上山明博 なう。

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随筆「震源から遠く離れて」を『脱原発社会をめざす文学者の会』に寄稿!

2015年08月10日 | 寄稿
脱原発社会をめざす文学者の会(代表=作家・加賀乙彦氏)が発行する同名の会報紙『脱原発社会をめざす文学者の会・第4号』(2015年8月10日発行)に、随筆「震源から遠く離れて」を寄稿しました。お手すきの折にご高覧ください。

「震源から遠く離れて」上山明博

随筆「震源から遠く離れて」   上山 明博

2015年08月01日 | 寄稿
 科学作家をなりわいとする私は、そのとき東日本大地震の震源から375キロメートル離れた東京で、ラジオやテレビから刻々と伝えられる未曽有の震災報道に息を飲んで聞き入った。
 あの大震災から4年あまりが経った今日、人びとの科学者に対する信頼は、震災以前に比べて著しく低下したように思う。なぜなら、私自身あの日以来、一部の地震学者や原子力工学者に対して拭いきれない不信感を抱いているからである。
 たとえば、東日本大震災が発生した翌年の2012年10月、日本地震学会は、「地震予知は不可能」と記者発表した。地震予知の実現を目標に掲げ、永年にわたって潤沢な研究予算を得てきた当の地震学者が、地震予知の可能性をみずから否定することは、科学者としての責任を放棄したとの謗りを免れない。
 また、原子力規制委員会は、その名とは裏腹に、安全確保のために原子力を規制するのではなく、原子力を推進することのみを追求している。そのため国民の多くから、原子力規制委員会の委員はみな御用学者だと見做されたとしてもしかたがない。
 原発推進者がいうように、電源の安定的確保は、国や地域の経済発展にとって極めて重要な追求課題のひとつであることは間違いない。しかし、そのために、国や地域の存立を根底から脅かすような大きなリスクを犯してまで追求することではないこともまた、疑う余地がないように思われる。なぜならば、僅かばかりの成長のためにみずからの命を懸ける愚者など、いるはずもないからである。
 顧みて、東日本大震災の発生から1年以上もの間、私は筆を取ることができなかった。
 そして、最初に取った筆で『関東大震災を予知した二人の男』(産経新聞出版)を脱稿すると、私はJRの代行バスを幾度も乗り継ぎ、震源にほど近い南三陸町に入った。
 太平洋を臨む志津川湾岸に着くと、防潮堤の海側の太い鉄製の手摺がまるで飴細工のように大きく曲がっているのを目撃した。おそらく、津波によって手摺が根元からねじ曲げられた結果だろう。
 防潮堤を抜けると、かつて街があったはずの場所に、小さな砂利が一面に広がっていた。跪いて掌に取ると砂利のなかに色とりどりの無数のプラスチック片や金属片が混ざっていた。目を凝らすとそれは、数十台分もの携帯電話の夥しい数の破片だった。この携帯電話の持ち主の多くは、津波に巻き込まれて犠牲となったのではないか、と想像した。
 私はいま来た志津川湾を振り仰ぎ、はるか沖合の震源に向かって黙礼した。


津波でねじ曲げられた志津川湾の防潮堤の手摺

津波でなぎ倒された街の残骸(撮影2点とも上山明博)