葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

パソコン大好き爺さんの日誌。mail:akebonobashi@jcom.home.ne.jp

〔再掲〕焼け残った大本営機密文書(防衛省防衛研究所「市ヶ谷台史料」)

2020年08月13日 | 憲法・平和・人権・防衛

今から75年前の14日は、宮中御文庫(地下防空壕)内で開かれた御前閣議でポツダム宣言受諾を決定するとともに陸海軍重要機密文書の焼却を決定しました。

旧満州哈爾浜市郊外平房の陸軍秘匿第731部隊長石井四郎と家族らは、特別列車で逃げ出し朝鮮半島を南下して下関に上陸、金沢市野間神社で解散しました。残存部隊はマルタを毒ガスで殺害し、マルタを収容していたロ号棟を爆破して人体実験の証拠を消滅しました。

Nenpyou10

画像は爆破から残ったボイラー室の煙突

十数年前、市谷薬王寺町に住んでいる長老に聞くと、南側隣地の大本営(市谷本村町・現防衛省)から黒煙が上がり、それが一週間位続いたと話してくれました。陸軍東京第一病院(現国立国際医療研究センター)看護婦だった故石井十世さんも軍医学校関係も含めた秘密書類を病棟と病棟の間にある空き地で一枚一枚バラバラにして完全に焼却したと証言をしてくれました。

防衛庁本庁新築工事(当時)に先立って行われた尾張徳川家上屋敷跡の市谷本村町遺跡調査報告書にも江戸時代の遺跡だけが報告され、陸軍士官学校や大本営の遺跡調査はウヤムヤにされてしまいましたが、その後毎日新聞社社会部記者吉永磨美さんの調査で、敗戦直後 に大本営が焼却し、土中に遺棄したはずの書類の束が見つかっていたことが明らかになりました。防衛庁(当時)はその書類の束を青梅市にある調査会社に預けました。調査会社はその書類を冷凍保存し、書類を一枚一枚ピンセットで剥がし、分析をしました。その書類は、防衛省防衛研究所図書館で「市ヶ谷台史料」として公開されています。

市ヶ谷台史料」について

 平成9年12月15日 防衛研究所戦史部長 辻川健二

1、昭和20年8月14日日本政府は閣議でポツダム宣言受諾を決定するとともに重要機密文書の焼却を決定した。これに伴い陸軍は各部隊・官衛・学校などに機密文書の焼却を指令した。陸軍省、参謀本部など陸軍中枢機関の所在した市ヶ谷台では数日にわたり秘密文書が焼却された。
2、平成8年4月末、自衛隊市ヶ谷駐屯地で東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中、焼却された筈の旧陸軍文書が焼け残った状態で大量に発見された。
3、発掘された史料は、大半が焼損し、約50年間にわたり湿気を帯びた状態で土中に埋没されていたため、劣化が著しく頁を開くことも出来ない状態であった。戦史部は文化庁国立文化財研究所の助言と修復事業者の意見を参考として修復可能でしかも史料価値の高いものを選別し、青梅市の「東京修復保存センター」で修復作業を開始した。
4、発掘された史料は、主として参謀本部第3課(編成・動員課)が保管していた文書で編成・動員などに関する御裁可書、編成表、電報綴等である。
これらの史料は、日本陸軍の戦争指導、作戦指揮に関する史料として当防衛研究所戦史部に欠落している部分を補完する史料であり、また『戦史叢書』のなかで関係者の記憶をもとに記述された部分を裏付ける史料として重要な意義をもつものである。

04年8月17日管理人が当時目黒区にあった防衛省防衛研究所図書館で閲覧した「市ヶ谷台史料」の一部(受電綴)をメモ書きにしてワープロ文書にした①「臺北」湾部隊参謀長至急電報文(特攻隊員の処遇)②瑞西(スイス)公使館附武官電報文(欧米における天皇の戦争責任論)③「札幌」達部隊参謀長至急電報文(中国東北部における毒ガス弾処理について参考にした)を再度アップします。(2010年7月23日の記事)

至急電報
  昭和二〇.八.一二
「臺北」湾部隊参謀長

 左ノ如ク感状ヲ授與セラレタリ

誠第十六飛行隊陸軍軍曹(以下五十名の階級と氏名は遊就館展示室「靖国の神々」に飾られた特攻隊員の遺影が脳裏に浮かび、ペンが進まず写すことが出来ませんでした。)

右ノ者特別攻撃隊員トシテ南西諸島方面ノ戰闘ニ参加昭和二十年三月下旬以降六月上旬ニ至ル間沖縄本島周邊海域ニ来寇セル敵艦船群ノ攻撃ヲ命ゼラルヤ勇躍挺進或ハ夜暗洋上遠距離ヲ進般シ或ハ敵戦闘機ノ執拗ナル妨害ヲ排除シテ之ヲ急襲果敢ナル體當攻撃ヲ結構(ママ)シテ敵ノ主力艦船ニ對シ甚大ナル打撃ヲ與ヘ全軍ノ作戰ニ寄與セル所順ナル大ナリ、之ユエ誠純忠ノ大義ニ透徹セル烈々タル攻撃精神ノ發露ニシテ其ノ成功抜群ナリ
仍ツテ茲ニ感状ヲ授與シ之ヲ全軍ニ布告ス

昭和二十年七月八日

第十方面軍司令官 安藤利吉                                                                           
                    受電綴

電報  昭和二十年八月一〇日
次長宛
「ベルン」 瑞西(スイス)公使館附武官

第三百六十一號
情勢報七日補足
先般來對共同宣言ニ關スル各方面ノ論案中畏レ多クモ天皇ノ御身分ニ關シ云々スル者多キヲ以テ之ヲ一應電約ス
一、英國一般ノ意見ハ天皇ハ神聖ナル存在ニシテ且信仰ノ中心ナルヲ以テ他ノ戦争責任者ノ如ク取扱フベキニアラザルキ其ノ取扱ヲ誤ラバ日本國民ヲシテ愈〃熱狂的タラシメ一種ノ宗教的戰爭トナル長期抵抗アルベシ 然レドモ天皇ハ國内安定治安維持ノ忠タルト共ニ降伏後政治的缺陥ニ基ク混亂ヲ避ケ且發生ヲ豫想セラルル獨裁者ヲ豫防スル爲絶對ニ權力ヲ保持セルレ給フヲ以テ是非存續ノ必要アリ又米國ニ於テモ右ノ英國流意見ノ外後述支那流意見存ス

二、「トルーマン」ハ諸方面ヨリ檢討シテ結局天皇ノ御命令ヲ認メ日本ヲシテ武器ヲ放棄セシメ得ルヲ期待スルト共ニ他方天皇中心トシテ軍閥ニ反抗ノ結果國民運動ガ國内ニ於テ蜂起スルヲ期待スルモノ如シ是ヲ以テ米國與論ハ此ノ中間ニ在リテ日本ガ天皇御安泰ニ在リセバ自ラ積極的意思表示ヲ可トスベリ(例ヘバ)之ニ依リ降伏後ト雖モ天皇ヲ上ニ戴ク「チャンス」アリ
米國政府ハ公式ニハ現在迄確定的意見ノ發表ナシ尚從來英國流ノ意見ヲ有シアリシ華府「ポスト」新聞ガ反對意見ニ轉向セルハ注目ヲ要ス

三、支那側ノ意見ハ即チ天皇統帥權獨立ノ問題ヨリ天皇ハ軍閥中心タルノミナラズ軍閥ノ虜トナリ如何ニ平和ヲ保障スルキ「デモクラシー」ノ援助ト協同ハ不可能ナルベシ従ツテ其ノ絶對神聖ナル存在ハ此ノ場合却ツテ害アリ之ヲ例ヘバ天皇國ノ日本ハ「ヒットラー」ヲ頭首トスル「ナチス」獨逸ニ外ナラズ極端者ハ戦争責任者ノ範疇ニ入ルル者アリ

四、佛國ハ慨ネ支那流ノ意見ニ近シ之ヲ要スルニ共同宣言ニ於テ此ノ問題ガ取扱ハレザリシハ一部見解ノ相違ニ基クト觀ラルベシ
                
受電綴其二

至急電報

 昭和二〇・八・一二
「札幌」達部隊参謀長

次長宛
達参電第一一八三號

一、樺太ニ於ケル飛行場破壊及破壊準備ニ關シ左ノ如ク定メラル
(1)北部地區ニ在リテハ随時破壊ニ得ル如ク先ツ速カニ之ガ準備ヲ進メ破壊ノ時機ハ戰況ニ應ジ要部隊長之ヲ決定ス
(2)南部地區ニ在リテハ右ニ準ズルモノトシ所要ノ破壊準備ヲ行フ

受電綴其四

日本のいちばん長い日」の始まりです。

(了)

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