018年

『世界を変えた10の法則』Kindle版,2014年

『ジャパニーズ・インベンションズ』Kindle版,2014年

『ニッポン発明物語』Kindle版,2014年

『技術者という生き方 ― 発見!しごと偉人伝』ぺりかん社,2012年

『ニッポン天才伝 ― 知られざる発明・発見の父たち』朝日新聞出版(朝日選書829),2007年

『発明立国ニッポンの肖像』文藝春秋(文春新書374),2004年

『発明立国ニッポンの肖像』Kindle版,2014年

『プロパテント・ウォーズ ― 国際特許戦争の舞台裏』文藝春秋(文春新書103),2000年

『プロパテント・ウォーズ ― 国際特許戦争の舞台裏』Kindle版,2014年

『科学を愛したサル ― 未来は実験室で作られる』宝島社,1990年

小説に、


『関東大震災を予知した二人の男 ― 大森房吉と今村明恒』産経新聞出版,2013年

『「うま味」を発見した男 ― 小説・池田菊苗』PHP研究所,2011年

『「うま味」を発見した男 ― 小説・池田菊苗』Kindle版,2014年

『白いツツジ ―「乾電池王」屋井先蔵の生涯』PHP研究所,2009年

『乾電池王とよばれた男 ― 屋井先蔵の生涯』Kindle版,2014年

などがある。

ご連絡は、a_ueyama(a)nifty.comまで。