裏山赤太郎~ゲイでエイズで、でも生きてくよ!~

ゲイとして生きて、50代でエイズを発症したけど、自分らしく生きていくことには変わりないないんだよってブログ。

左肩負傷で思うこと

2016-05-18 22:18:32 | 日記
一週間前、仕事帰りにトレーニングをしていて、
左肩を痛めてしまいました。

左肩は若い頃、
やはり同じようにトレーニングで傷めたことがありました。
それ以降、ちょっと無理をするとすぐに痛くなるので、
かなり気を付けていました。

トレーニングの際には充分にストレッチをして、
肩に負担を掛け過ぎないように
軽めのウエイトで筋肉にじっくり意識付けして
負荷を掛け過ぎないようにしていました。

しかし、とうとうやっちまった!

10回程度の回数でマックスに筋肉に負荷を掛けることで、
効率よく筋肉を鍛えることができるのです。

もうちょっと重たくしてみようかな。

もうちょっと・・・・

やっぱり男は太い腕、分厚い胸板、
大きな背中だよなあ・・・

ようし、まだいけるぞ!

肩の痛みのことを、どこかへ置いてきてしまいました。

このところCD4もぐっとアップして、
体調も良く、気力も充実してきたので、
つい無理な負荷を掛けてしまいました。

ギクッ!

痛みが走ったときには、もう遅かったのです。

それ以降、腕を上げるだけで左肩が痛みます。

幸い炎症までは起こしていなかったので、
今は安静にして、
やさしくセルフマッサージしています。

どうせ、整形外科に行っても、
五十肩ですねって診断でしょうから。

HIVについては投薬治療のおかげで、
発症当初の自分が嘘のように元気になりました。
やっと感染前の自分を取り戻してきた今、
とうとうこんな失敗をしてしまいました。

健康は有難いんだけど、
調子に乗っちゃいかんなあ・・・・

うん、たしかに調子こいていたのかも知れません。

発症して、入院、退院したばかりの自分は、
もう悟りを開いた仙人のように無欲で、
ただただ自分を大切にしながら、
静かに生きて行こうとだけ思っていたのでした。

今は元気になって
少しずつ意欲的に生きることに喜びを感じ、
それを支えてくれた医療をはじめとする様々なサポートに感謝しつつも、
改めて肩の痛みに自分を戒めています。

調子こいちゃいかん。

欲にばかり任せて生きてはダメですね。

自分を大切に、しっかり生きなきゃね。


老後に向けて今、できること

2016-05-15 19:30:39 | 日記
私のようなLGBTでHIV陽性者にとって、
いや、日本国民の多くがと言ってもいいのかも知れません。
多くの人は老いること、
老後について不安を抱いています。

陽性者にとっては、
まずは健康上の不安、
長年強い薬を服用し続けることの不安があります。
しかし、有難いことに、
医学の進歩によって現在日本で処方されている薬の多くは、
90年代の薬に比べたら随分副作用がないものに改良されてきました。
これから保険適用になるであろう新薬も、
ますます副作用がないように改良されたり、
服薬しやすいものに改良されたりするようです。
しかし、完治することが現実になっても、
これまで傷めた体に対しての不安は消えるものではないでしょう。

また、私のようなゲイ、LGBTの方々の多くが、
独りで老後を迎える現実があります。
例え兄弟や親族がいても、
彼らに安心して自分の老後を委ねることができる人は
ごく限られているのではないでしょうか。

更に陽性者の多くの人が、
私のように障害者雇用枠で働いています。
障害者雇用枠で働く人は、
一般の雇用の人に比べたら収入が少ない上に、
契約社員やアルバイト扱いのように
不安定な雇用条件で働いている人も多いと思います。

一般の方々でさえ老後に不安を抱く現代の日本社会では、
マイノリティの人達は更に不安が強まるのは容易に理解できます。

でも、悲観してばかりしていても、
何の解決にもならないことも確かです。

働ける今のうちに、
備えられるものは備えていくことも必要でしょう。

でも、生きること自体に委縮してしまっては、
せっかく治療して生きる力を頂いた命、
人生があまりにもったいないではありませんか。

身体的な不安もありますが、
こうなれば生涯現役で何かしら活動し続ける気構えが
今から必要じゃないかなって思っています。

会社で働くことが難しい年齢になっても、
何かしら収入を作って行けるような知恵や技術を
今から準備できればいいと考えています。

いやいや、すぐに行動を起こさなくては!

自分のお尻を叩かないと、
ボヤボヤしていたら月日の経つのに置いてきごりを食らいます。

でも、今すぐにできることはないでしょうか。

私はこの病気を告知された直後、
ボロボロの身体が少し少し回復していくことを感じながら考えました。

「孤立は体にも精神にも良くない」

生きる上で必要な情報も、
生きる気力を得ることも、
人との繋がりがあるからこそ得られると考えました。

人間、一人では生きていけない。

当たり前のことなのかも知れません。

その考えからすれば、
今の自分にも出来ることがあります。

「人との繋がりを大切にすること」

今いる友達を大切にして、
信頼できる友達を一人でも多く作っていくこと。

大人数は必要ないのかも知れません。

仕事もできなくなり、
家で過ごす時間が増えるようになったら
お互い気遣い合い、
声を掛けあえる友達を少しでもいてもらえたら
不安も少しは安らぐのではないでしょうか。


GWの終わりに思う、大切なものを失う覚悟

2016-05-08 19:23:50 | 日記
五月の連休も今日で終わり。
自分は特別に何処かへ行くわけでもなく、
暦通りに休んでいました。

連休中に友達と会うと、
「てっきり連休は東京にいないかと思った」と言われました。

前回のブログにも書いた通り、
自分には今、気になる人がいます。
その人は飛行機に乗らないと会いに行けない場所に住んでいます。
長い間、Twitterを通じてお互いに共通の価値観を持ち、
気が合うであろうことを知っていました。
そして今年に入って、実際に会う機会があり、
それを確かめ合ったのでした。
(まだセックスはしていませんよ)

それ以降は、毎日のようにLINEでやり取りをして、
離れていても良い関係を少し少し、
重ねていっています。

そんな話を知っている友人達は、
連休はきっと彼に会いにいっているだろうと思っていたのでした。

もちろん、できることならそうしたかった。

しかし、それには二つの大きな問題を克服しなければなりません。

まずは現実的、物質的な問題です。
昨年は半年以上の失業期間の末、
やっと障害者雇用で再就職をしたばかり。
少ない給料の上に、まだ有給休暇もありません。
そんな状況で、
今の自分には連休の航空運賃を支払う余裕は残念ながらなかったのです。

そして、もっと重たい現実があります。
それは自分がHIV陽性者であり、
彼に会いにいくためにはそれを彼にカミングアウトする必要があることです。

私としてはHIV陽性者だからといって
自ら幸せになる機会を諦めることは
自分らしい生き方ではないと考えています。

しかし、それを実行するためには、
それ相当の覚悟が必要です。

もし彼に会いに彼の住む街は行くとしたら、
当然彼の家に宿泊することになります。
その際二人には、
肉体の接触があることはほぼ確実というほど、
二人の関係は近くなっています。

自分としてはこの病気を隠して、
彼と肉体関係を結ぶことはしたくありません。
彼のことが大切であればあるほど、
そう思っています。

私達の年代には、
未だにHIVは死の病と認識している人が多くいます。
実際に70年代後半から80年代かけて、
多くの人達がこの病に感染して、
骸骨のようにやせ衰えて、
カポシ肉腫で全身を蝕まれながら無くなっていく様子を
ニュースなどで目にしてきました。
日本でも感染者が広まる80年代後半には、
一緒に二丁目で飲んでいた知り合いが、
この病で他界したという噂を幾度も聞かされました。

私より少し年上の彼は、
私がHIV陽性者だと知ったらどう思うでしょう?

私は彼が例え今はあまり知識が無くても、
説明すればきっと理解してくれる人格の持ち主だと信じています。

しかし、病気のことを告げることで、
彼との関係を失う可能性がある不安を完全に消すことはできません。

いつかは、これを乗り越える必要があります。

連休中、友達が彼の話題を出すたびに、
そんな不安がチクリと心を刺すのでした。

私は幸せを手にするためには、
それを失う覚悟も同時に持つ必要があることを感じています。

これは病気をカミングアウトすることだけでなく、
全てのことに言えることかも知れません。

何事も覚悟を決めて、
前に進むことが自分らしく生きることに繋がるのだと思っています。