1948年(昭和23年)12月23日(皇太子明仁親王(現在の明仁上皇)の誕生日)にA級戦犯7人の絞首刑が巣鴨プリズンで執行されました。
処刑された7人の遺体は横浜市西区の久保山斎場で火葬され、遺骨は伊勢佐木飛行場から飛びたった米軍飛行機によって東京湾外に捨てられました。しかし、12月25日に小磯国昭の弁護人だった三文字正平が共同骨捨て場から遺灰(7人分が混ざった)を密かに回収し、近くの興禅寺に預けられ、1949年5月に伊豆山中の興亜観音に密かに葬られました。
その後、1960年(昭和35年)8月16日に愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山の山頂付近に移され、三ヶ根山には「殉国七士廟」が設けられ、その中の殉国七士の墓に遺骨が分骨されて安置されて現在に至ります。
「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」共同代表川口重雄さんが、今夏に訪れた時の画像をアップします。
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極東国際軍事裁判(東京裁判)
判決 1948年11月12日
死刑 (皇太子の誕生日12月23日にスガモ・プリズンで絞首刑が執行された)
●板垣征四郎 軍人、陸相(近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長
●木村兵太郎 軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)
●土肥原賢二 軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官
●東條英機 軍人、第40代内閣総理大臣
●武藤章 軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)
●松井石根 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)
●広田弘毅 文人、第32代内閣総理大臣
終身刑
荒木貞夫 、●梅津美治郎(※)、大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、●小磯国昭(※)、佐藤賢了、嶋田繁太郎、●白鳥敏夫(※) 、鈴木貞一、南次郎、橋本欣五郎、畑俊六、●平沼騏一郎(※)、星野直樹
有期禁錮
重光葵 (7年)、●東郷茂徳(20年、※)
●英霊として合祀 ※獄中死
1978年、靖国神社はA級戦犯の死刑及び獄中死の14名(●印)を合祀した。平和条約第11条により死亡した者(BC級を含む戦争裁判受刑者)を戊辰戦争の「国事殉難者」に因んで「昭和殉難者」と呼称する。
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靖国神社は2005年に東京裁判判事インド代表パール(パルとも)判事の顕彰碑を建立しました。(同じ顕彰碑が、京都東山霊山護国神社に設置されています。)
南部利昭宮司の碑文を印刷した和文・英文のペーパーは顕彰碑の前に置かれていましたが、タバコの吸い殻を投げ込まれたために、防火上当分は置かれていません。
碑文
碑文(英文)
京都東山霊山護国神社の顕彰碑
参照サイトとブログ記事
「防衛省市ヶ谷記念館を考える会」
世田谷区戦争遺跡の№1「東條英機自宅跡」
(了)
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コメント有り難うございます。
少国民で、亡父が輜重兵として中国に出征していますので軍歌にたいする気持ちは違います。
運動会や体育祭の入場行進では、行進曲-マーチが使用されますが、最近は日本の戦前の楽曲があまり使われてないです。
戦争を思い出してしまうからとの理由が多いからとも考えられます。
しかしながら、『軍艦行進曲』『愛国行進曲』等は、使用してもおかしくないかと思います。