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毎日新聞読書欄「著者のことば」に東京農大足達教授と小塩教授が登壇

2019年08月14日 | 関東軍・満蒙開拓団・報国農場
昨日13日の毎日新聞夕刊読書欄「著者のことば」に、「農学と戦争」の著者東京農業大学足達太郎教授と小塩海平教授のインタビュー記事が掲載されました。





>文字起こし<
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 大日本帝国は、旧満州(現中国東北部)に多くの移民を送り込んだ。その一環である「満洲報国農場」の悲劇を知る人は、あまり多くないだろう。本書は東京農業大を中心に、同農場の歴史を描く。日本現代史の空白を埋める労作だ。
 同農場は戦時下の1943年に始まった。帝国政府が財政面などでさまざまな動機付けをし、国民に参加を促した。敗戦時には70近くもあったが、45年夏のソ連侵攻で地獄と化す。東京農業大は学生を積極的に送り出した。敗戦時現地にいた学生と教職員およそ100人のうち半数以上が死んだ。本書はこの経緯を克明にたどり、戦後その事実と向き合つことに消極的だった姿勢をもえぐる。
 きっかけは、同大の小塩海平教授が、報国農場を経験した先輩の体験を知ったことだ。最初にインタビューした人は「気難しい人と聞いていたのですが、いろんな話をしてくれました。聞き手を待っていた? そうでしょうね」
 足達太郎教授は1年生が合宿で行う農場実習の夜の講座に、報国農場の生還者2人を招き話をしてもらった。「驚きました。学生たちがこんなに真剣に聞くのか、と。人ごとじゃないと直感的に思ったのでしょう」。死者に行方不明者、大学教員から邪魔者扱いされる生還者……。OBならずとも、読むのがつらい。
 3人の共著だ。もう一人の共著者、藤原辰史・京都大准教授は高名な農学者が満州移民を推進し、戦後は戦時の自分の責任を隠蔽したことを、白日の下にさらしている。
 帝国のかいらいだった満州国を巡っては、異なる民族の連携を強調する「五族協和」という言葉が喧伝された。足達さんは「当時の学生たちもそのキャッチフレーズにひかれていったと思います。ただいつの時代も若者が海外、未知のものに憧れるのは大事です」。若い挑戦者魂が国策に都合よくからめ捕られないようにするためにも、本書が描く史実は貴重だ。
 小塩さんは、聞き取りをした生還者から「埋もれた事実を掘り起こしてくれて、満州で亡くなり埋まっている友達の骨が掘り起こされた気がした」と言われた。アカデミズムが自らの戦争責任を振り返る道しるべにもなるだろう。
  文と写真・栗原俊雄
 岩波書店・2700円
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(了)

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