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南北首脳会談記念の「アジア横断鉄道特急列車」を走らせたい

2018年03月10日 | 韓国・北朝鮮

1945年8月9日ソ連が参戦したとき、関東軍第731部隊長石井四郎中将らは哈爾浜市平房から特別列車で逃げ出し、釜山から下関に上陸、金沢で解散したことは有名な話です。

韓国併合後、朝鮮総督府は人的・物的資源の収奪のために鉄道を更に敷設していきました。
母は大正3年に生まれましたが、「朝鮮平壌府竹園町壱番地鉄道官舎六拾壱号の壱」と戸籍謄本に記載があります。
祖父は朝鮮総督府鉄道局技師だったようですが、スペイン風邪で祖母が亡くなりましたので5歳の時に、弟と三人で日本へ帰ってきました。

ポーツマス条約により割譲した旅順ー長春の東清鉄道と奉天ー安東間の支線を経営した南満州鉄道(略称・満鉄)は、朝鮮鉄道(略称・鮮鉄)の釜山まで「特急列車」を走らせました。(注・満鉄と鮮鉄の沿革については不充分なところがありますので、後日調査してから補充します。)

4月に韓国の文在寅大統領と朝鮮共和国の金正恩委員長が首脳会談を開きます。そこで閉鎖されている鉄道路線京義線平義線を再開することを合意できれば、釜山から中国・北京、ロシア・モスクワまで、夢の「アジア横断鉄道」が実現します。

2009年8月に富士国際旅行社が催行した「若きいわさきちひろを訪ねる中国交流の旅」に参加しました。
大連市では、画家いわさきちひろが住んでいた旧日本人街、旧満鉄本社、ロシア人街、映画監督山田洋次自宅跡を見学しました。その後、大連鉄道局修理工場内に展示されている「アジア号」を見学しました。瀋陽市にも「アジア号」が展示されてると聞いています。しかし外から見るだけだそうですが、大連の場合は運転席まで見学することが出来ました。
その時の画像をアップします。
満鉄、鮮鉄の特急列車については、鉄道ファンからご意見を頂いておりますが、何れ鉄道博物館又は国会図書館で調べてからご報告致します。


前の通路が狭いので、前面の全体画像は撮れませんでした。








「朝鮮プサンー新京(長春)ー大連」「1934年川崎重工生産」と書かれていますが、この説明文が不正確だと指摘されている鉄道ファンがおられます。鮮鉄線路は重量のあるアジア号は走行不可だったようです。
































亡父長谷川幸二の戸籍謄本(一部)



(了)










                                                                                                                                              


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2 コメント

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拝読しました (森 一敏)
2018-03-10 23:01:24
南満州鉄道と朝鮮鉄道の復活が、東北アジアの平和事業となる日を私も期待します。
コメント有り難うございます (管理人)
2018-03-10 23:20:44
夜行列車が好きなので、中国ツアーでは何回も乗車しました。
中国の一帯一路政策で、トルコまでの鉄道は走っているようですね。

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