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反戦川柳作家鶴彬「フジヤマとサクラの国の餓死ニュース」(令和の現在にこそ当てはまる句)

2020年03月02日 | 絵画・音楽・文学・映画・演劇・テレビ

>「食べさせられなくて、ごめんね」 大阪の母子死亡、なぜ防げなかったのか< >困窮の末、57歳母と24歳長男死亡 ガス・水道止まり食料もなく 大阪・八尾の集合住宅<

こんなニュースを見るたびに心を痛めています。 反戦川柳作家鶴彬「平成の現在にこそ当てはまる句」を「令和の現在にこそ当てはまる句」に置き換えて見ましょう。

評論家佐高信は鶴彬を「『川柳界の小林多喜二』と言われた」と自著で紹介しています。

春陽堂書店平成23年4月20日発刊 楜沢 健著「だから、鶴彬 抵抗する17文字」から「フジヤマとサクラの国の餓死ニュース」(初出・1935年5月「火華」)と「フジヤマとサクラの国の失業者」(1935年11月「文学評論」)を転載します。

 

栞「偶然と日本の国に生れ出て」鶴彬

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令和の現在にこそ当てはまる句

(文字起こし)

1▼ 飢餓ニュースが耐えないフジヤマとサクラの国。1931年と34年の大凶作は農村を圧迫し、飢靖、娘の身売り、自殺など生活は惨状を極めた。冷害といぅ自然条件以上に小作料と地主的土地所有に苦しむ小作釗度の矛盾が、悲惨をいっそう拡大させた。35年には小作争議件数は6824件に達し、戦前最多を記録している。
2▼ あれから80年。いまふたたび、かたちを変えて、フジヤマとサクラの国を次から次へと「餓死ニュース」が襲っている。2006年4月、北九州市の市常団地で78歳の母と49歳の娘が餓死しているのが発見された。5月、同じ団地で障害をもつ56歳の男性が餓死。2007年7月にも北九州市で生活保護を打ち切られた52歳の男性が餓死。2009年1月、大阪市で94歳の男性が餓死。同年4月、またもや北九州市で93歳の男性が餓死。2011年1月、大阪市で60歳くらいの姉妹が餓死もしくは病死しているのが発見された。
3▼ 多くは病気や介護の果ての共倒れ、あるいは派遣社員やアルバイトなど不安定な非正規労働を転々としたあげく病気で倒れ追いつめられた単身の中年男性の件である。しかも生活保護を申請したものの拒否ないしは追い返された末に餓死したケースが目立つ。非正規労慟ゆえ職場の人間関係を築けず、そのうえ家族関係をもたない、もしくは失った者は、社会の表から見えにくい透明な存在に陥っていくことを、これらの事件は伝えている。周囲から見えない餓死は、それゆえ誰も気づかない。
4▼ 1937年と2011年。変わったようで何も変わらない80年。格差と貧困の行きつく先は、昔も今も、餓死か自殺か身売りということだ。いやむしろ、飢餓と餓死を目の前にしていながら、誰もそれに気づかない、見過ごしているわれわれの現在は、いっそう深刻だともいえる。80年という歳月をまったく感じさせない一句というしかない。

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