私は神経性腸炎の薬を服用したが、
いっこうに改善する様子がなかった。
その頃には、朝複数回の排便をしてお腹を空っぽにしないと、
いつ水状の便が出るかわからなかった。
そのため、朝は早く起きて、
朝食を取ってもお腹が空っぽになるまで複数回、
トイレに行く日が続くようになっていた。
私は胃腸科クリニックの医師に紹介状を書いて頂き、
その医師が勧める大きな病院の消化器内科を受診して、
内視鏡検査の予約を取った。
しかし、夏休みをはさんでいたせいだろうか。
内視鏡検査の予約は10月で、
約2か月待たされることとなった。
私は不安を抱えたまま、
内視鏡検査前の血液検査のため採血をして帰った。
その間にも、私の下痢症状は悪化し、
朝に複数回の水状態の便が出て、
昼食後にもトイレに駆け込んだ。
内視鏡検査を受けるころには、
1日に10回以上もトイレに駆け込んでいた。
通勤時でも、勤務中でも、
いつでもトイレに駆け込めるように心がけていた。
水状態の便は、我慢する余地すら与えてくれなかった。
下腹部に便意を感じた瞬間に,
トイレに座らないと間に合わなかったのだ。
何度も下着を汚してしまい、
カバンの中には替えの下着を常に入れていた。
残暑の厳しい日でも、
夕方になると寒気がした。
午前中は良いのだが、
午後から次第に怠くなり、
夕方には寒気が増してきた。
帰るころには寒気に震え、
夕食は栄養補助食品の流動食か、
お粥、プリン、ゼリーくらいしか食べることができなくなっていた。
食欲もなかったが、
食べなければすぐに脱水症状になってしまうので
私はとにかくお腹に流し込めるものを食べていた。
無理をして普通の食事を食べると、
すぐに気持ち悪くなって吐きそうになったのだ。
下痢だけでなく、
味覚症状や吐き気が私を苦しめた。
私は、精神的にも、
肉体的にも、もうボロボロだった。
自分を支えていたのは、
ただただ仕事への義務感と
生きるという生物の基本的な本能だけだった。
もう、何もなかった。
このまま死んでしまうのか。
もう不安に思う気力さえ消えそうになっていた。
やっと、内視鏡検査の日を迎え、
その翌週にその結果を告げられた。
その時から私の人生は、
一時停止ボタンを押されることになった。
いっこうに改善する様子がなかった。
その頃には、朝複数回の排便をしてお腹を空っぽにしないと、
いつ水状の便が出るかわからなかった。
そのため、朝は早く起きて、
朝食を取ってもお腹が空っぽになるまで複数回、
トイレに行く日が続くようになっていた。
私は胃腸科クリニックの医師に紹介状を書いて頂き、
その医師が勧める大きな病院の消化器内科を受診して、
内視鏡検査の予約を取った。
しかし、夏休みをはさんでいたせいだろうか。
内視鏡検査の予約は10月で、
約2か月待たされることとなった。
私は不安を抱えたまま、
内視鏡検査前の血液検査のため採血をして帰った。
その間にも、私の下痢症状は悪化し、
朝に複数回の水状態の便が出て、
昼食後にもトイレに駆け込んだ。
内視鏡検査を受けるころには、
1日に10回以上もトイレに駆け込んでいた。
通勤時でも、勤務中でも、
いつでもトイレに駆け込めるように心がけていた。
水状態の便は、我慢する余地すら与えてくれなかった。
下腹部に便意を感じた瞬間に,
トイレに座らないと間に合わなかったのだ。
何度も下着を汚してしまい、
カバンの中には替えの下着を常に入れていた。
残暑の厳しい日でも、
夕方になると寒気がした。
午前中は良いのだが、
午後から次第に怠くなり、
夕方には寒気が増してきた。
帰るころには寒気に震え、
夕食は栄養補助食品の流動食か、
お粥、プリン、ゼリーくらいしか食べることができなくなっていた。
食欲もなかったが、
食べなければすぐに脱水症状になってしまうので
私はとにかくお腹に流し込めるものを食べていた。
無理をして普通の食事を食べると、
すぐに気持ち悪くなって吐きそうになったのだ。
下痢だけでなく、
味覚症状や吐き気が私を苦しめた。
私は、精神的にも、
肉体的にも、もうボロボロだった。
自分を支えていたのは、
ただただ仕事への義務感と
生きるという生物の基本的な本能だけだった。
もう、何もなかった。
このまま死んでしまうのか。
もう不安に思う気力さえ消えそうになっていた。
やっと、内視鏡検査の日を迎え、
その翌週にその結果を告げられた。
その時から私の人生は、
一時停止ボタンを押されることになった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます